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2016-04-17 16:55:25 | 日記
≪光君と大勢の仲間たち≫
昨夜からの雨もすっかり止んで眩しい朝の光がカーテンを通して部屋一杯に差し込んでくる。台所ではいつものように母親がトントントンと野菜を切りながら朝の支度をしている。光はその台所の音に目が覚めてベッドから起きてカーテンを開けて外を眺めて見た。軒下の幾つかのプランターに去年の暮、何種類かの球根を植えておいたのが皆芽を出し花や若葉を付けていた。それが昨日の雨の名残の雨露が霧状になって付着していた。“春眠暁を覚えず”の例えに逆らう事ができず光はまたベッドの中に潜り込んで寝てしまった。どれくらい時間が経っただろうか。どこからともなく声が聞こえて来た。「光君おはよう。今日は雨もあがったし、どこか散歩にでも行くの?」「ええ、あなたは誰なの?どこにいるの?」「あなたの前にいるじゃないの、ほらプランターの中に咲いている花の精霊なのよ。私たちは皆花の精霊と言って仲間たちなんだ。光君も仲間に入れてあげるから皆で遊びに行こうよ」「だって僕歩くことが出来ないんだ、だからいつも電動車椅子に乗っているんだよ」「大丈夫だよ、ほら見て御覧。翼を持って来てあげたから背中に取り付けてあげる。だから、皆で飛んでみようよ。どう、飛べるかな?」「はい、飛べる、飛べるよ、ありがとう」「じゃあ、向こうの公園で皆待っているから後で遊びに来てね」それから少し経って光は大空を目掛けて飛び上がってみた。「うぁーこれは凄い,身体が軽くなったみたいだ」そんなことを思いながら辺りを見回していた。これから僕の行く所はどこにあるのだろうと色々考えていた。僕は何のためにこの世に生れて来たのだろうか?家の中にいてただ死を待つだけなのか。路面を走る自動車が小さく見えたり、家々の甍(いらか)が波打って見える。遠くには山々の連山が美しく奇麗に輝いていた。こんなことを考えていると無性に心が寂しくなってきて涙が込み上げて来た。上を見ると真綿雲が青空にぽかりぽかりと浮いていた。見たこともない変わった景色を見ていると、「あっ、危ない」突然熊蜂が襲ってきた。逃げなければ刺される。「大丈夫だよ。熊蜂君は私たちの仲間だから。私はずっと光君の後を付いて来たの、悪いと思ったけれど」「そうだったの、どうもありがとう」暫く行くと満開の桜並木が見えてきた。入り口には大きな看板に○○スポーツ公園と書いてあった。あぁ、ここだな、皆が言っていたのは。どれ、中に入ってみようっと。あぁ、中はとても広いんだなぁ、向こうの端が見えないよ。「あぁ、光君だ、遊びに来てくれたんだ。ありがとう。これから皆に紹介してあげるからついておいてよ。あぁ,ちょうど良かった、蜜蜂君が来た。蜜蜂君、皆がいる所、教えてくれないかな?光君に紹介してあげるんだ。」「あぁ、いいよ。しばらく,水仙の精霊君だね。ついておいで、光君よろしく、いい友達になれるよ」「うぁー、たくさんいるんだ。楽しいそうだなぁ」暫くお互いに自分たちの自己紹介が終わる頃、誰かが口を開いた。もうみんなの名前も判った所でどこか散歩にでも行って見ようよ、皆で。「そうだね、折角皆が仲良くなれたんだ、それもいいよね」光が口を挟んだ。「光君大丈夫かな?翼に馴れた?」「ありがとう、もう大分馴れたから。ではもう出かけようか」光を真ん中にして仲間たちは大空の彼方に飛んで行った。「うぁー、桜がとても綺麗、そして眺めも絶景だね。家の庭にも大きな桜の木があるからまた会えるね。」光は皆と別れて帰ろうとした。「あれ、もう帰るの?じゃ、こんどまた遊びにおいで」「今までどうもありがとうございました。また今度遊びに来るから」「光君、だめだよ、もぉ、こんなに友達もできたんだ。あんな寂しい事考えたらいけないよ。虚しくなったらいつでもここにおいで。待っているから」どのくらいの時間が経っただろうか、母親の声がした。光はその声で目が覚めた。「光、それなに?手に持っているものは?」「あぁこれ?蜜蜂君に貰った蜂蜜だよ」「早く朝ご飯食べちゃいなさいよ。いつまでもかたずかないから」

