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昭和から平成に橋をかけた名将

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イチロー、野茂育てた名将 仰木氏死去
2005年12月16日 (金) 06:13
(スポーツニッポン)
 名将、死す。今シーズン、統合球団オリックス・バファローズの監督を務め、球団のシニア・アドバイザーに就任していた仰木彬(おおぎ・あきら)氏=元本紙評論家=が15日午後4時10分、福岡市内の病院で呼吸不全のため死去した。70歳だった。・・・・・・

 高齢化時代にあって70年の生涯はやや短かった気もするが、彼なりの充実した人生だったと思う。彼にとって太く悔いのない野球人生だったと思う。
 彼は西鉄ライオンズの黄金期を支えた選手の一人であった。稲尾、中西、豊田、高倉等々、そうそうたる連中に混じって二塁手二番バッター、水爆打線の一翼として活躍した。監督は知将三原であった。
 後の名将仰木監督は常勝チーム巨人に対抗した野武士野球のこの時代を抜きにして語れない。ここで彼は彼自身の野球を育んだのである。
 酒に強く、現役時代はグラウンド外でも勇を馳せた彼だが、監督に転じてからの彼は果敢にして細心の野球を展開した。同僚たちとで築いた豪放磊落と三原監督から引き継いだ知を組み合わせた野球である。
 失敗を恐れず、怯まず、誰もが活躍の機会を得る全軍躍動の野球である。型にはまらず、結果オーライ(いい意味で)の野球は出場機会の少ない選手たちに伸び伸びした気分を与え、変則型のバッターと考えられていたイチローもそこから出場機会を得て、超一流選手へのスタートを切った。と言っていいだろう。力ある選手はいずれ芽を出してくるであろう。だが超一流への道となればスタートダッシュの運も必要であろう。アメリカ・メジャーリーグで活躍する今日のイチローがあるのは、仰木監督との出会いなくして考えられないところである。  
 イチロー、野茂、田口、と仰木監督の下にいた選手たちが果敢にメジャーにチャレンジし、活躍している姿はまさに仰木監督の果敢で前向きな精神を引き継いでのものと言っていいかもしれない。
 豪放さやスタイリッシュの下で知の衣はふだん眠っていた。仰木マジックはその人間性から生まれてきたものだった。彼は昭和から平成に野球の橋をかけてきた名将の一人であった。



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