いずれに理があるかという論議と説得を人々の前に示す。つまり言葉のもつ力がすべての信頼をなす。そこに集まったチカラとは、旗印がもつ意識の方向であり、色を示すことになる。快い光や組み合わせがあれば、いっそうの畝りとなって、全体の拡大して共同の道を照らす。
この道を行くには、その大小に関わらずシッカリと見えることが重要である。目で確かめることはもちろん、両脚の土踏まずで感受しながら、理想の間合いを求めて歩むことができる。しかし、中西進さんは新聞に書いていた。民主という概念は、心における倫理上の制度であり、店先で売っているようなものでない。自ら心で養うしかない。価値観は体験でしか育たないと。
近年はデジタルデータが経済や暮らしに有用になっている。人間の目に見えない世界の判断には有用かもしれないが、如何に人間社会に充満する人々のつながりの快に融合させるかであるが、その震源は、思いを巡らす心にある。素敵に見える革新性やシステムもいいが、人々の暮らしや日常の間合いを大切にする行動文化、素敵な言葉の行き交う社会であってほしい。石田 章一
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