癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

◇【貴景勝が初V!】・・・貴乃花部屋から千賀ノ浦部屋へ移籍した船出の場所で快挙/九州場所

2018年11月25日 20時44分52秒 | 大相撲

千秋楽で前頭三枚目錦木(伊勢ノ海)を下し、自己最多の13勝目。2敗で並んでいた大関高安(田子ノ浦)が、結びの一番で関脇御嶽海(出羽海)に黒星。この瞬間、貴景勝が小結では2000年夏場所の魁皇以来の優勝となった。

 支度部屋で優勝決定戦に備えていた貴景勝は高安の一番が中継されているモニターに背を向け、その瞬間を迎えた。付き人に初優勝が決まったことを伝えられ、安どの表情。同部屋の貴ノ岩と握手をかわした。

 優勝インタビューでは「まさかできるとは思わなかった。日々、毎日の相撲を取り切れて良かったと思います」と安ど。モニターに背を向けていた心境を問われ、「決定戦になると思って最初から準備しました。その中で決まって、良かったと思います」と語った。

 優勝決定の瞬間は「少し頭を整理するのに時間がかかりましたけど、徐々に喜びが上がってきました」という。前日に高安に敗れたが、プレッシャーにも打ち勝った。「昨日の夜から自分とどう向き合っていくか、弱い自分が出そうに何回もなりましたが、あきらめずにやってきて良かった」と振り返った。

 場所前に貴乃花部屋が消滅し、千賀ノ浦部屋に転籍。環境の変化については「場所前からいい稽古ができましたし、新しい部屋でも一生懸命がんばることがつながると思い、日々やってきました。白星黒星を考えず、内容を求めて相撲を取ったので、それが良かったが分からないが、白星を挙げられて良かった」と充実の表情。入門以来、相撲道のすべてを教わってきた先代師匠・貴乃花親方への“恩返し”となる初優勝を果たした。

 来場所以降は大関も視野に入ってくる。「来場所、成績を残せなかったらダメ。たがを締めて一日一日頑張って、黒星につながってもしっかり自分の相撲を取りきりたい」と語り、館内から大きな拍手を浴びた。(WEB引用)


    元親方に対する恩を返して一安心!


◇【貴乃花親方 衝撃の引退届】・・・・愛弟子たちへ“惜別”「土俵で活躍することが最優先」!⇔先ず正々堂々と理事会と討議をしてかからでも遅くなかった!!

2018年09月26日 12時35分56秒 | 大相撲


 
協会は7月下旬の理事会で、全ての親方や力士は9月27日の理事会までに5つある一門のいずれかに所属しなければならないと決定した。協会から各一門に助成金が支給されている以上、無所属の親方が複数いるのは体裁が悪いとの理由だった。一門所属を義務づける決定は公表されず、各一門代表の理事から親方衆に通達されただけ。

貴乃花親方がこの事実を知ったのは、今月の秋場所序盤としている。電話で伝えた中堅親方は「彼(貴乃花親方)には何も情報が入っていない。“本当ですか?”と驚いていた」と明かした。

 協会は「圧力」の事実を否定したが、無所属のままならば部屋閉鎖や一代年寄剥奪とする案もささやかれており、あらゆる条件を付けて「追放工作」を図ったようにも映った。

貴乃花親方の告白が事実だとすれば衝撃的だ。協会側のパワハラ行為となる。
 しかし、この日、相撲協会側は、元横綱・大乃国、芝田山広報部長が会見して「告発状が事実無根であることを認めないと一門には入れない、というわけではありません。そういったことを言って貴乃花親方に圧力をかけた事実はありません」と完全否定。

今場所の終盤に貴乃花親方と直接話をした役員が、理事の阿武松親方であったことを明らかにした上で「一門に一緒に入ってやっていこう」と、その接触が圧力でなく、無所属だった貴乃花親方が、どこかの一門へ所属することを促す目的だったことを伝えた。

 現貴乃花部屋の10人は千賀の浦部屋に移動することに決定したようだ。


千賀の浦親方

貴乃花親方が引退をかけてまで行った“最後の主張”をすべて否定したわけで、ここにきて「言った」「言わない」論争になってしまった。(MRB抜粋引用)

 

平成の名横綱と歌われた元貴乃花親方

 


 

貴ノ岩傷害問題は既に決着したものと思って居たが、平成の大横綱にしては「言いたい事」「相撲改革」も行わず、まして「祖父・父から引き継いだ部屋」まで明け渡し,平成の兄弟大横綱と言われた貴ノ花親方が簡単に国技館を後にするという。

どんな事情があるにせよ、記者会見で退職ともとれる「決意表明」をし、「後は野となれ山となれ」と言わんとばかりに逃げ隠れてしまう様では元大横綱のする行為とは到底思えられない。

