自分のデータのことばかり考える人がいます。
自分のデータこそが、始まりと考えると、
全てのデータは自分ということになります。
自分のデータは自分だけのもの、
他人のものとは異なると考えてしまうと、とても狭いものになります。
自分が大変大きくて広いで0他を持っていると考えて
認めることで、その中にあるほんの少しのデータを消せると考えています。
自分と他人は、関係ないものではなく、大元は一つ。
人類という家族です。
自分のデータを認めるのも、
他人のデータを認めるのも、同じではないですか。
みんな人類という名の家族なのだから。
認めても損するものは何一つありません。
隠徳を積めるだけなのですから。