<テニス:全豪オープン>◇26日◇メルボルン・メルボルンパーク◇女子シングルス決勝◇優勝賞金410万豪ドル(約3億3000万円)
大坂なおみは北海道出身の母・環さんとハイチ出身の父フランソワさんとの間に大阪で生まれ、3歳で米国に移住した。二重国籍で、日本語は話す方が苦手。それでも、日本登録で出場し、「日本人」として初の快挙を成し遂げた。大坂が日本登録で出場する理由とは?
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大坂が準決勝を戦う前、1人の米国女性記者が「彼女は本当は米国人よ」と言ってきた。その記者は、昨年10月のツアー最終戦WTAファイナルの時にも、米国の元世界女王キング夫人に「なぜ大坂を日本に持って行かれたのか」とかみついていた。
3〜4歳時、生まれた大阪から米国に移住した大坂は、日本の記憶はおぼろげだ。米フロリダ在住で言葉も英語の方が流ちょう。日米の二重国籍なため、米国記者が、米国を選んだ方がいいと思うのも当然かもしれない。ならば、なぜ大坂一家は、なおみをいまだに日本登録にしているのか。
13年9月の東レ・パンパシフィック大会の時だった。日本テニス協会の女子代表コーチだった吉川真司氏(40)は、日本登録で出場していた選手をくまなくチェックしていた。予選1回戦で敗れたが、1人の初めて見る選手に、目がくぎ付けになった。それが15歳の大坂だった。
「すごい才能だと思った」。すぐに当時の女子代表監督だった村上武資氏、植田実強化本部長に大坂の存在を報告。大坂が16年全豪で予選を勝ち上がり本戦で3回戦に進むと、米国協会は強烈なアプローチを仕掛けてきた。
日米争奪戦の勃発だった。米国は女子代表監督が自ら乗り出し、多額の支援を約束したと伝えられる。だが大坂の父フランソワさんは、無名の時から娘を支援し続けた日本の恩義を尊重したという。だからこそ、いまでも大坂は日本で登録し続けるのだ。
吉川氏は「僕は代表コーチとして手助けしただけ。コーチはバイン氏」と遠慮する。確かに、あくまで大坂の専属コーチはバイン氏だ。彼の手腕が卓越した大坂の才能を開花させたことは間違いない。母環(たまき)さんが、日本の文化や料理を娘に伝え続けなければ、大坂自身が「私のメンタリティーは日本人に近い」と認識することもなかっただろう。ただ、吉川氏がいなければ、大坂が「日本人」として4大大会の優勝杯を掲げることがなかったのも事実だろう。
◆吉川真司(よしかわ・まさし)1978年(昭53)1月31日、京都市生まれ。父の影響で12歳でテニスを始める。亜大時代の00年全日本学生シングルスでベスト4。卒業後、実業団でプレー。07年に引退しコーチに転向し、12年から日本テニス協会の女子ナショナルコーチに就任した。協会公認S級エリートコーチ。『WEB引用・抜粋』
「母は強し」二重国籍で日本語を余り話せない娘に、複雑な抵抗に合いながら日本に馴染ませる努力をしている母親の思いが分かるような気がする。
おおらかに育った「なおみ」の姿は、アメリカ・日本の両親から分け育てられたれた環境が二重国籍という結果になったのではないか等が感じられる・・・将来とも日本国籍で試合をし、長く好成績を続ける事を祈る・・・・・
<テニス:全豪オープン>◇24日◇メルボルン・メルボルンパーク◇女子シングルス準決勝
世界4位の大坂なおみ(21=日清食品)が、男女を通じてアジア初のシングルス世界1位に王手をかけた。同8位のカロリナ・プリスコバ(チェコ)に6-2、4-6、6-4で勝ち、日本男女を通じて全豪シングルス史上初の決勝に進出した。
この勝利で、28日発表予定の最新世界ランキングで2位以上が確定。男女を通じて、李梛(中国)と並ぶアジア最高位となった。決勝では、世界1位の座をかけ、同6位のペトラ・クビトバ(チェコ)と対戦する。(WEB抜粋引用)
日本にウイブルドンの頂点を極めるテニスの王女が突然現われるとは思わなかっただけに、手に汗を握って一戦一戦を応援、とうとう決勝戦まで進んだ事が感慨深い。しかし、世界のベテラン相手に20歳そこそこで対等に世界を制しようとしていることに更に驚く。
しかし、勝利の度に発するコメントは英語が主体である事にチョット寂しい気持ちにさせられることも事実ではないだろうか。もちろん優勝は第一だが、勝利の合間のコメントは英語が主体でヨチヨチ日本語でのインタビューに当初違和感を感じたが‥これからの日本はこうあるべきであるという事を日本国民に拡散させた事が大きな成果として残るのではと思ったりする・・・・・素晴らしい優勝カップを北海道のおじいちゃんに早く握らせてヨ!
