悪夢のような震災。
今でも忘れられない幾つかの記憶。
揺れる直前、目が覚めた。次の瞬間揺れた。二階のベッドが激しい横揺れ。震度4程度!直感的に縦揺れではない、ということ近くではない、どこだ?…………東海?
と思ったら姉からの電話。今、ものすごく揺れたけど、大丈夫? 姉のところから約350キロ。
直ぐにTVを点けたが、ニュースではまだ情報が錯綜していて震源がわからない。
次々に情報が入り、大阪で震度6!
えっ?関西?何処や⁉️
姉から電話やから神戸ではない!じゃ、どこ?大阪?和歌山?何処や?
ニュースでは、神戸❗
えっ?神戸?さっき姉から………
ニュース映像が!ヘリからの映像!煙、炎❗ ここは?ん?新長田駅や!おじさんとこや!
えっ?えっ?神戸?本当に神戸?………
もう一回、姉に電話や!
繋がった! お前か?(甥っ子弟)ねーちゃんは?義兄は?えっ、区役所へ走った?お前んとこなんともないんか?
えっ、タンスは倒れたけど何ともない!元気や!怪我してないし………廻りも家は潰れてないし、火事もない。こっちは何ともないで!
そっか!TVでな………えっ?停電?じゃ、情報は?わからん?そっか!………ほな、ええか、よー聞け、震源は神戸とのこと。震度6以上………ヘリコプター映像でみる限り新長田駅付近で大規模な火災。長田のおっちゃんとこや!なんとか見に行ってくれへんか!
わかった!任しとき!
その会話のあと電話が繋がらなくなって、姉家族や長田のおっちゃんとおばちゃんの安否はわからなくなってしまった。
ニュースに釘付けで………そうや、ともかく救援物資や!と午前中の休暇とって、ホームセンターへ!トイレットペーパー、ティッシュ、缶詰、サトウのごはん!等諸々………。
結局その夜連絡が付かず心配していたら、夜中の2時、姉から電話が…………今、西市民病院や!最前線や、戦場の病院や!電気ない、暗やみの中で懐中電灯を使って手術しとる!医者や看護婦からは行政は何しとん!機材があらへん!非常電源はないんか!罵声に怒号………
そう言って 泣いて電話を切った。
そのあとは…………漸く一週間程度あとに電話が繋がり長田のおっちゃんやおばちゃん、姉家族も知り合いも命だけは助かったとのこと。長田のおっちゃんらはバイクで様子を見に来た甥っ子が無事を確認。但し家は潰れて………甥っ子長男が弟が確認してきた通行できる道路を使い姉宅へ避難させたそう。甥っ子らよーやった‼️
救援は復興のための公的支援車輌の通行の邪魔になるから、後でええで!という事でお見舞いに行ったのは二月の終わり………とある居酒屋で親族が集まって無事を確認して………涙が出たな、みんなともかく無事で。
翌日、三ノ宮、新長田駅駅前に行ったけど、見るものが無惨で、三ノ宮の山手の方を見て泣いたのは覚えてる。自然に涙がでた。数ヵ月前にここの風景を見ていたからな………。
でも、震災という苦難を乗り越えようとする気迫までも行かないが、何かしら…立ち向かっていこうという姿勢は凄く感じた。
そう、このままでは終わらん!という気持ちがあったわ………。
あれからもう26年………
コロナに敗けへんで❗とみんなで気合いを入れて欲しいけど…なんや目に見えない物、先の見えない戦いに疲れてきたような………
震災や水害とは全く違う戦いで、戦略も作戦も戦術も示されないから目標設定が出来ず、みんな不安のまま………透明人間と戦うような………そんな不毛の戦い、指揮官の力量が問われるんだが……………
今のままじゃな………。