26.3.29(土)
やっことこどもたちが実家に行っている間に、別子銅山へ。
<別子銅山>
別子銅山の歴史は、元禄3年(1690年)、別子山中における露頭の発見に始まる。翌年、住友家による別子銅山請負稼業が幕府より認可され、以後昭和48年(1973年)の閉山まで283年間の長きにわたり採鉱が行われ、江戸時代から昭和に至る日本経済を支えるとともに産業の近代化の礎を築いた世界的に知られた鉱山であった。その間、世界にも例がない一企業による採掘が続けられ、その採鉱跡などが、貴重な近代化産業遺構群になっている。
立派なループ橋、清龍橋。
新居浜別子山線は旧別子山と新居浜を結ぶ唯一の道路。
東平エリアに到着
東平は標高750mの山中に位置し、明治35年の第三通洞の貫通を契機に、大正5年から昭和5年まで採鉱本部が置かれた。
最盛期には3,800人もの人口があったそうだ。
プラットホーム跡
旧東平発電所。現在は「マイン工房」として銅版画やレリーフ作りなどが体験できる。
「東洋のマチュピチュ」と称される旧東平貯鉱庫、選鉱場。
東平歴史資料館
ジオラマ小学校
社宅
劇場
実際には、他にも接待館や病院などもあったそうだ。
東平隧道(小マンプ)。トンネル内には、坑内を走っていた運搬器具が展示されている。
大マンプ。長い方のトンネル。雪が残っている。
旧第三変電所
第三通洞
別子銅山支配人伊庭貞剛により、明治27年から作業をはじめ、明治35年には東延斜坑底までの1,820mを貫通した。さらに日浦通洞と繋がることにより、東平~日浦間の約4,000mが結ばれた。昭和13年にはかご電車の運転が始まり、新居浜側と別子側を結ぶ唯一の交通機関として一般にも利用された。
火薬庫跡
自然の家もあった。
道の駅<マイントピア別子>
温泉に入って帰った。