テクノロジーアセスメント(環境アセスメントの本質)
清水 宏
環境アセスメントには、大きな勘違いがある。環境アセスメントを否定するものではない必要であることは言うまでも無い。使い方が間違っているのである。これが強調されると、環境に配慮すれば、何でもありという事になってしまう。特に公共事業(行政)に関しては、こんなに都合の良い手法はないのである。以下にその問題の本質について、日頃考えていることを述べたい。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が、1962年(昭和37年)に出版され、化学物質の危険性が論じられ、当時まだ顕在化していなかった、DDTなどの合成化学物質の散布の蓄積が環境悪化を招く問題を告発した。同書を読んだケネディ大統領が強く関心を示し、大統領諮問機関に調査を命じた。そして、1966年(昭和41年)10月に「テクノロジーアセスメント」という言葉が初めて公式に使われた。
日本では、科学技術庁計画局により、昭和46年に米国におけるテクノロジー・アセスメントの現況についての現地調査が行われた。そして、昭和48年に科学技術庁計画局テクノロジー・アセスメント総合検討会により『テクノロジー・アセスメントの定着を目指して』が公表された。
この年代は、日本は、高度成長の真っ只中にあり、テクノロジー・アセスメントがまともに実行されていたら、高度成長には強力なマイナス要因になっただろうと考えられる。すなわち、テクノロジー・アセスメントが、生産・建設など高度成長の目玉となる事業のあり方を規制するため、成長が鈍ることのになるのである。そして、公共事業を経済政策に組み込むことも難しくなったであろう。
このような時代背景で、テクノロジー・アセスメントの主題を歪めたのが環境アセスメントの考え方である。言い換えると、テクノロジー・アセスメントをその一要素である環境問題へと矮小化し、すり替えてしまったのである。環境対策さえあれば、事業の是非が問われなくなってしまったのである。
実例を示した方が理解しやすいと思われる。有明海の干拓事業では、昭和61年12月から環境影響評価を実施し、事業に着手してきた。そして、平成9年4月、潮受堤防の締切りがあり、平成11年3月に潮受堤防の完成を見ている。平成13年8月から総合的な事業の見直しの検討があり、平成14年6月に事業計画が変更された。
総合的な事業の見直しと事業計画の変更として、平成13年の事業の再評価を踏まえて、
・防災機能の十全な発揮
・概成しつつある土地の早期の利用
・環境への一層の配慮
・予定された事業期間の厳守
の視点に立って、多方面からの検証を行い、総合的な検討を実施している。
その結果、新たな干陸は行わず、干拓面積を約2分の1に縮小するとともに、一層の環境配慮対策を実施すること等を内容とする見直しを行い、平成14年6月に事業計画が変更されたのである。潮受堤防が完成してから総合的な事業の見直しがあり、どう見ても変な理屈である。そして、「環境配慮対策を実施する」として、事業が評価(テクノロジー・アセスメントが実施)されることはなかった。
もう一つ例を挙げたい。中部横断自動車道である。中部横断自動車道は、静岡市清水区の新清水ジャンクション から長野県小諸市の佐久小諸ジャンクションに至る延長約132kmの高速道路である。現在、八千穂高原IC~佐久小諸JCT間が完成し供用が開始している。また、山梨県側の双葉JCTから静岡県の新清水JCT間が2020年には開通予定となっている。
長坂JCTから八千穂高原IC間の基本計画は公示されているものの開通は未定である。この区間は、自然度の高く観光価値の高い八ヶ岳山麓を通過することになり、多分にもれず、ここでも環境対策が表面化し、環境問題が解決すれば事業が進むような情勢である。
当路線は昭和46年に計画され、「昭和62年に閣議決定されたものである。」とされたもので、30年以上経過している。環境対策だけが俎上に上がり、いわゆる環境アセスメントが進められている模様であるが、30年以上の時間経過し、当時とは社会や生活・経済情勢などが全く変化し、更に、少子化もあり、将来の人口動勢を考慮すると、当時の計画がそのまま具現化されることには大いに疑問がある。
すなわち、計画そのものを見直す必要がある。この手法がテクノロジー・アセスメントである。検討要件としては、技術はもちろんのこと社会・生活・経済・環境など、関係するありとあらゆる項目が挙げられる。工事の実施に当たって、ワーキンググループおよび委員会が組織されたが、特に委員会を見ると、道路計画の専門家は認められず、単に有識者として招集されたように見られる。
テクノロジー・アセスメントの考え方からすると、いろいろな分野の専門家が集められなければならないはずである。道路行政に関しての素人が集まり、道路行政の示した計画を追認し、環境対策には十分考慮するとその結果を関係地域の住民に説明したものである。言い換えると、環境対策を表に出すことによって、本来あるべき道路の技術的評価を説明することなく隠してきたのである。
逆に見ると、環境問題が大きくなるほど技術に関する議論は薄くなり、行政の思うつぼとなるのである。筆者は、地元の説明会の出てみたが、多くは環境対策(地元も行政も)の話で道路の技術的評価の説明は一切無かった。行政は、道路を造ることが目的であり、そのための免罪符が、環境対策である。もちろん一通りの文句は言ってみたが通じた様子はなく、後日、技術に係わる意見書は提出した。
