操縦席の横幅というのかね。その幅が普通自動車の役2/3位あって、室内で見たせいか、大変な重量感を感じた次第。
説明書きがあって、当時6000機ぐらい製造されたそうな。(説明には正確な数字が記載されたおりました。)
当時は陸軍も戦闘機を持っていました。中島飛行機の隼、これも有名ですね。その他、陸海軍機には偵察機や陸軍機には爆撃機等。海軍機にはさらにゼロ戦の後継機として紫電改なんて言う戦闘機もあった訳だから、想像するに、当時10000機以上の航空機が製造されたのではないでしょうか。
この重量感にあふれた迫力ある航空機が当時10000機以上製作された事実は、考えてみると大変な事だったと思う。
よく開戦時の対米の工業生産や鉱業生産のレベル比較を見たり、聞いたりするけれど、そこで判ることは、米国に対して日本の生産力が圧倒的に劣っていたということ。
すると、圧倒的に劣勢な生産環境の中で、よくも10000機以上も生産したものだと、驚きを通り越して感動すら覚えるものです。
戦後、なにかにつけて過去を否定する風潮があるやに思われるこんにち、展示されたゼロ戦が、私に何かを無言で強力なメッセージを発しているように思われた。
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