親方が「門弟を説得し納得させたとは言え、放棄された門弟が一番の被害者であろう。

逃げ隠れしないで、正々堂々と理事会で討議し、「主張・正当な退職理由」を明確にしなければ、後の世に、「改善も改革もできない親方だった」と永久に言われ,相撲界の歴史に残るという事を考える必要があるだろう・・・逃げてばかりでは何の解決・改革にもならないと思うのだが・・

しかし、一番門弟を思わんばかりの行動であることは確かだろう・・・


◇【変な相撲は取れない】・・・栃ノ心、7日目から休場 新大関の休場は2000年夏場所の武双山以⇔御嶽海7連勝で単独首位

2018年07月14日 20時14分53秒 | 大相撲



大相撲の西大関栃ノ心(30)=本名レバニ・ゴルガゼ、ジョージア出身、春日野部屋=が名古屋場所7日目の14日、日本相撲協会に「右母趾MP関節側副靱帯損傷で約1カ月間の休業、加療を要する見込み」との診断書を提出して休場した。初黒星を喫した6日目に右足親指を痛めていた。新大関の休場は全休した2000年夏場所の武双山以来。

 今場所は鶴竜、白鵬、稀勢の里が休場し、19年ぶりに3横綱全員が不在。さらに初日から5連勝と好調だった注目の新大関までが離脱する異常事態になり、今後の盛り上がりが懸念される。

 栃ノ心は愛知県春日井市の春日野部屋の稽古場にまわし姿で下りたが、体をほとんど動かさなかった。「相撲を取りたいけど、今の状態では出ても力が出ない」と悔しさをにじませた。このまま休んで負け越せば来場所はかど番となるが、回復次第では再出場の意思があり、師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)は「骨折はしていないが、(関節が)外れているのは確か。痛みが劇的に改善したら出る」と説明した。

栃ノ心の話「昨日(13日)より腫れている。痛い。変な相撲は取れない。ちょっと悔しいが、申し訳ない。2、3日冷やして良くなったら、また取りたい」

栃ノ心の師匠、春日野親方(元関脇栃乃和歌)の話「残念だけど、相撲を取れる状態じゃない。横綱が休んで責任を果たそうという気は十分にあったが、満足に相撲を取れない」(WEB引用)

  


 「変な相撲は取れない」しかし、取りたいが怪我では取れない新大関!
3横綱1大関休場・もしかして連チャン優勝逃した頑張り屋の負傷?


◇栃ノ心のほうが横綱らしい!? また出た“悪い白鵬”の見苦しさ 

2018年05月25日 16時49分26秒 | 大相撲


阿炎(あび・24)に押し出され座布団が飛ぶ

大相撲夏場所6日目の、結びの一番。前頭2枚目の阿炎(あび・24)の初挑戦を受けた白鵬(33)が押し出され、国技館は無数の座布団が飛び交う大騒ぎとなった。伸び盛りの新鋭の勢いが見事だっただけに横綱のもろさが際立ったが、当の白鵬も痛感したに違いない。冒頭の言葉は白鵬自身のもので、他人事のような言い回しに、かえって本人のショックの大きさが表れていた。



横綱審議委員会(横審)から「美しくない」と非難された立ち合いの張り差しを封印して臨んだ1月場所で途中休場。初の2場所連続休場明けの今場所初日は、平幕の玉鷲相手に立ち合いで封印していたはずの張り差しを繰り出し、余裕のなさが隠せなかった。

「白鵬は場所前の横審の稽古総見のときから張り差しをやってました。背に腹は代えられないというか。もう圧倒的な強さがない白鵬は『強い相手にまともに当たったら勝てないから、見苦しい立ち合いをする』と言われてます。今場所で大関獲りに挑戦する栃ノ心と当たるとき、どんな立ち合いをしてくるかが見物だ』と言われてます」

2日目以降は張り差しをせずに連勝した白鵬。しかし、横審の委員が観戦していた5日目の大栄翔戦で再びやったものだから、「ちょっと力が落ちているんだろうな」と北村正任委員長から苦言を呈された。

「他の委員からも『悪い白鵬が、また出てきましたね』なんて言われてました。癖になってる、という見方もありますが、確信犯かもしれませんよ。本人は横綱相撲を求められても『そんな余裕はありません』と言ったそうだし、これぐらい認めろよ、という気持ちがあるんじゃないですか(笑)」(ベテラン記者)

 メキシコ五輪でモンゴル初のメダリストとなって国の英雄だった父親が先日亡くなり、日本国籍取得の障壁がなくなった白鵬はすでに申請を済ませたとも言われる。しかし、実際にいつ日本国籍を得られるかはわからない。引退時に日本国籍でなければ協会に残ることができないので、白鵬はまだ辞めるわけにはいかないのだ。


栃ノ心に敗れて2敗
 自ら辞めなければ、らしくなくとも横綱は横綱。かつて、貴花田(現貴乃花親方)に敗れ、「気力、体力の限界!」と潔く退いた故・千代の富士が懐かしい。
(WEB抜粋引用)

気力・体力の限界と見られるて来た横綱白鵬!