主題のテクノロジー・アセスメントと環境対策について述べる。公共事業は、あらゆる生活や経済活動などのための手段である。決して、目的ではない。筆者が関係してきた治山事業や砂防事業でも、経済政策に取り込まれ、施設の築造が目的とされてきた。手段の目的化である。
本来ならば治山技術・砂防技術そのものが評価されなければならないところが、施設の築造が目的化されてきたため、施設が評価されることなく環境評価が、施設築造の免罪符となってしまったのである。言い換えると、環境対策さえあれば、施設築造の意味が問題視されることがなかったのである。このことは、行政にとって、非常に都合の良い結果であった。
平成9年6月13日(最終改定:平成26年6月4日)に環境影響評価法が公布された。環境影響評価法は、大規模公共事業など環境に大きな影響を及ぼす恐れのある事業を実施する事業者自らが環境への影響を予測評価し、その結果に基づいた事業を回避し、または事業の内容をより環境に配慮したものとしてゆく環境アセスメントについての手続きを定めた法律である。
本来ならば、テクノロジー・アセスメント法でなければならないところである。すなわち、技術そのものがアセスメントの対象とならなければならないのであり、環境アセスメントは、その一部にすぎないのである。環境に配慮すれば、技術が抱える問題は問われないということは、行政にとって、非常に都合が良いものである。
そして、市民が環境環境と声を大きくすればするほど、技術(事業)にとって、都合が良いのである。先の例のように、有明海の干拓事業では、堤防を建設してから事業目的を変えるという見苦しいまでの失態を行っている。行政は、ここまでして、形振りかまわず事業を進めたいのである。
また、中部横断自動車道にしても、昭和46年(1971年)に計画され、ほぼ50年経過し社会情勢や生活様式・経済状況など全く変わっているにもかかわらず、計画当時と全く同じ路線で実施されようとしている(八ヶ岳区域を残して施工済み)。技術の責任として、環境アセスメントではなくテクノロジー・アセスメントの考え方が必要である。
環境アセスメントと決定的に異なるのは、いわゆる環境ばかりでなく人間生活そのものも対象となることである。すなわち、計画側にとって負となる要件は全て含まれ、計画側は、これを技術上の責任として主体的に解決しなければならない。例えば、農業への影響、商業への影響、促進するかも知れない過疎問題等々あらゆる要件を検討しながら、路線設定や計画の見直しが行われなければならない。環境対策を、事業実行の隠れ蓑(免罪符)にするべきでないのである。
清水 宏
環境アセスメントには、大きな勘違いがある。環境アセスメントを否定するものではない必要であることは言うまでも無い。使い方が間違っているのである。これが強調されると、環境に配慮すれば、何でもありという事になってしまう。特に公共事業(行政)に関しては、こんなに都合の良い手法はないのである。以下にその問題の本質について、日頃考えていることを述べたい。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が、1962年(昭和37年)に出版され、化学物質の危険性が論じられ、当時まだ顕在化していなかった、DDTなどの合成化学物質の散布の蓄積が環境悪化を招く問題を告発した。同書を読んだケネディ大統領が強く関心を示し、大統領諮問機関に調査を命じた。そして、1966年(昭和41年)10月に「テクノロジーアセスメント」という言葉が初めて公式に使われた。
日本では、科学技術庁計画局により、昭和46年に米国におけるテクノロジー・アセスメントの現況についての現地調査が行われた。そして、昭和48年に科学技術庁計画局テクノロジー・アセスメント総合検討会により『テクノロジー・アセスメントの定着を目指して』が公表された。
この年代は、日本は、高度成長の真っ只中にあり、テクノロジー・アセスメントがまともに実行されていたら、高度成長には強力なマイナス要因になっただろうと考えられる。すなわち、テクノロジー・アセスメントが、生産・建設など高度成長の目玉となる事業のあり方を規制するため、成長が鈍ることのになるのである。そして、公共事業を経済政策に組み込むことも難しくなったであろう。
このような時代背景で、テクノロジー・アセスメントの主題を歪めたのが環境アセスメントの考え方である。言い換えると、テクノロジー・アセスメントをその一要素である環境問題へと矮小化し、すり替えてしまったのである。環境対策さえあれば、事業の是非が問われなくなってしまったのである。
実例を示した方が理解しやすいと思われる。有明海の干拓事業では、昭和61年12月から環境影響評価を実施し、事業に着手してきた。そして、平成9年4月、潮受堤防の締切りがあり、平成11年3月に潮受堤防の完成を見ている。平成13年8月から総合的な事業の見直しの検討があり、平成14年6月に事業計画が変更された。
総合的な事業の見直しと事業計画の変更として、平成13年の事業の再評価を踏まえて、
・防災機能の十全な発揮
・概成しつつある土地の早期の利用
・環境への一層の配慮
・予定された事業期間の厳守
の視点に立って、多方面からの検証を行い、総合的な検討を実施している。
