[ここでの話]
生きていれば"試練"ってあるじゃないですか。試練ってめっちゃ辛くて不幸みたいなものです。
神さまは試練のその先にあるものを見通していると言う話になります。
[試練のその先とは?]
試練自体は、「なんで自分だけこんなに辛い思いしなきゃいけないんだ」、「消えたい、辛い、疲れた」とか「試練嫌だな」とかある奴です。
試練ってシンプルに嫌なものです。
全く楽しめません。
ただ、そう言った試練のその先があり、それを神さまは見通しているって事です。
試練のその先とは、試練を乗り越えた先に、自分にとっての大事な何かが得られます。
簡単に言えば"自分だけの幸せ"みたいなものです。
神さまがあなただけの幸せをお見通ししているって事です。
だから、試練だけ見たら嫌になりますが、試練を乗り越えたその先までを全部ひっくるめて見た時、「この試練があったから今の自分の幸せみたいなものが有るんだな」となり、一見辛い試練が乗り越える事によって、自分にしか分からない、かけがえのない幸せになります。
[こんな事できるのは神さましかいない]
神さまって、試練の先を見ています。
試練自体は、神さまもかげながら応援してくれます。
そして、試練を乗り越えたら、一緒になって喜んでくれます。
これは、どの人にも当てはまります。
それで、"試練を与える"のも、"その先にある幸せを準備してくれる"のも、これをできるのって"神さましかできない"って僕は思います。
試練って神さまが作ったもので、その試練に自分だけの幸せのもとが詰まっています。
その自分だけしか分からない幸せを作っているのも神さまです。
こう言う事って、神さまにしかできないものだと思います。
そして、試練を乗り越えて幸せになった時、全てが繋がり、神さまの愛情を感じるのだと思います。
「神さま、ありがとう。」ってなるって事です。
[まとめ]
神さまは試練のその先を見ていると言う話になります。
自分だけのかけがえのない幸せになる為に、その"試練があった理由"になります。
試練があった訳は、自分だけの幸せの為って事です。
試練の最中は、神さまを好きじゃなくなったり、心も体もズタズタになりますが、その試練を乗り越えて幸せみたいなものに出会えたら、これまでの試練が神さまの愛だったんだなとなるって僕は思います。