◇【“史上最弱横綱”休場…稀勢の里】・・・・・・・・それでも引退できない裏事情⇔相撲人気暴落の危機!

2018年03月09日 11時20分58秒 | 大相撲

 横綱稀勢の里が奉納土俵入り 明治神宮

横綱稀勢の里(31)=田子ノ浦部屋=が初場所6日目の19日、休場した。5日目まで4敗と不振だった。休場は5場所連続6度目。在位6場所で皆勤は1場所にとどまり、横綱昇進後の勝率が史上最低の・553(26勝21敗33休)。横綱が5日目までに4敗するのは65年ぶり、2場所続けて3日続けて金星を配給するのは87年ぶりと、まさに歴史的弱さだ。本来なら休場どころか、今すぐ引退してもおかしくないが、辞めるに辞められない裏事情がある。(塚沢健太郎) 

 弱い、弱すぎる。5日目に東前頭2枚目の嘉風(35)に押し倒され4敗目。支度部屋に戻ると、報道陣の問いかけに無言で目はうつろ。コメントを拒否しているのではない。声が出ないのだ。

 横綱の5場所連続休場は2003年秋場所まで6場所連続で休んだ武蔵丸以来で、年6場所制となった1958年以降6人目(最長は貴乃花の7場所連続)。

 序盤戦で横綱の1勝4敗(不戦敗を除く)は、1953年春場所の千代の山以来65年ぶり。まだ名古屋、九州場所がなく年4場所の時代だ。

 さらに同一横綱が2場所続けて3日連続で金星を配給したのは、30年10月場所と31年春場所の宮城山以来2人目。年3場所11日制の時代で、実に87年ぶり。年6場所15日制となった58年以降では、ありえない弱さといえる。来場所以降に進退を問われるのは必至だろう。

 師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は古傷の左大胸筋を痛めたと明かし、19日朝に横綱と話し合って最終判断したとしている。

 「左大胸筋の損傷で相撲を取るのは厳しいということだ。本人は出たかったと思うが、悪化したらいけない。まずは治療を第一に考えながら、もう一度、しっかりと治し、また次に懸けたいという思いでいると思う。全てやり直す。万全な横綱らしい相撲を取ることを目標にやっていく」と3月場所での復帰に期待をかけている。

 ただ、もはや調子の問題ではなく実力そのものが落ちているとみる向きもある。左上腕、左足首、腰と故障が多く、本来の馬力を失っている。実は、稀勢の里はすでに引退後の備えとして親方株『荒磯』を所有。元玉飛鳥に貸している状況だが、それでも引退はできない。

 初場所後の2月1日、兄弟子の西岩親方(元関脇若の里)が田子ノ浦部屋から独立し、西岩部屋を創設する。新しい部屋の土俵開きでは現役の横綱が呼ばれて土俵入りを披露する慣習があり、稀勢の里には尊敬する兄弟子の晴れの日に、何が何でも花を添えたい意向がある。

 また、大相撲人気を考えると、とても辞められない。

 ちょうど1年前の昨年初場所で稀勢の里が初優勝し、日本出身力士では19年ぶりの横綱昇進。これで相撲人気に火がつき、15日間の前売りチケットは発売日に完売。朝7時45分から発売される約400枚の当日券は、早朝から並ばないと購入できなかった。

 ところが5日目の前売りは、昼過ぎにようやく完売とスローペース。元横綱日馬富士の暴行事件に端を発し、日本相撲協会の対応に嫌気が差したファンの足が遠のきつつあるとみて間違いない。いま人気ナンバーワンの稀勢の里が引退するようなことがあれば、大相撲人気の“バブル”は一気にはじけ閑古鳥が鳴くことになりかねないのだ。

さらに、場所前の横綱審議委員会総見では、2勝6敗と精彩を欠いた稀勢の里に北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)が「ケガが治りきっていない。15日間続かないなら、出ない方がいい」と“休場勧告”。休場しても進退は問わないとまで譲歩したが、稀勢の里はあえてそれを振り切って出場し、それでこの有り様。このまま引き下がれない意地もあるのだろう。

 大相撲300年の歴史の中で、横綱は江戸時代前期に活躍した初代横綱とされる明石志賀之助から稀勢の里まで72人。成績が残っている4代・谷風梶之助以降、勝率5割台は三重ノ海(・568)、稀勢の里の入門時の師匠である隆の里(・597)の2人だけ。18日現在、稀勢の里はそれを下回る史上最低勝率となっている。

 この3人には共通点がある。横綱になったのがいずれも30代。30歳6カ月で昇進した稀勢の里は年6場所制では4番目の高齢昇進。31歳5カ月の三重ノ海は8場所、30歳9カ月の隆の里は15場所と、いずれも短い在位で終わっている。

 このままでは“史上最弱横綱”の汚名をかぶることになる。それだけは避けたいという思いこそ、引退できない最大の理由といえるだろう。            (WEB引用)

 

白鵬も休場➡牙を抜かれたか