南溟寺(浄土真宗本願寺派)
所在地:泉大津市神明町6
■(泉大津の史跡と文化財より)
本寺の創建は「泉州志」などの文献によれば、天正年中(1573~92)法橋明寂によると伝えられているが、所蔵文書「元文四年寺社御改帳」では、文禄四年(1595)僧明寂の開基とされている。また、別の古文書では、本寺はもと宇多大津村にあったが、文禄三年下条大津村の荒地を申し請けて移転したものといい、その地は戦国の土豪齋藤氏、真鍋氏などが拠った大津城(真鍋城)の跡であるとも伝えられている。・(中略)正保二年(1645)以来、幕末まで伯太藩主渡辺氏の菩提寺でもあった。(中略)本堂右手余間に安置されている渡辺家位牌厨子は、様式からみて近世初期を下らないものと思われる。
伯太藩渡辺氏 累代の墓所は、庫裏の右手から裏側へ廻ったところにある。「大津町志」(昭和七年)には、広さ「一一三坪、墓碑ニ三基」とあり、苔むした碑が歴史をしのばせる。
所在地:泉大津市神明町6
■(泉大津の史跡と文化財より)
本寺の創建は「泉州志」などの文献によれば、天正年中(1573~92)法橋明寂によると伝えられているが、所蔵文書「元文四年寺社御改帳」では、文禄四年(1595)僧明寂の開基とされている。また、別の古文書では、本寺はもと宇多大津村にあったが、文禄三年下条大津村の荒地を申し請けて移転したものといい、その地は戦国の土豪齋藤氏、真鍋氏などが拠った大津城(真鍋城)の跡であるとも伝えられている。・(中略)正保二年(1645)以来、幕末まで伯太藩主渡辺氏の菩提寺でもあった。(中略)本堂右手余間に安置されている渡辺家位牌厨子は、様式からみて近世初期を下らないものと思われる。
伯太藩渡辺氏 累代の墓所は、庫裏の右手から裏側へ廻ったところにある。「大津町志」(昭和七年)には、広さ「一一三坪、墓碑ニ三基」とあり、苔むした碑が歴史をしのばせる。