先日雨の日に石田徹也展を見に出かけた。
石田さんの作品を見るのは二度目で、前回は2008年に練馬美術館でやった「僕たちの自画像」展で初めて本物を見ました。
本物の作品を前にして思う感想は前回と同じものだった。
それは画集や画像で見るほど悲痛さは感じないといった感想だ(いい意味で)。
初めて石田作品を画集で見た時、とても重苦しく胸に痛く、悲しくなったのを未だによく覚えている。それは亡くなってしまったという事実ももちろんあったのだろうが、他の理由は何だろう?
本物を見に行った時感じたのは圧倒的なパワーと丁寧に緻密に描く喜びの様なものだ。語弊はあるような気もするが、喜びといった言葉になってしまったが、単純に絵を描くことを好きな本物の画家だと思ったのだった。それは変な話2005年に見たゴッホ展で感じたものとよく似ていた。
描きながらの葛藤はもちろんあるだろうけど、幸せや嬉しさや恍惚となるようなすばらしい時間を絵とともに過ごせてないとでないパワーなのだ。
ではなぜ画像や画集では悲痛さばかりが強く前面にでてしまうのかだけれど、ひとつは大きさがかなり影響される気がする。
画集やパソコン画面などの同じ様な限られた大きさで同じ比重で絵作りだけ見ると、描かれている内容ばかりに目がいってしまうのかもしれない。
本物は100号級のデカい絵もかなり多く(それ以上も)、細かく描かれているし、作品と距離を近づけたり離れたりしながら対話ができる。それを美術館にある大小の石田作品一個一個づつおこなうのだから、画集とは違って当たり前と言えば当たり前なのだけれど、、、。
他には絵の具の物質感とかいろいろ言うことは出来るけれどもなお、なぞはあまり解けてない感もある。何故ってそんな事は画集なんかが出てる画家が美術館でやった際どの画家にしても言えることで、石田作品程画集と違う印象を持った画家は他にはいないからだ。
圧倒的なパワー、もちろん痛さはあるけれどそんな石田作品の強さに惹かれます。
僕と同じ様な印象を持った方はいますでしょうか?
そして画集や画像を見て悲痛な絵だなと感じて本物を見てない方は見に行ってみた後感想聞いてみたいです。
秦健児
http://hatakenji.seesaa.net/
P.S.平塚美術館の展示は今日でおわりですが、、、。
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