【ロンドンインター選手権】の会場「ロイヤルアルバートホール」のニュース(下のリンクを参照)に驚き、想いを馳せ…
【前編】に引き続き…【後編】も、
ロンドンインターとロイヤルアルバートホールの思い出をここに記します。(記憶違いなどありましたらすみません💦)
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私達が、ロイヤルアルバートホールで踊った時の裏話を…
ロンドンインターの最終日はコンペスタイルだけでなく、会場自体が通常のダンス大会とは違い、戸惑います💦
楕円形のダンスフロアは他にはないスタイル。正直、慣れないと踊りづらいです😅
ドアオープン前の僅かな時間で、フロアの踊る位置確認を必ずしていました。
選手控室はフロアの階下。
踊る人以外は階下でスタンバイします。
狭い階段を上がってフロアに出て行き、踊り終わったら階段を降りて次の種目まで下で待つ。
つまり、観客が入った状態のフロア上からの景色は、踊っている時間しか見られないのです💦
審査員は17名ずつ(多い❗️)の4つのパネル
(班)に分かれ、予選毎にパネルが変わるのですが…全員フロア内の席に座って担当審査以外のセクションも全て観ています。
つまり、選手がフロアに上がると、楕円形のフロアを取り囲むように総勢70名近くの世界的に有名な審査員がずらりと座って観ているのです❗️
これは…とても緊張しますよ…😅
(写真で椅子に座っている方が審査員です)
そして、
私達にとって忘れられない2004年‼️
初めての準決勝進出!
準決勝進出者のコールで自分の背番号「63番」を聞いた時は、信じられない気持ちでした😆✨
周りを見渡すと錚々たるメンバー!日本人は私達だけ…。
世界チャンピオンのブライアンとカルメンが私達の初セミ入りを祝福してくれました✨
自分がどの様に踊ったのかあまり覚えていないのですが、中村がいつも以上にパワフルだった事は今でも覚えています😊
準決勝はラテンとスタンダードで1種目交代。ここから初めてJIVEの種目が入り、5種目に。
通常の準決勝は5種目連続で、一番キツイ💦ラウンドなのですが、ロンドンインターの準決勝は交互なのでだいぶ楽です。
汗も拭けるし、水も飲める😅
ただ、1曲毎の階段昇降は1曲踊り切った後の足には少し辛いですが、当時は喜びの方が勝っていました✨
そして、決勝進出者のコール…。
決勝への壁が厚い事は承知していましたが、
気持ちとしては、
呼ばれる可能性を最後まで捨てずにいました。
たとえ、「君達は決勝は無理だよ!」と鼻で笑われようとも、出場している以上は決勝・優勝を目指す!
そういう気持ちでずっと踊っていました。
多分、私達だけでなく、その時代一緒に闘っていたダンサー達は皆んなそうだったと思います😊
そしてここで、更に裏話を‼️
(もう少し長くなります…💦)
実は…この2004年は、
『1次予選敗退の危機❗️』がありました😆💦
…これは、ロイヤルアルバートホールの2日前の予選会の話です。
予選会場への主要道路の事故での通行止め&渋滞により、選手が大勢間に合わないかも!という事に😳。
私達は早目に会場入りし、難を逃れました。
主催者側は、
会場に来ている選手だけで先ず1次予選し、『通過しなかった選手』と遅れて来た選手で再び1次予選を行う、【リダンス方式】をとる事に✨
最初の1次予選後『通過しなかった選手』の背番号のコールがあり、呼ばれ無かった私達は2次予選へ通過しているはず…が、
リダンス後、2次予選を開始する前の背番号コールで、何故か私達の番号が呼ばれない⁉️😳
他にも数組同じ様な顔をしていた選手。皆んな準々決勝以上に残るような、顔なじみの選手ばかり…このメンバーが通過してないのはおかしいぞ、😓皆んなで訴えに行こう‼️(リダンスに呼ばれ無かったので絶対に通過してる筈だから)
…と、チェアマンに事情を話し、確認していただき、主催者側のミスが認められて、
私達は皆んな無事踊れる事になりました😊
ちなみに…
一緒に訴えた選手は、もちろん2次予選も通過し、ロイヤルアルバートホールで踊りました。私達と一緒に準決勝に進んだ選手もいました。
この様なハプニングがありましたが、結果的に自分達のその後の自信に繋がる好成績を残せた事で忘れられない出来事となりました。
毎回予選を通過しているからと言って、成績の確証はありません。ロイヤルアルバート行きのコールは毎年ドキドキして具合悪くなる程です💦
…人生何があるか分かりませんね。
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まだまだ、書ききれないほど色々と思い出があります。当時は今ほど海外での成績などの情報が日本に届いてなかった気がしますね。
引退してだいぶ経ちますが、月日が経つほど忘れてしまうので、こうやって私達が経験した情報を沢山の方に知っていただけて、とても嬉しく思います✨
久しぶりに2人で思い出話に花を咲かせていました🌸
私達にとって、ロンドンインターのロイヤルアルバートホールは
たとえ、日本の大会や他の国際大会で思うような結果が残せなくとも、毎年必ずここでは自信を取り戻せる!
そう言える大会であり、だからこそ長く競技を続けていけたのかも知れません。
そんな、思い出深い場所でした…。
どうにか存続して、また来年ロンドンインターをこの会場で開催し、日本人選手が活躍される事を事を心より願っております✨
長文にて失礼しました🙇♀️
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