おらの人生 空回り。 骨折り損…ですわ

あれから・・・2

阪神淡路大震災・・・26年前。時の経過は早すぎる。日本人は喉元過ぎれば熱さ忘れるたとえ通り震災や水害や火災などで実体験をしない者は災害など他人事で言葉だけを記憶にとどめその時の気持ちや経験は残らない。
だから、喉元過ぎれば・・・であり、災害は忘れた頃に・・・なんだろう。

俺は、ま、過去に何回かUPしたが、中学3年の高校受験まであと10日という日に、自宅が火災に見舞われ、仏壇と子供のころのわずかな写真だけを残してすべて灰になった。もちろん教科書も参考書も予想問題集も・・・筆記用具も…思い出の品も。
幸い死傷者もなく隣家の類焼は免れた。雪が多かったことと、その時の家は吹き抜けがあって、そこから屋根に抜けた炎が屋根の大量の雪のおかげでやや沈静化したのと、家のサイドは土壁の家で林家と50Cm程度しか離れていないけど類焼は免れたんだよ・・・・。
ま、その話は別として、その影響下災害とかとなると他人事には思えない。あの火災の翌日に届いた赤十字の段ボール二箱・・・衣類とか毛布とか・・・ありがたかった・・・うれしかった。
人の善意が・・・

だからからなんだろうが、大きな額ではないが、少しだけ災害寄付はさせてもらってる。
少しで役立ってくれれば、災害にあった人に笑顔が戻れば俺も嬉しい。
カッコつけて多額の寄付や義援金はできないけど、気持ちは入れさせてもらってる。

こうした経験をすると、例えばどうしても行き過ぎた危機意識になってしまうのかもしれない。
家を留守にするときにいったん玄関にたどり着いても、最後にもう一度確認行為をしてしまう。
出張とか旅行とかちょっとした外出でも、もし万が一と、かばんやバックに人から見たら???みたいなグッズを忍ばせる。
車にも、いつでもどこでもと思い、一人キャンプに車中泊できるものを入れておく。
危機管理とは言わないが、なにかあったらとの思いが強い。

・・・燃え盛る炎の中にで唖然として夢や夢やと思いながら、つながらない電話(熱で線が溶けていたと思う)に背中に迫る炎とどうしたらいいかわからないパニックになった経験を二度としたくない・・・・。
それと、普通はあの頃は寝てしまうのが多かったんだが、たまたまテレビを見ていて臭いと音で気づいて・・・一歩間違えていれば・・・この世にいなかった。

結局、県立A高校受験は失敗。私立の2次募集で合格したけど、田舎じゃ県立高校至上主義なんで、肩身が狭かったな・・・。県立A高校に落ちたから母はどうしても孫には県立A高校に行ってほしかったみたいだけど、長男は高専・・・国立なんだけどな・・・県立A高校じゃないの?と残念そうだったな…(笑)
娘は私立のスーパー進学コース・・・偏差値的には高位なんだけど、県立高校至上主義なんでね・・・。漸く末っ子が県立A高校に合格したが…母はすでに他界!ま、あの世で喜んでいるだろうがね・・・。

だから、我が家では、県立を落ちて私立高校から一応地方の国立大学にいった俺だが、我が家での成績ランクは最下位の評価・・・ま、仕方ないよね・・・数学が200点満点中8点しかとれないんだもの・・・・デブで眼鏡をかけて小さくて、歩くの遅いし、忘れぽいし、耳が遠くなるし・・・。はぁ~いいとこ無いよね・・・ (´;ω;`)ウッ…
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