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2016-03-28 14:25:00 | 日記

≪こんにちは(日記帳から)≫
今年もまた春のそよ風と共に野球の季節がやって来た。私は野球が何よりも大好きだ。真綿のような白雲がぽっかりと浮かぶ青々としたあの広い大空の下、広いグラウンドに白球を追って走り回る選手達を見ていると背中がぞくぞくするほど興奮する。だから私の唯一の楽しみの中に入っている。特にプロ野球がいい。野球が始まるといつもテレビの前で観戦している。勝敗には関係なく只見ているたけで面白い価値がある。私も昔夢見た事がある。元気な身体でいたらきっと野球選手になってあの広いグラウンドを走りまわっていただろう。好きな球団は読売ジャイアンツだ。

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2016-03-08 12:47:31 | 日記
≪恩讐を超えて≫
私の人生は一体何なのだろうか? 何の目的があって生まれて来たのだろう。生まれて来たからには幾多の目的を持ってうまれてきはずだ。幼少の頃に不治の病と言われた小児麻痺なり、それが原因で一生涯不自由な身体で過ごす事になったのである。私は五人兄弟の二男として生まれました。兄弟皆が学齢期を迎える頃になって学校に行くのを見ていると一人残されて寂しくて悲しくて辛くて泣いた事もありなした。今の時代ではとても考えられないことかも知らないが、当時の学校法と言うものは障害者は学校に行かなくても良い事になっていたらしいかったのです。当時私の家は里山という田舎に住んでおりました。今になって思えばそこが私の弟一の古里みたいなものした。近くには小川がさらさらと流れ、夏には蛍が青々と茂った水田の上を乱舞していました。そんな中で育った私は兄弟が多くいたでしょう。とてもじゃないが私だけにかまってもらえる立場ではなかったのです。学校までの道のりは遠く三キロ近くもあって私にはとても無理な事は判っていました。「ねえ僕も学校に行きたいよ、いいでしょう」なんてとても言えなかった。それでも皆が通っている学校に行きたい一心で来る日も来る日も歩行練習を重ねてやっとそれくらい歩けるようになった時「そんなに学校に行きたいのかい?それなら行ってもいいよ。だけど判っているだろうが余り手伝ってあげられないよ」。いよいよ私も学校に行けるんだと思うと少し不安もあったが何よりも仲間もできて勉強が出来る事が嬉しくてその後に幾多の艱難辛苦があろうとは知るよしもありませんでした。とりあえず相談の上学年は五年生からと言うことになりました。只学籍は貰えず聴講生と言う立場でした。負けず嫌いな私は小学校、中学校、高校と卒業はしましたが、その後の苦労は地獄の中にいるようでした。魑魅魍魎の世界と言うけれど本当にその現実を見たような気がした。暫く経ってから同じ訓練所にいる時に縁があって今の妻と結婚する事になりました。そうして生活を送っているちに二人の子供にも恵まれてやっと一人前の暮らしになりました。他人たちから色々と揶揄もされましたが、子供たちの喧騒と共に忙しく暮している中にたちまち時は過ぎ十年、二十年と経ってしまい、気がついた時には子供たちも親から離れて巣立って行ってしまった。最後に残ったのは私たち二人だけになってしまい、あっというまに爺婆になってしまった。これからは徳用老人ホームにでも入所して余生を静かに過ごす事になるだろう。ここまできてしまうとあの喧騒とした元気に遊ぶ声が懐かしく思い出される。