雨の記号(rain symbol)

朝の挨拶

 自分は男であるから、あらゆる表現を男の立場から行っていることになる。こういう前提から話を始めることは、もしかすると自分の思い過ごしや互いのちょっとした気持ちの行き違いなのかもしれない。その辺を踏まえてこの話をすすめる。デリケートな話だからである。
 朝の挨拶は一日の始まりであるから、さわやかに気持ちよく交し合いたい。それが一日を快適に過ごす結果につながっていくと自分は信じている。
 この間、朝の挨拶で、続けて三人の女性(いずれも若い)からシカトされることになった。彼女らから嫌われているからってわけじゃない。ただすれ違う時に起こっただけである。うち一人は下を向いてはいたが遅まきながら声を発したので、あっと気付いて挨拶を返してくれたのかもしれない。それは僕にもよくある。前方からやってくる人間に気付かないことはよくあることだ。
 あとの二人は分かっていたはずだが、何か深く考えこんでいたか、事情で誰とも目を合わしたくない気分だったのかもしれない。表面的にはそう思うが、別の理由もあったかもしれない。
 僕はこの人たちを非難したくて文章を書き起こしたわけではない。そうではなくて、女性の場合、男子とのコミュニケーションのとり方がこの頃は難しくなってきているのではないか、それがこういうクールな対応となって現れてしまったのではないか、と考えるからである。その底にあるのは男性への不信感や嫌悪感であろう。
 婦女子に対し、粗暴な行為、犯罪等を行う男子がこの頃とみに増えたようである。連日、ニュースなどで流れるようになってきている。男というのは弱い者に対し、こんなに粗暴で野卑な生き物だったのか、とあらためて知らされた思いがしている。
 当然、女性の心には男性への不信感などがインプットされていってしまう。
 こういった次第で、男性への恐怖心や警戒心などが女性の心奥深くに潜むようになり、自分のかかわる必要もない男性とは目も合わせたくないような知恵や自覚が、近頃の女性らにはごく自然に備わり出してきているのであろうかと寂しく考え込んでしまう。
 誰しもそうだろうが、朝の挨拶を行う時、相手から無視されながらやる挨拶には辛いものがある。それは不快感でしかない。この人は挨拶を返さないからいいんだ、でもいいのだが、相手を選んでそれをやっていたんではこめる気持ちに素朴さや美しさが感じられなくなる。周囲との信頼関係を狭めていくことにもつながるだろう。
 朝の挨拶には、誰とでも気軽に上下わけへだてなく行うところにそのすばらしさがある。老若男女が相手をいっさい気にせず、それぞれにやさしくほがらかな声を響かせあうところに厚い信頼の絆も生まれてくる。
 職場の朝において、僕に遭遇した若い女性の挨拶無視はたまたま偶然であって、そこに悪意があったわけではない。したがって、全国津々浦々、どこの職場でも見られるようになっている図でないことを祈りたいものである。
 朝の挨拶には女性の明るくほがらかな声と笑顔がいちばん欠かせない。健やかな一日の励みであり、源である。その景色を引き出すためには男性側の努力も必要であろう。
 僕はシカトされた女性にも、また顔が合えばいつものように朝の挨拶をするつもりでいる。前から歩いてくる相手に顔が合えば挨拶するのは自然のことだからである。
 別に顔を合わせなくてもいいから、今度こそしっかりした声が彼女らから返ってくると信じたい。
 
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