雨の記号(rain symbol)

韓国ドラマのK-POPへのもたらし効果

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 いうまでもなく韓国のドラマと音楽を指す。
 韓国ドラマはどうしてああもギャアギャアうるさいのか、という声をよく聞く。アンチの人でなく、韓ドラファンの中にもそう感じる人は多いようである。
 実際、登場人物がいい争う場面はどんなドラマにもたくさん出てくる。いろんな登場人物が自分の考えや立場をぶつけ合いながらストーリーを形成、人間関係を浮き上がらせていく手法が多いのだ。
 当然、議論や口論が多くなる。議論や口論、ののしりあいに加わってこない人物は(聾唖といった役どころでない限り)ドラマには何の影響も及ぼさない端役である。
 このように韓国ドラマはストーリー世界を構築する人たちとそうでない人たちの境界がすっきり分かれているのが特徴だ。多くのドラマが端役のいっさい出てこない舞台劇に似た印象がある。


 日本のドラマはそうではない。議論や口論、ののしりあいなどでストーリーを引っ張る話はそんなに多くない。そういった場面は極力省かれている。必要とした時も一方の我慢や心理葛藤を表現したり、ふた言み言の直のやりとりやほのめかし、にらみ合うような表現だけで次にいってしまう場合も少なくない。あと、ドラマの流れに関係なさそうな人物が時として強いインパクトを残したりもする。端役もこの世界の住人、として扱えば、それを感じ取る視聴者もいるってことである。
 したがってドラマの全体として淡々とストーリーの展開する印象が強い。大きな声で議論したりののしりあったりすれば話が盛り上がるというのでもないのだ。
 そのせいもあってか、無口のヒーローやヒロインがわりと多く登場し、人気を得たりする。徹底的に喋らない場面が用意され、その魅力をズームアップしたりする。
 無口のヒーローやヒロインがどれほど求められているかどうかは知らないが、韓国ドラマの場合、無口に設定された主役級の人物は結果的にたくさん喋らないといけなくなるようだ。話の内容が議論や口論を必要とするし、主人公なら当然そういった場面に関わることが多くなってこようからやむを得ないだろう。
 要するに韓国ドラマは議論や口論場面が多く、止めに入る人間までいっぱしの口を利いたりしてドラマはいっそう騒がしくなったりするわけである。



 ただ、子は親を見て育つものだ。議論や口論の多いこういったドラマを生む背景や国民的事情(?)が結果的に歌の上手な若者たちをどんどん送り出してきていると言えないだろうか? 



 
 自分はどうもそんな気がしている。
 口論して大きな声を出すのは声帯を鍛える意味でプラスだろうと思う。ひしったりわめいたり、笑ったり泣いたりすれば、ごくごく自然に声帯は音域を拡げて(上下だけでなく横にも)いってくれるだろうし、その時生じたいろんな感情もおのずと豊かな表情を生むステップを踏んでいるはずだ。
 かように韓国ドラマとK-POPは互いに相乗効果をもたらしあっていると自分は考える。

 韓国ドラマは今の路線を続けていけばいい。K-POPが歌の達者な若者を輩出し続ける源流となり続けるだろうから。



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