
慶長5年(1600)、全国を統一した徳川家康は、全国の交通路整備に着手しました。
特に江戸を中心にした、東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道の5街道を定め、
道を整え、宿場や駅を置きました。
そして、江戸防備のため、街道の要所に関所を置き、通行する人や物を監視しました。
江戸幕府がもっとも重要とした関所が、箱根、新居、木曽福島、碓氷の4ヶ所です。
新居の関所は、江戸時代は今切(いまぎれ)関所と言われていました。
初期の頃の関所は浜名湖の今切口(浜名湖が海と接しているところ)の近くにあったからです。
元禄12年(1699)と宝永4年(1707)、大地震による津波などのため、西北へ2度移転しています。
現在の建物は、安政2年(1855)から安政5年にかけて建てられたもので、
当時の建物が現在も残っています。
昭和30年(1955)、国の特別史跡に指定されました。
特別史跡というのは国宝と同等の価値がある史跡という意味です。
新居と隣の舞坂の宿の間には、浜名湖があります。
浜名湖を渡るのに、江戸時代は船を利用しました。
その渡船場は、関所の横にありました。

関所の面番所の建物と、平成14年に復元された渡船場の護岸石垣
「入り鉄砲と出女」という言葉を聞いたことがあると思います。
関所で特に目を光らせていたのが、江戸に入る鉄砲と、江戸から出てくる女でした。
鉄砲はそれを武器に江戸が襲撃されるのを防ぐため、
女は人質として江戸に住まわせている各地の藩主の妻子が江戸を出て国許に戻るのを阻止するためでした。
面番所とそこに居並ぶ役人たち・・・



女性に対しては特に厳しく取り調べられ、少しでも手形に不備があると通行が許可されませんでした。
女っぽい男性は別の場所に連れて行かれて、着物を脱がされ、取り調べられました。


幕末、ヨーロッパから来た人が驚いたことの一つに「旅の安全」がありました。
女でも旅ができることに非常に驚いたようです。
当時のヨーロッパでは旅は、命がけのとても危険なもので、女性が旅をするなんて、考えられませんでした。
安全な旅の理由のひとつに、関所の厳しい取調べなどがあったのでしょうね。
東海道で有名な関所に「箱根」があります。
文献によると、箱根よりも新居の関所の方が、取調べは厳しかったようです。
箱根の関所は小田原藩の管轄でしたが、新居は幕府直轄であったことでも、新居が重要視されていたことがわかります。
箱根の関所を「山の関所」、新居の関所を「海の関所」として、双方の町の交流も始まっているようです。
現在の箱根の関所は、発見された設計図を元に新たに建てられたものです。
新居関跡には新居関所資料館があり、当時の関所に関する資料や当時の手形などが展示されています。
観覧時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌平日)、年末年始
観覧賞 大人300円(団体200円) 小人100円(団体50円)
新居関跡
※訪問は5月21日です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます