では・・・
後半戦スタートです!
【不動堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
本堂近くの不動堂は昭和52年建立の祈祷堂です。
御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。
不動明王様は、邪を破り、我々の過ちを正してくれる仏様で、少々厳しいお顔をされています。
皆様の願い事に応じて家内安全・病気平癒・受験合格・交通安全などの御祈祷をしている不動堂、今日では多くの信者さんを集め一年を通して御祈祷が絶えません。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【峯薬師堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
境内の別峯に建っていましたが、度重なる野火にあい、1689年に現在地に移されました。
讃衡蔵(さんこうぞう)に安置されている丈六(じょうろく)の薬師如来(やくしにょらい)はもとはこの堂の本尊でした。
堂の向かって右傍に建つ石造の宝塔(ほうとう)は12世紀のもので、重要文化財に指定されています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【大日堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
1802年の再建で、本尊は金剛界大日如来(こんごうかいだいにちにょらい)。
前庭に建つ石造の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は1823年に造立されました。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【大日堂付近の様子】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
これしか書けない・・・笑
【旧鐘楼】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
康永二(1343)年、金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調の梵鐘。
撞座は長い歳月にわたる打鐘により窪み、今この鐘が撞かれることはめったにないことである。
銘文には建武四(1337)年、山内の堂塔が火災により焼失した旨を刻し、奥州藤原氏以後の歴史を伝える貴重な資料でもある。
径86cm。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【阿弥陀堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
1715年に再建され、本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。
蔵王権現(ざおうごんげん)を合祀(ごうし)し、大黒天も安置されています。
また1845年に奉納された和算(わさん)の算額(さんがく)が堂内に掲げられています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【弁財天堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
本尊の弁財天十五童子(べんざいてんじゅうごどうじ)は仙台藩主伊達綱村公(だてつなむらこう)の正室仙姫(せんひめ)によって1075年に寄進されたもので、堂は1716年に建立されました。
また堂内には千手観音菩薩二十八部衆(せんじゅかんのんにじゅうはちぶしゅう)も安置されています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【白山神社の鳥居&参道】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
中尊寺の境内を過ぎて最奥右手が白山神社の境内です!
参道入口には大きな朱色な鳥居が立っています。
参道の両側は杉の大木が並んでおります!
【能楽堂とその周辺】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
古来、卯月初午の日に催行された中尊寺鎮守・白山神社の祭礼では、中尊寺一山の僧侶によって「古実舞(古実式三番)」と「御神事能」が神前に奉納されてきました。
現在も毎年5月4日・5日に古実式三番と神事能が中尊寺一山の僧侶によって勤められます。
この能舞台は嘉永六(1853)年、伊達藩によって再建されたもので、正統かつ本格的な規模と形式の能舞台として、平成15(2003)年に国の重要文化財に指定されました。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【白山神社】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
中尊寺の北方を鎮守(ちんじゅ)するため、850年に中尊寺を開いた慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)がこの地に勧請(かんじょう)したと伝えられています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【大長寿院】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
『吾妻鏡』によれば、二階大堂(大長寿院と号す)の高さは五丈(約15m)、本尊は三丈(約9m)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8m)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれます。
1189(文治5)年、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は、鎌倉に、これを模した永福寺を建て、奥州藤原氏と源義経の霊を弔いました。現在の本堂は、1863(文久3)年の再建。
本尊は胎蔵界大日如来。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【釈迦堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
1719年の再建で本尊は釈迦三尊(しゃかさんぞん)様です。
正月6日には、中尊寺の多くの僧侶達によって正月の法要が営まれています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【讃衡蔵&金色堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
いよいよ有料ゾーンへの突撃です!
<讃衡蔵>
讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。
平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。
<金色堂>
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元(1124)年に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
まず堂内の装飾に目を奪われます。
4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。
この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。
血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。(国宝)
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
内部は残念ながら撮影NGなので写真は無いです・・・
金色堂は照明とその雰囲気からこの世の物とは思えない物凄いオーラを醸し出しておりましたよ~
機会があったら是非、拝観する事をお薦め致します!
【賢治詩碑】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
金色堂の敷地内の一角にございます!
イーハトーブですなぁ~
岩手県のスーパースターである宮沢賢治と中尊寺がコラボしておりました!
【経蔵】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
「中尊寺建立供養願文」によると、当初は「2階瓦葺」でした。建武4(1337)年の火災で上層部を焼失したと伝えられていますが、おそらくは古材をもって再建されたものでしょう。
当初のあざやかな彩りや飾りは長い歳月によってすっかり洗い流されていて、金色堂とは対照的な趣があります。
ご本尊騎師文殊菩薩(重文)と三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経(国宝)は宝物館「讃衡蔵」に移され、新たな騎師文殊菩薩が安置されています。(重文)
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【開山天満宮】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
鎌倉時代、菅原道真公第十四世孫五条為視公が勅命により奥州平泉へ下向逗留の時、出生した乙王丸(後の中尊寺経蔵別当第十三世行栄和尚)に京都北野天満宮より勧請して授けた天満大自在天神の御真影と観世音菩薩をお祀りしている。
ってな事が書いてありました!(笑)
【芭蕉翁像 奥の細道】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
平成元年5月13日「奥の細道」300年記念建立との事・・・
伊賀の忍はコチラにいらっしゃいましたか・・・笑
【旧覆堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
金色堂を風雪から護るために、正応元(1288)年、鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる5間4方の堂で、古い記録には「鞘堂」とも記されています。
「鞘」の字には「大切なものを保護するためにかぶせたり、覆ったりするもの」という意味があるからです。
松尾芭蕉をはじめとする文人墨客、あるいは伊達政宗、明治天皇といった歴史上の人物は、薄暗いこの堂内に入り金色堂を参拝したわけです。
金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在地に移築されました。
近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられ、何度かの増改築を経て、現在の建物は室町時代に建てられたと考えられています。(重文)
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
国宝建造物第1号&世界文化遺産をじっくりと堪能し・・・
とっても有意義なひと時となりました!
後半戦スタートです!
【不動堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
本堂近くの不動堂は昭和52年建立の祈祷堂です。
御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。
不動明王様は、邪を破り、我々の過ちを正してくれる仏様で、少々厳しいお顔をされています。
皆様の願い事に応じて家内安全・病気平癒・受験合格・交通安全などの御祈祷をしている不動堂、今日では多くの信者さんを集め一年を通して御祈祷が絶えません。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【峯薬師堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
境内の別峯に建っていましたが、度重なる野火にあい、1689年に現在地に移されました。
讃衡蔵(さんこうぞう)に安置されている丈六(じょうろく)の薬師如来(やくしにょらい)はもとはこの堂の本尊でした。
堂の向かって右傍に建つ石造の宝塔(ほうとう)は12世紀のもので、重要文化財に指定されています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【大日堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
1802年の再建で、本尊は金剛界大日如来(こんごうかいだいにちにょらい)。
前庭に建つ石造の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は1823年に造立されました。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【大日堂付近の様子】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
これしか書けない・・・笑
【旧鐘楼】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
康永二(1343)年、金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調の梵鐘。
撞座は長い歳月にわたる打鐘により窪み、今この鐘が撞かれることはめったにないことである。
銘文には建武四(1337)年、山内の堂塔が火災により焼失した旨を刻し、奥州藤原氏以後の歴史を伝える貴重な資料でもある。
径86cm。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【阿弥陀堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
1715年に再建され、本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。
蔵王権現(ざおうごんげん)を合祀(ごうし)し、大黒天も安置されています。
また1845年に奉納された和算(わさん)の算額(さんがく)が堂内に掲げられています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【弁財天堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
本尊の弁財天十五童子(べんざいてんじゅうごどうじ)は仙台藩主伊達綱村公(だてつなむらこう)の正室仙姫(せんひめ)によって1075年に寄進されたもので、堂は1716年に建立されました。
また堂内には千手観音菩薩二十八部衆(せんじゅかんのんにじゅうはちぶしゅう)も安置されています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【白山神社の鳥居&参道】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
中尊寺の境内を過ぎて最奥右手が白山神社の境内です!
