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ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

丑三つ時の恐怖体験

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昨夜。。と言っても正確には今朝・26時(24時+2時間)頃ですから深夜・未明の2時頃のことです。
今でも、寄席で語られる「草木も寝る丑三時」の時間帯で、日本時間ならプラス1時間です。

どうも眠れない。。

先日夏布団から、厚手の毛布+ベッド仕様の羽毛布団のに変えばかりで、パジャマも、厚手のネル系のもので、寒さ対策はむしろ、台湾としては過剰気の環境ですが、過去の何度か紹介しました通り、台湾の建物構造が、単体の躯体構造で、外部露出部分の仕上げが塗装かタイルでそれが外装仕上げ、内部になる部分が内壁です。

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つまり、厚さ12センチ前後のコンクリートだけで、内装は基本塗装ですから、日本なら倉庫業界の倉庫のような構造ですから、まるで保冷倉庫同様で、正直寒いレベルを超えています。

断熱材やボードそして壁紙というのが日本スタイルですが、そんな施工は、おそらく超高品質のホテルや最新の高層系建築物でもない限り皆無でしょう。

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毎年、1月から2月は、寒さを厳しく感じる時は、東京の冬場の室内着を少々厚手にして、kazanの場合、ダウンのグランドコートを羽織っているのが通常運転モードですが、流石に近所や、外に出る時は控えておりますが、それくらい、寒いです。

不思議に思ったのは、一年ほど前に、胃の切除で、大学病院に入院した時、冷房が効いていいて寒かったから、台湾人の空調感覚には暖房という概念は基本的に無いと思っております。



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ところが、kazanは東北・雪国生まれのそれも12月生まれですから、寒さに強そうですが、実は「ご幼少にみぎり」から寒がりで、「夏猫」と祖母から揶揄されたくらいの寒がりです。。

寒さが思考回路を緩慢にして、とにかく快適な思考環境とは縁遠い、言うなれば、コンピューター室の真逆の状態といえば、的確でしょう。

そのせいかでしょうか、昨夜2時間ほどベッドから自室でパソコンを触っていて、再度眠りに戻ろうととした時、ノートパソコンのシャットダウンの手順が瞬間的に記憶から消えました。

不肖kazan、PCを触り始めたのが、PC98(NEC)の黎明期である1985年ですから、以来、ほぼ毎日、それもかなりの長時間をPCとご対面の生活ですから、これは「いろはのイ」を忘れたような状態です。


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思い余って、とっさに取った手段が、ノートPCでしたのでディスレイを閉じたことでした。
そして瞬間的に思ったのが、自身の「加齢」と「ボケ」の恐怖です。

その系統の診療内科である「神経内科」からは、ボケ防止の処方薬が常時服用しているだけに、この時は、心臓と脳内が収縮するくらいの恐怖を感じました。


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シャットダウンしてから、手許のタブレットで「ノートPCの終了」、それも「シャットダウン」とうキワードすら出て来ない始末で検索で、なんとか、いつもの手順が、記憶に戻り、改めてディスレイを閉じて終了したノートPCを再度立ち上げ、そして通常手順ので終了させてベッドに戻りましたが、このことは今朝起床しても、頭から自身のボケへの恐怖体験が離れません。

本当の怖い。。、ショックでしたデス。

異国で、最悪の恐怖でした。。
中共軍の侵攻、攻撃よりも恐怖を感じた一瞬でした。
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