女子テニス・東レ・パンパシフィック・オープン最終日(23日、東京・アリーナ立川立飛)シングルス決勝で、全米オープンを初制覇した世界ランキング7位の大坂なおみ(20)=日清食品=が、第4シードで世界8位のカロリナ・プリスコバ(26)=チェコ=に4-6、4-6で敗れ、日本勢として1995年大会覇者の伊達公子以来、23年ぶりの優勝はならなかった。
初戦の2回戦から3試合連続のフルセットで決勝に勝ち上がったプリスコバ。3試合全てストレート勝ちだった大坂とは消耗度に差があったが、劣勢をものともしない完勝だった。
ツアーで過去1勝1敗の相手にはホームの大声援も飛んだが、「私を応援するのは難しかったかもしれないが、みなさんの声援が励みになった。来年もまた出場したい」とスタンドを埋めた観客に感謝していた。
一方、プリスコバ選手は「大坂なおみ選手、素晴らしい戦い、今週を繰り広げ、先週は全米オープンでの優勝おめでとうございました。これからの試合、頑張ってください」とライバルにエールを送った上で「日本に来るのは非常に楽しんでます。また来年も来たいと思います」と話していた(WEB引用抜粋)
全米大会で優勝したが20歳の若さであり、これからは良い時も悪い時もあるだろう。たまたま決勝であり文句の無い戦跡が残っている。
応援する者としては勝っては貰いたが、「先輩に勝を譲ったと思えば、これからの励みになるような気がするが・・・・大阪本人がこんな風に思いながら、世界のプレーヤーとして活躍続けて貰いたい・・・!!
大阪市出身。日本人の母とハイチ出身の父(ハイチ系アメリカ人)の間に生まれ、3歳からアメリカに移り住む。やがて磨き上げた才能が開花し、ニューヨークの地で日本人選手として初のグランドスラム制覇を成し遂げた。9月8日、大坂なおみは女子テニス新世代の旗手となった。
表彰式はブーイングから始まった。対戦相手で元世界1位のセリーナ・ウィリアムズは出産後、初の優勝を狙った。試合も荒れていた。客席のコーチの動きがコーチング(指導)と取られ、試合中に警告を受けたセリーナ・ウィリアムズは、主審を「嘘つき」と激しく罵った。
セリーナファンは大坂の優勝を認めようとせず、ブーイングを続けた。最初に「もうブーイングはやめよう」と言ったのはウィリアムズだった。インタビューで「やめよう」と呼びかけ、大坂を讃えた。
大坂は子供の頃からアイドルはセリーナである。インタビュアーから決勝でセリーナと対戦して優勝するという夢が叶ったのかと問われると、大坂は「質問と違うことを話したい」と切り出した。
「みんなが彼女を応援したことを知っています。こんな終わり方ですいません。試合を見てくれてありがとう。本当にありがとう」と涙をこぼしながら語った。ニューヨークの観客はブーイングをやめ、新しいチャンピオンに拍手を贈った。
「セリーナと全米決勝で対戦する夢が叶いました。プレーしてくれてありがとう」。インタビューをこう締めくくり、彼女はトロフィーを持ち上げた。
異例ずくめの初優勝だったが、それでも飾ることなく自分の言葉で観客にメッセージを伝えた。トロフィーを手にし、ようやく笑顔が戻った。
大坂はまだ20歳。この先、何度トロフィーを手にすることができるのか。大坂時代の幕開けを告げる優勝になったことは間違いない。(WEB抜粋引用)
【ライブ】大坂なおみ選手が凱旋会見 笑顔で「原宿行きたい」
「優勝お目出とう」!
🎊 試合終了後のセリーナの審判抗議にたするブーイングに不快感有り。
イライラするぐらい大阪選手に2-0で負けたことが悔しかったのだろう・・・・
大阪空港の台風被害風評が、大阪なおみ選手の日本初の優勝で忘れ去ってくれただろうと・・・!