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雨の記号(rain symbol)

 ミッドナイトライン26Ⅸ(ヨナ姉ちゃんの帽子)その③

 僕は階下におりた。ボールに水を入れ、おろしたての布巾をそこにつけて部屋に戻った。ボールを少女に渡して腰をおろした。
 彼女は手をいれて布巾をすすいだ。明かりは相変わらず豆球のままだ。
 幼児の身体にセーターをかけなおしてから、僕はもう一度階下におりた。厚手のバスタオルを二枚タンスから持ち出してきた。セーターの替わりにそれを幼児の身体にかけてやった。
 幼児の額に水で絞った布巾を取り替えたあとは少女も安心したようだった。
「わたちぃのおにいちゃんなんでちゅ。ひでりがちゅぢゅいたため、おやのまびきにあってちぃにました」
 つらい悲しみも癒えたのか、淡々とした口調だった。
 僕は知っている。仲間と訪れて見たこともある。不幸な運命に見舞われた子たちの霊をとむらう水子地蔵たちは、暗い世を灯すろうそくの下でいつも陰鬱で寂しそうにしているのだ。
 目の前の幼児もそうだった。高熱でうなされる姿に永遠の寂しさがまつわりついていた。
「この子がお兄ちゃんって・・・とてもそうは見えない。弟君と間違えてるんじゃないのかい?」
 少女はかぶりを振った。
「わたちたちはちぃんでもとちぃとらないから。だから、とちぃはちぃた(下)だけど、このこはわたちぃのおにいちゃんなんでちゅー」
 そう言って兄について語り始めた。
 それによると兄は生まれつき足が悪かった。普通に歩けないことがわかった時、石臼の下敷きにされて間引かれてしまった。日照り続きの不作がひびき窮乏生活が続いたからだという。
 よその人には病気で死んだことにされ、遺骸は家の土間に埋められたのだそうだ。
 その後、霊魂と化したこの子は、家族が留守の時など土間の壁から出没して廊下や部屋をうろつき回るようになった。だが、仮の生息場所をいつの頃からか兄によって棒切れでつつきまわされるようになった。自分の命を奪った石臼のそばだった。ずいぶん不便を味わったらしい。以来、土間は、仮とはいえ自分の居場所でありながら、ずっと居心地が悪かったらしいのだ。
「それで君のいる部屋に逃げ込んできたというわけか?」
「ちぃがう」
 少女は目を見開いた。黒目がちの大きな目だった。
「ちょれからぢゅっとあとのことだけど、おうちぃがかじぃになったことがあるの。ちょのときぃ、いえのおくの・・・たたみがいちゅまいだけのこったの。わたちぃは、しょのしたにひちょんでいたんだけど・・・きがちゅいたら、このこがここへにげこんできていたの。ちょれから、わたちたちぃはてをとりあって、ぢゅっといっちょにいきてきたの」
「それで、この子は君の病気をもらいうけてしまったってわけか・・・」
「おじちゃん、どうしてそれをちっているの?」
「わかるよ。おじちゃんはそんな話を本で読んだことがある。偉い人が書いた本さ。君は不治の病だったんだろ? 当時は違う呼びかただったろうが、今でいえば結核かな。その病気で、奥の部屋にずっと寝たきりだった・・・そしてとうとう死んでしまったんだ。けれど、魂は残ってしまった。そうなんだろ?」 
 少女はこっくり頷いた。
「世間の人は君のことをチョウビラコとそう呼んでる」
 少女は下を向いた。唇をかみ、無念そうな表情になった。僕の話に、生前の病気で寝たきりだった頃でも思い出したというのか。ほんとは自分も、元気にして外で友達と思う存分遊びまわりたかったとでもいうのか。もう少し大きくなったら売られていくにしても、その期間は短くとも楽しい思い出をいっぱい作れたはずなのに、と。
「でも、不思議だ。この子は病気なのに君は何ともないというのが・・・」
「わたちぃはびょーきのかたまりなんでちゅー。だからこのこはかかってちぃまったんでちゅー」
「・・・」
「あっ、でも・・・おじちゃんにこれはかかりまちぇんから」
「そうかい」僕は苦笑した。「じゃあ、病気が移って寝込んでしまうのを怖がる必要はないわけだね。仕事もきちんと続けていけるわけだ」
「もちろんでちゅー」少女は、ちょっぴり気合を入れるようにした。「おじちゃん、あちゃがはやくて、いちゅもげんきにとびだちぃていくもん」
「あちゃがはやいか・・・」
 僕は嬉しくなった。
「僕のことをそこまで知っているとは・・・光栄の至りだ」
 少女の瞳は僕の表情を映し出して透き通るように輝いている。
 聞かされたのはずっと昔の話だ。
 少女の末裔たちは方々に散り、家は何度も立て替えられた。場所は少しずつ位置を変えながら、家も人も血も変遷してきている。少女の幽体はこの地の家々を転々とした。新しい棲家となったのが十五年前に建てられたこの家で、今の住人が僕ってことらしい。
 しかし、代々を賑わした住人たちの記憶は少女にはないようだった。あるのは自分の家族の記憶と今の住人(すなわち僕)の存在認識だけのようだった。
 僕は幼児の額から布巾を取った。布巾は茹っていた。おそらく四十二度は軽く超えているだろう。それでもこの子は生き続けている。布巾から伝わってくる熱で、僕はこの子らの生への執念を感じ取った。悔恨や悔しさを感じ取った。
 布巾をすすぎ、絞って、幼児の額に戻す。
「不憫だ・・・」僕はつぶやくように言った。「棒切れでつつかれ、自分の居場所が蹂躪され続けたってことは・・・その兄さんにはこの子の姿が見えていたってことなのだろうか」
「わたちぃにはわかりまちぇん。でも、いきていたときも、よくたたかれたりちぃたことがあると、このこはいってまちゅー。わたちぃもおおきいにいちゃんにうとまれていたのをおぼえてまちゅー。ながわぢゅらいのびょーきだったから」
「兄妹そろって虐待を受けていたわけか・・・ひどい兄さんもいたものだ・・・ともかく、現世で生きていく人間は自己本意で悪くて汚くて怖いってことを表しているのかな。寂しくて、悲しくて、どうにも浮かばれない話だ」
「だから、わたちたちはここに・・・」
「ああ、そうか、そうか。そうだったね」
 僕は頭に手をやった。コンコンと指先で叩いた。

続く
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