その結果、新たな干陸は行わず、干拓面積を約2分の1に縮小するとともに、一層の環境配慮対策を実施すること等を内容とする見直しを行い、平成14年6月に事業計画が変更されたのである。潮受堤防が完成してから総合的な事業の見直しがあり、どう見ても変な理屈である。そして、「環境配慮対策を実施する」として、事業が評価(テクノロジー・アセスメントが実施)されることはなかった。
もう一つ例を挙げたい。中部横断自動車道である。中部横断自動車道は、静岡市清水区の新清水ジャンクション から長野県小諸市の佐久小諸ジャンクションに至る延長約132kmの高速道路である。現在、八千穂高原IC~佐久小諸JCT間が完成し供用が開始している。また、山梨県側の双葉JCTから静岡県の新清水JCT間が2020年には開通予定となっている。
長坂JCTから八千穂高原IC間の基本計画は公示されているものの開通は未定である。この区間は、自然度の高く観光価値の高い八ヶ岳山麓を通過することになり、多分にもれず、ここでも環境対策が表面化し、環境問題が解決すれば事業が進むような情勢である。
当路線は昭和46年に計画され、「昭和62年に閣議決定されたものである。」とされたもので、30年以上経過している。環境対策だけが俎上に上がり、いわゆる環境アセスメントが進められている模様であるが、30年以上の時間経過し、当時とは社会や生活・経済情勢などが全く変化し、更に、少子化もあり、将来の人口動勢を考慮すると、当時の計画がそのまま具現化されることには大いに疑問がある。
すなわち、計画そのものを見直す必要がある。この手法がテクノロジー・アセスメントである。検討要件としては、技術はもちろんのこと社会・生活・経済・環境など、関係するありとあらゆる項目が挙げられる。工事の実施に当たって、ワーキンググループおよび委員会が組織されたが、特に委員会を見ると、道路計画の専門家は認められず、単に有識者として招集されたように見られる。
テクノロジー・アセスメントの考え方からすると、いろいろな分野の専門家が集められなければならないはずである。道路行政に関しての素人が集まり、道路行政の示した計画を追認し、環境対策には十分考慮するとその結果を関係地域の住民に説明したものである。言い換えると、環境対策を表に出すことによって、本来あるべき道路の技術的評価を説明することなく隠してきたのである。
逆に見ると、環境問題が大きくなるほど技術に関する議論は薄くなり、行政の思うつぼとなるのである。筆者は、地元の説明会の出てみたが、多くは環境対策(地元も行政も)の話で道路の技術的評価の説明は一切無かった。行政は、道路を造ることが目的であり、そのための免罪符が、環境対策である。もちろん一通りの文句は言ってみたが通じた様子はなく、後日、技術に係わる意見書は提出した。
主題のテクノロジー・アセスメントと環境対策について述べる。公共事業は、あらゆる生活や経済活動などのための手段である。決して、目的ではない。筆者が関係してきた治山事業や砂防事業でも、経済政策に取り込まれ、施設の築造が目的とされてきた。手段の目的化である。
本来ならば治山技術・砂防技術そのものが評価されなければならないところが、施設の築造が目的化されてきたため、施設が評価されることなく環境評価が、施設築造の免罪符となってしまったのである。言い換えると、環境対策さえあれば、施設築造の意味が問題視されることがなかったのである。このことは、行政にとって、非常に都合の良い結果であった。
平成9年6月13日(最終改定:平成26年6月4日)に環境影響評価法が公布された。環境影響評価法は、大規模公共事業など環境に大きな影響を及ぼす恐れのある事業を実施する事業者自らが環境への影響を予測評価し、その結果に基づいた事業を回避し、または事業の内容をより環境に配慮したものとしてゆく環境アセスメントについての手続きを定めた法律である。
本来ならば、テクノロジー・アセスメント法でなければならないところである。すなわち、技術そのものがアセスメントの対象とならなければならないのであり、環境アセスメントは、その一部にすぎないのである。環境に配慮すれば、技術が抱える問題は問われないということは、行政にとって、非常に都合が良いものである。
そして、市民が環境環境と声を大きくすればするほど、技術(事業)にとって、都合が良いのである。先の例のように、有明海の干拓事業では、堤防を建設してから事業目的を変えるという見苦しいまでの失態を行っている。行政は、ここまでして、形振りかまわず事業を進めたいのである。
また、中部横断自動車道にしても、昭和46年(1971年)に計画され、ほぼ50年経過し社会情勢や生活様式・経済状況など全く変わっているにもかかわらず、計画当時と全く同じ路線で実施されようとしている(八ヶ岳区域を残して施工済み)。技術の責任として、環境アセスメントではなくテクノロジー・アセスメントの考え方が必要である。
環境アセスメントと決定的に異なるのは、いわゆる環境ばかりでなく人間生活そのものも対象となることである。すなわち、計画側にとって負となる要件は全て含まれ、計画側は、これを技術上の責任として主体的に解決しなければならない。例えば、農業への影響、商業への影響、促進するかも知れない過疎問題等々あらゆる要件を検討しながら、路線設定や計画の見直しが行われなければならない。環境対策を、事業実行の隠れ蓑(免罪符)にするべきでないのである。