3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」により、被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。
この教室のある北杜市でも震度5弱の強い揺れを感じました。私は午後一番お仕事を終え、次のレッスンの準備をしている最中、「めまいかな?」と思うようなぐらぐらとした揺れから始まり、次第にログハウス全体がグラングランと横に揺さぶられるような強い揺れに変わっていきました。
とっさにデスクのデスクの下に潜ろうか、と思いましたが、外の広い駐車場のほうが安全と思い、すぐに表に出て、地面にしゃがみました。揺れはとても長く感じられ、視界に映るすべてのものが揺さぶられていました。電柱も森の木々も、大きく揺さぶられ、どうしようもなく、その場にじゃが見込んでいました。
揺れがおさまったので教室に戻り、とりあえず大切なものをまとめ、自宅にいる義母の様子を見に行きました。足の悪い義母は一人では逃げることができないので心配になりましたが、ご近所の方が来て下さり、何かあったときには一緒に避難して下さるとのことで、お任せして教室に戻りました。
そのあとまた大きな揺れがあり、体に感じる小さな揺れを含めると複数回の揺れが立て続けに起こりました。その後学校に向かうと、すでに保護者のみなさんが集まりだしていて、保育園、小学校ともに緊急下校となりました。
保育園にお迎えに行くと、子どもたちはお帰りの準備をしており、みな一様に恐怖にこわばった表情をしていました。うちの娘も同様で、「ぐらぐら!」「こわい!」と訴えてきました。
地震後から北杜市全体で停電となり、翌早朝まで続きました。この日はコンビニで食料を調達しましたが長蛇の列で、このレジもバッテリーがなくなればうてなくなる、とおっしゃっていました。家のほうは停電の影響で水道も出ないため、家族で教室に移動し、唯一でる水道で水を補給しながら夕食をとりました。
つい2週間ほど前にニュージーランドのクライストチャーチで地震がありましたが、まさかこんなに短期間で日本にも起こるとは思いもよりませんでした。しかし日本ではいつ起こってもおかしくない状態であることは確かで、日頃から防災意識を持って生活していなくてはいけないということを、改めて痛感しました。
私たちは電気や水道に不自由するだけで済みましたが、東北では今でも安否すら不明な方が多数いらっしゃいます。私の妹の知人は、命こそ助かりましたが、家は福島の海岸に近い場所にあったため、津波ですべて流されてしまったそうです。また私の夫の従兄弟は仙台市の中学校の教師ですが、連絡が取れません。義母を心配してきて下さったご近所の方のお姉さんと姪2人も、すべて津波でさらわれ、壊滅した町に住んでおり、安否が全く分かりません。
「被災」が自分たちの身近な人々に降りかかっているこの状況に、元気で生きていられる私たちが、今何ができるのか、そう思ったらいても立ってもいられない気持ちになります。とにかく、一人でも多くの方の命が助かることを、心から願ってやみません。
できることから始めよう!義援金サイト:
Yahoo!ポイントによる義援金サイト
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1630001/index.html
日本赤十字社による義援金サイト
http://www.jrc.or.jp/
その他義援金サイト一覧
http://sites.google.com/site/quake20110311jp/bokin