横綱稀勢の里が奉納土俵入り 明治神宮
横綱稀勢の里(31)=田子ノ浦部屋=が初場所6日目の19日、休場した。5日目まで4敗と不振だった。休場は5場所連続6度目。在位6場所で皆勤は1場所にとどまり、横綱昇進後の勝率が史上最低の・553(26勝21敗33休)。横綱が5日目までに4敗するのは65年ぶり、2場所続けて3日続けて金星を配給するのは87年ぶりと、まさに歴史的弱さだ。本来なら休場どころか、今すぐ引退してもおかしくないが、辞めるに辞められない裏事情がある。(塚沢健太郎)
弱い、弱すぎる。5日目に東前頭2枚目の嘉風(35)に押し倒され4敗目。支度部屋に戻ると、報道陣の問いかけに無言で目はうつろ。コメントを拒否しているのではない。声が出ないのだ。
横綱の5場所連続休場は2003年秋場所まで6場所連続で休んだ武蔵丸以来で、年6場所制となった1958年以降6人目(最長は貴乃花の7場所連続)。
序盤戦で横綱の1勝4敗(不戦敗を除く)は、1953年春場所の千代の山以来65年ぶり。まだ名古屋、九州場所がなく年4場所の時代だ。
さらに同一横綱が2場所続けて3日連続で金星を配給したのは、30年10月場所と31年春場所の宮城山以来2人目。年3場所11日制の時代で、実に87年ぶり。年6場所15日制となった58年以降では、ありえない弱さといえる。来場所以降に進退を問われるのは必至だろう。
師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は古傷の左大胸筋を痛めたと明かし、19日朝に横綱と話し合って最終判断したとしている。
「左大胸筋の損傷で相撲を取るのは厳しいということだ。本人は出たかったと思うが、悪化したらいけない。まずは治療を第一に考えながら、もう一度、しっかりと治し、また次に懸けたいという思いでいると思う。全てやり直す。万全な横綱らしい相撲を取ることを目標にやっていく」と3月場所での復帰に期待をかけている。
ただ、もはや調子の問題ではなく実力そのものが落ちているとみる向きもある。左上腕、左足首、腰と故障が多く、本来の馬力を失っている。実は、稀勢の里はすでに引退後の備えとして親方株『荒磯』を所有。元玉飛鳥に貸している状況だが、それでも引退はできない。
初場所後の2月1日、兄弟子の西岩親方(元関脇若の里)が田子ノ浦部屋から独立し、西岩部屋を創設する。新しい部屋の土俵開きでは現役の横綱が呼ばれて土俵入りを披露する慣習があり、稀勢の里には尊敬する兄弟子の晴れの日に、何が何でも花を添えたい意向がある。
また、大相撲人気を考えると、とても辞められない。
ちょうど1年前の昨年初場所で稀勢の里が初優勝し、日本出身力士では19年ぶりの横綱昇進。これで相撲人気に火がつき、15日間の前売りチケットは発売日に完売。朝7時45分から発売される約400枚の当日券は、早朝から並ばないと購入できなかった。
ところが5日目の前売りは、昼過ぎにようやく完売とスローペース。元横綱日馬富士の暴行事件に端を発し、日本相撲協会の対応に嫌気が差したファンの足が遠のきつつあるとみて間違いない。いま人気ナンバーワンの稀勢の里が引退するようなことがあれば、大相撲人気の“バブル”は一気にはじけ閑古鳥が鳴くことになりかねないのだ。
さらに、場所前の横綱審議委員会総見では、2勝6敗と精彩を欠いた稀勢の里に北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)が「ケガが治りきっていない。15日間続かないなら、出ない方がいい」と“休場勧告”。休場しても進退は問わないとまで譲歩したが、稀勢の里はあえてそれを振り切って出場し、それでこの有り様。このまま引き下がれない意地もあるのだろう。
大相撲300年の歴史の中で、横綱は江戸時代前期に活躍した初代横綱とされる明石志賀之助から稀勢の里まで72人。成績が残っている4代・谷風梶之助以降、勝率5割台は三重ノ海(・568)、稀勢の里の入門時の師匠である隆の里(・597)の2人だけ。18日現在、稀勢の里はそれを下回る史上最低勝率となっている。
この3人には共通点がある。横綱になったのがいずれも30代。30歳6カ月で昇進した稀勢の里は年6場所制では4番目の高齢昇進。31歳5カ月の三重ノ海は8場所、30歳9カ月の隆の里は15場所と、いずれも短い在位で終わっている。
このままでは“史上最弱横綱”の汚名をかぶることになる。それだけは避けたいという思いこそ、引退できない最大の理由といえるだろう。 (WEB引用)
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