[ここでの話]
神さまは、自分に"働く"を与えてくれたと言う話になります。
[神さまが"働く"を与えてくれたとは?]
僕の場合は、働けない時と働いていない時がありました。
その後、今の職場で働けて、"働ける喜び"みたいなものを学びました。
僕は、平日はパートの用務員で働き、日頃に気づいたものをブログやnoteで記事を書いて働き、お金でも月1000円寄付などして働かせて、家事も少しして働いています。
それらを続けていくうちに、「働くって神さまが与えてくれたんだな」と考える様になりました。
そしたら、「この"働き"ってめっちゃいいじゃん!!」と思いました。
その理由は、自分が働く事で、相手が喜んでくれる、それって、かけがえのない宝だなって思ったからです。
"働くのが宝"って事です。
働くと、相手が喜んでくれたり、お金がいただけたり、家族が笑顔になったり、人から感謝されたりします。
これらって宝だなって思いました。
ただ、働くのは、働く前と働いている時は、おっくうです。
働き終わったら、おっくうが充実に変わります。
自分が働いた事で、いくつもの人達が喜んでくれるからです。
こう言う幸せを、神さまは気づいて欲しかったのかなと思いました。
だから、神さまは1人ひとりに、"働く"を与えたのかもなと僕は思いました。
[まとめ]
神さまが自分に"働く"を与えてくれたと言う話でした。
働く前と働いている時は、おっくうでつまらないですが、そこを乗り越えて、働きを終えたら、その相手が喜んでくれたり、(家事の場合は)家族が笑顔になったり、人から感謝されたり、お金になったりします。
そしたら、"働くは宝"って事になります。
そう言った、自分が働く事で喜んでくれるって言う幸せが、神さまは味わって欲しくて、1人ひとりに"働く"を与えてくれたのかもなと僕は思いました。
そして、働き続けていると、こうやったら人がもっと喜ぶとか、これをしたら沢山の人が幸せになれる、こんなことをしたら山ほど感謝されるとか、学び得ます。
そしたら、どうなるか??、答えは"恵まれる"訳です。
人に恵まれたり、お金に恵まれたり、健康に恵まれたり、運に恵まれたりします。
そうやって、自分が働いた事で、その相手が喜んでくれる、そう言った働きを、味わって欲しくて、神さまは自分達に、働きを与えたんだと僕は考えています。