参道入口には大きな朱色な鳥居が立っています。
参道の両側は杉の大木が並んでおります!
【能楽堂とその周辺】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
古来、卯月初午の日に催行された中尊寺鎮守・白山神社の祭礼では、中尊寺一山の僧侶によって「古実舞(古実式三番)」と「御神事能」が神前に奉納されてきました。
現在も毎年5月4日・5日に古実式三番と神事能が中尊寺一山の僧侶によって勤められます。
この能舞台は嘉永六(1853)年、伊達藩によって再建されたもので、正統かつ本格的な規模と形式の能舞台として、平成15(2003)年に国の重要文化財に指定されました。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【白山神社】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
中尊寺の北方を鎮守(ちんじゅ)するため、850年に中尊寺を開いた慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)がこの地に勧請(かんじょう)したと伝えられています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【大長寿院】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
『吾妻鏡』によれば、二階大堂(大長寿院と号す)の高さは五丈(約15m)、本尊は三丈(約9m)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8m)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれます。
1189(文治5)年、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は、鎌倉に、これを模した永福寺を建て、奥州藤原氏と源義経の霊を弔いました。現在の本堂は、1863(文久3)年の再建。
本尊は胎蔵界大日如来。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【釈迦堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
1719年の再建で本尊は釈迦三尊(しゃかさんぞん)様です。
正月6日には、中尊寺の多くの僧侶達によって正月の法要が営まれています。
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【讃衡蔵&金色堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
いよいよ有料ゾーンへの突撃です!
<讃衡蔵>
讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。
平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。
<金色堂>
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元(1124)年に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
まず堂内の装飾に目を奪われます。
4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。
この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。
血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。(国宝)
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
内部は残念ながら撮影NGなので写真は無いです・・・
金色堂は照明とその雰囲気からこの世の物とは思えない物凄いオーラを醸し出しておりましたよ~
機会があったら是非、拝観する事をお薦め致します!
【賢治詩碑】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
金色堂の敷地内の一角にございます!
イーハトーブですなぁ~
岩手県のスーパースターである宮沢賢治と中尊寺がコラボしておりました!
【経蔵】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
「中尊寺建立供養願文」によると、当初は「2階瓦葺」でした。建武4(1337)年の火災で上層部を焼失したと伝えられていますが、おそらくは古材をもって再建されたものでしょう。
当初のあざやかな彩りや飾りは長い歳月によってすっかり洗い流されていて、金色堂とは対照的な趣があります。
ご本尊騎師文殊菩薩(重文)と三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経(国宝)は宝物館「讃衡蔵」に移され、新たな騎師文殊菩薩が安置されています。(重文)
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
【開山天満宮】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
鎌倉時代、菅原道真公第十四世孫五条為視公が勅命により奥州平泉へ下向逗留の時、出生した乙王丸(後の中尊寺経蔵別当第十三世行栄和尚)に京都北野天満宮より勧請して授けた天満大自在天神の御真影と観世音菩薩をお祀りしている。
ってな事が書いてありました!(笑)
【芭蕉翁像 奥の細道】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
平成元年5月13日「奥の細道」300年記念建立との事・・・
伊賀の忍はコチラにいらっしゃいましたか・・・笑
【旧覆堂】
じゃじゃ~ん!
こ~んな感じ・・・
金色堂を風雪から護るために、正応元(1288)年、鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる5間4方の堂で、古い記録には「鞘堂」とも記されています。
「鞘」の字には「大切なものを保護するためにかぶせたり、覆ったりするもの」という意味があるからです。
松尾芭蕉をはじめとする文人墨客、あるいは伊達政宗、明治天皇といった歴史上の人物は、薄暗いこの堂内に入り金色堂を参拝したわけです。
金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在地に移築されました。
近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられ、何度かの増改築を経て、現在の建物は室町時代に建てられたと考えられています。(重文)
以上。公式HPより勝手に抜粋・・・
国宝建造物第1号&世界文化遺産をじっくりと堪能し・・・
とっても有意義なひと時となりました!