雨の記号(rain symbol)

吉村昭の「白い航跡」

  森林太郎という人物をご存知だろうか? 
 では森鴎外という人物は?
 じつはこの二人、同一人物である。医者(いや、医学者)という一面と作家という側面を併せ持った人物である。
 吉村昭の「白い航跡」という小説をやっと読み終えた。
 南極に高木岬と名づけられた場所がある。慈恵医大の生みの親である医者(脚気の原因を突き止めるきっかけをつくった医学者とする向きもあるが、吉村昭の小説を読みおえ、僕は尊敬の意をこめて臨床の場で力を発揮した偉大な医者だったとあえて言いたい)高木兼寛からとって名づけられたらしい。
「白い航跡」は高木兼寛を主人公にすえて明治期の医者たちの苦闘を描いた力作であるが、この主人公の敵役として登場するのが森林太郎という偏見蒙昧なる
医学者である。高木兼寛が実証的に脚気という病を解き明かしていく過程において、彼の前に立ちはだかり、頑強に細菌説を唱え続けたのが森林太郎である。ドイツ医学を学んで帰ってきて、彼は当時日本における第一人者の地位を確保していたが、彼にとって不幸だったことは、脚気の病がドイツのお家芸であった細菌学の領域に収まらなかったことだった。
 森林太郎は細菌説を頑強に唱え続け、最後は九州に左遷されてしまう。これで医学者としての森林太郎は表舞台から姿を消してしまう。しかし、これがバネになってか、作家としての彼の評価はぐんぐん上がっていくことになる。医学者としての挫折が森鴎外という作家を大きくしたのかもしれぬ。
 一方、高木兼寛という医者は彼らによって評価を妨げられたが、彼は結果的に何万何十万の脚気患者を救ってきた。何にも優る勲章であろう。
 いい小説だった。
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