日日不穏日記gooブログ版

今と比べれば、隔世の感

 僕が生協に入ったのは昭和62年(1987年)のこと。入ったころは、生協の請求は現金回収だったし、在宅班は格段に多くて、生協のトラックが音楽を鳴らして集まる班が結構あったし、5人班の結成もそんなに困難じゃなかったよね。当時、ウチの生協の専務が「ウチはすきま産業」みたいな言い方をしてて、「競争が本格的に厳しくなる前にシェアを拡大するんだ!」って檄を飛ばしていたことを思い出す。
 確かに今から見れば、スーパーはあったけど、競争は格段に少なかったし、価格対抗力も充分にあった。今、拡大に回ってて競争の厳しさは、当時と比べれば、隔世の感。 ま、それでも首都圏とか、生協間競合が厳しい地域と比べれば、異業種(という言い方が正しいのかな?)との競争をしてる長野はまだまだ甘いって言われるんだろうけど。



 ところで、その檄を飛ばしていた当時の専務が、先日の総代会で定年で勇退。これで5生協が合併した当時の単協のトップが全員退いたことになる。
 当時の専務は今の僕より、6歳も若かったし、生協全体の平均年齢がなんと21歳!組織全体も若かったし、職員も組合員も若かった。当時の飲み会は、無茶飲みしてて、入ったばかりの僕にとっては恐怖そのもので、飲みすぎて急性アルコール中毒で救急車で運ばれた職員がいたなんてこともあったしねぇ。ま、それも今となっては良い思い出(じゃないだろ!)
 当時をいろいろ思い出せば、自分も変ったし、組合員気質や一般社会が変わるのも当然のことだよね。さ、動かなくなった体に鞭打って、明日も仕事仕事!

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コメント一覧

haikyotansaku
ネット限定商品とかあって、本やコーヒーで通販漬けの僕にとっては、ネット注文は注文書を書き込むことよりも親近感があります。
0崎と呼ばれてる人
http://blogs.yahoo.co.jp/hitoe_coop
僕が入協する前年まで班集計してたそうです。今はネット注文が毎週2000名くらいいるそうで。。注文書が目の前を通らないとなんか不安なのですが・・
haikyotansaku
もう一世代前の人になるとOCRではなくて、班で集計して注文を提出なんてことをやっていたそうですね。
よくそんな面倒くさいことをしてまで、生協を利用できたものだと思ったりしますが、OCRになってからは、注文用紙の変更とかはあっても、基本は変化ないですよね。20年以上経っているのだから、革新的な技術が出てきても良さそうな気がしますが。
生協の加入希望者がトラックまで駆け寄ってくる・・・今では考えられないですよね。当時は、たまにあったものです。
0崎と呼ばれてる人
http://blogs.yahoo.co.jp/hitoe_coop
そうそう僕も現金集金でしたぁーー
懐かしいです!
配送中なぜかトラックを追っかけてくる婦人がいて聞くと「生協に入れて~!」。。
そんな時代が懐かしいです。。
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