ちょっともどかしいように思うが、考え方によっては明日どうなるかわからない運命を背負ってのこういう恋はなかなかにロマンチックだと思う。
僕のこのブログに、「朱蒙というドラマはいったい何話目くらいから面白くなるの?」という検索をかけてやってきていた人がいた。
第一話から面白いと僕は言いたい。
一度全部見てしまった人は、話の筋がわかっているから入りたいところから入ってそこから見ればそれなりに面白いと思うが、あくまで全体のあらましがわかっているからで、初めて見る方はやはり最初からじっくり見てゆかれた方がいいと思う。
話は朱蒙も召西奴も生まれていないところから始まるが、後々の二人の因縁を暗示するような話もきちんと描かれているからだ。
現代劇の恋は男女がいろんな束縛性から解放されたところで生まれ、伸び伸び育っていくところにカタルシスが生まれてきたりするが、時代劇のようにいろんな重石や束縛を振り払い、育っていく恋もけっこう感動を生んでくる。
朱蒙と召西奴の恋は一途な恋である。歩みは鈍いが、互いの思いがぶれているわけではない。朱蒙が召西奴を気に入ったのは最初からだし、召西奴も一時は朱蒙と帯素の間にいることを楽しむ素振りを見せたりしたが、意識しているのは朱蒙であるという軸を動かした様子はなかった。
さて、二人の恋だが、恋の姿として幸福で絶頂の頃はない。二人の恋は悲劇の形を取り、後半に向かって進んでいくからだ。ゆくゆく二人は結ばれるのだが、結ばれても二人の幸せな何年かはカットされている。恋愛の時代劇ではないからである。
戦争ドラマで基本的に幸せな恋はない。戦争ドラマからきれいで幸せな恋が生まれてしまったら、戦争は邪悪だという観念を我々は捨ててしまわねばならない。
このドラマの中でも、いろんな恋や結婚の姿があるが、みんな不幸の感を呈している。
しかし作る人も見る人も、戦争の悲劇性を見据えつつ、その中からほんの少しの幸せでもいいから見つけようとするのである。
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