更に厳しい開発競争の中では肥大化したサムスンは生き残れない。
開発する基盤が国内に無いのでアメリカに移し
会社自体を組み替える必要性があります。
韓国国内は国力の問題がありますから工場、
販売網は残し雇用は安定させるべきでしょうね?
スムーズに事が組み立てれるであれば物流関係もサムスンの子会社もしくは
関連会社として息を吹き返す可能性もあるのでは・・・・・
憶測ですけど・・・
サムスンの筆頭株主(アメリカ)と日本の株主では意見が合うでしょうね・・・
【韓国経済崩壊】【速報】韓国GDPマイナス20% サムスン、韓国を捨てる!「もう韓国はダメだアメリカに移転する。」
サムスン電気
サムスンコーニング精密素材。昨年5月までの旧社名はサムスンコーニング精密ガラスといった。
米ガラス大手のコーニングが49.4%、サムスン電子が42.6%を出資しており、
液晶パネル向けガラス基板などを生産している。
↓
さらに、サムスングループと米コーニングとの深く長い関係も背景にあるようだ。
サムスン電子がテレビ事業に進出した後、ブラウン管向けガラス素材を供給する合弁会社を設立している。
コーニングの協力でサムスングループは、テレビ、ブラウン管の両方の事業で世界のメジャー企業に
成長することができた。
「サムスングループ内に、できるだけコーニングに配慮したいという雰囲気がある」という声もある。
もちろん、大株主であるコーニングもサムスン電子も巨額の配当金を得ているが、
何とこの会社には1人だけ個人の大株主もいるのだ。
創業から1980年ごろまで(ウィキぺディア)より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%B3%E9%9B%BB%E5%AD%90
1938年の日本統治時代の朝鮮で設立されたサムスン電子の親会社であるサムスングループは、
食品と衣服が主力事業であった。
1969年1月にサムスン電子工業株式会社が設立され、12月には三星三洋電機が設立、電子産業に進出した。
これは、当時急速に拡大していた韓国国内の需要市場をターゲットにした決定であった。
1970年1月には三星NECが設立され、白物家電やAV機器の生産が行われた。
1970年頃にサムスンは商社から電器産業に進出したが半導体の開発で行き詰まっていた当時、
日韓定期閣僚会議が始まって日韓提携の気運があった。
日本電気(現NEC)の小林宏治は、「韓国は技術を盗んでいく」と
警戒感持っていたのに困ったサムスン電子会長の三男である李健熙はシャープの佐々木正に説得を頼み、
駐日大韓民国大使と小林、佐々木とで食事する機会をセッティングしてもらった。
その後に佐々木以外の3人でゴルフに行き、小林と仲良くなり技術を得る手段を得た。
それ以降、李は半導体の開発にも「シャープ辞めて韓国籍にならないか」など佐々木を頼り続けた。
そして佐々木がシャープを説得し、李が技術を求めた結果、
数年間シャープとサムスンは4ビットマイコンの製造技術の提携することになり、
サムスンはそのシャープの技術を得た。
すると李は「液晶を教えてくれ」と頼み出して、
佐々木はあげても良いと思っていたがサムスンの将来にとっては良くないと
今度は断ったが金曜に出発でシャープの技術者を韓国に連れていき技術を盗んでいった。
技術者が土日に働いて日曜夜、飛行機で帰ってくることが繰り返されたのでシャープ
自体が最終的にシャープの技術幹部のパスポートを全部取り上げたほどだった[7]。
1977年には韓国半導体を買収して半導体事業に参入し、1980年3月に韓国電子通信を買収した。
1980年頃からは海外に次々と現地販売法人が設立され、ポルトガルやアメリカには工場が設立された。
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