活火山、ベッドでNHKの<ラジオ深夜便>を聞きながら眠るのが、ここ20年の習慣になっている。 NHKのアナウンサーの日本語が耳に心地良いからだ。 同じ時間帯、他の民放局に周波数を合わせると、音量の高さ、正確な日本語とは言い難い日本語の羅列、その聞き難い日本語?の早口での語りの放送は騒音になるからだ。 毎月最終土曜日の深夜、正確に言うなら日曜日早朝、4時5分からの、作家・五木寛之と【きき手】須磨佳津江 氏による<我が人生の歌語り>はお気に入りの番組で、かなり無理をしても聴いている。 先日の土曜日(正確には日曜日)がその30回目だった。 28回目は、旅先の日光プリンスホテルで聴いた。電波状態はあまりよくなっかた。 29回目、30回目は自宅で。 毎回、聴いていると、五木氏の語りかたに、大きな変化が見える。 初回から24回くらいまでは、氏の朝鮮半島での幼少~中学時代、終戦に絡んでの引き上げ時代~福岡での高校時代、そして上京後の学生時代~作詞家になるまでの構成になっており、25回からは、レコード会社の専属作詞家になってからの時系列の中で、氏の生きてきたドキュメンタリーとその時代の歌謡曲が、氏の思いでと、その時代背景が紹介されていて興味深い内容になっている。 活火山は、はじめて五木寛之の作品に遭遇したのは学生時代の寮生活をしていた頃だ。 エッセー、短編、小説をかなり愛読した1人だ。 <ゴキブリの歌>だったか<風に吹かれて>かは忘れたが、このエッセーを読んだことがある人には、本の内容と番組の初回~24回あたりの内容が重なって、興味深い内容になっている。 それが、27回目の放送あたりから語り口が微妙に変化したように感じられる。 人生に光と陰があるとすれば、24回目あたりの放送までは、まさに<陰>の部分。 五木氏はまさに<自嘲的>に<躊躇いがち>に九州なまりのイントネーションでそこを語る時、<陰>の時代の証言者として、かなり説得力のある構成になっている。 これが、やがて氏の生活ぶりが<光>の部分に移るあたりから、語り口が一変する。 なにやら、時代の解説者かレコード業界の裏話に変わってしまうからだろう。 <光>の部分は心理的にも高揚し、自信に満ちた内容になってしまうせいだろう