29.9.17(日)
朝起きて、産経新聞に目を通す。
一面の<ヒメたちの見た神と王の物語・神話>シリーズの第9部19代允恭天皇<4>は、古事記に残された兄妹の悲恋の物語であった。
以下は記事の概略。
紀元前435年、允恭天皇の皇太子である木梨軽太子は、実の妹、軽太郎女と許されない恋に落ちてしまった。当時、異母兄弟の結婚は認められていたが、父母が同じ兄弟の恋愛はタブーだった。多くの官人や天下の民は軽太子に背を向け、太子は伊予の湯に流された。
「百官と、天の下の人等、軽太子を背きて、穴穂御子に帰りぬ」
穴穂御子は同母弟。
「人は離ゆとも うるはしと さ寝しさ寝てば 刈薦の 乱れば乱れ さ寝しさ寝てば」
・・・・人心が離れ、人の心が乱れるなら乱れよ。共寝さえできたなら
伊予の湯(道後温泉)に流刑になる際に詠んだ歌
「大君を 島に放らば 船余り い帰りこむぞ わが畳ゆめ 言をこそ 畳と言はめ 我が妻はゆめ」
・・・・妻である軽太郎女に、本来は大君である自分を待つように言い聞かせる内容。
松山市姫原に、いつの頃からか二人を祀った「軽之神社」があり、神社より山裾に二人の塚と言われる比翼塚があるという。
松山市内にあるのか・・・。
台風が過ぎ去るのを待ち、翌日の夕刻、軽之神社へ向かう。
ああ~ここか。秋祭りに来たことがある。思いの外、小さい神社であった。
姫池
比翼塚へ
案内に従って歩くが、気を付けないと見落としそうな比翼塚。
ひっそりとたたずむ。
「天飛ぶ 鳥も使ぞ 鶴が音の 聞えむ時は 吾が名問はさぬ」
・・・・空を飛ぶ鳥は使いだ。鶴が鳴くときは私のことを尋ねてくれ。
軽太郎女は、待ちきれない心情を詠んで軽太子を追った。
「君が行き 日長くなりぬ 山たずの迎えを行かむ 待つには待たじ」
二人はこの地で心中したと、古事記は記している。
※日本書紀は史実として、別の記述を残している。
夜はハルガーデンで、かほが酒好きのパパの相手をしてくれた。
流刑になった一国の皇子とその妹の行き着いた末が、姫原の地にひっそりと祀られた比翼塚・・・。なんとも言えない寂しい感情を、ワインと吹き抜ける秋風が煽ってくる。