電気、水道、ガス、固定電話回線、携帯電話回線がダウンし、宮城県内はパニック状態。
その中で自宅は、大変ありがたいことに、水道だけは使える状態でした。どうやら区域によっては水道が助かっている場所があったようです。 とにかく飲み水は確保。次に食べ物だと思い、自転車でスーパーに向かう。すごい人である!!行列!! コンビニ、大型スーパーは地震の影響で天井が落ちてきてほとんどが店を閉めている状態。よって小規模スーパーが外に商品をだし、野外販売を行っていた。
とにかくどこ行っても食べ物がない状態。これは「だめだ!」と思いながらもうちの奥様はその行列に並ぶ。その結果カップラーメンゲット!! あとは、自宅は農家を若干ではありますが営んでいるので、「米」と「たくわん」はあるので何とかなると思い帰宅。
停電中のため、ヤカンをあげられるストーブとカセットコンロと槇をくべて使う釡をフル活用。それで米を炊き、これで当面は自宅で自炊ができる。後は、ガソリンと灯油がない。 この災害でガソリンスタンドも休業中。とにかく近所のガソリンスタンドに自転車でいってみることに・・・・ そうしたら若いお兄ちゃんが一生懸命に手動でタンクからくみ上げられないかと作業をしていた。もうすでに5,6人の人がいて「なんとかならないかな~」みたいな感じで冗談していた。
「これはもしかして売ってくれるかも!」と思い、うちに戻り、ガソリンタンクをとりにもどり、ガソリンスタンドにむかう。
もうすでにすごい人です。100人以上はいたでしょうか?
自分は、いとこの捜索に行かないといけないので、並ぶのはうちの奥さんにまかせて、捜索に向かう。
向かう場所は、若林区でもっとも被害の多い「荒浜」の隣の「蒲生」である。ここにいとこが住んでいまして連絡がつかない。
とにかく、蒲生に車を走らせることに。蒲生に近づくにつれて悲惨な光景が目に入ってくる。「こりゃーひどいなんてもんじゃーない!」
田んぼの真ん中に車がたくさん流されてきている。ここで自分は今回の災害はとんでもないことになっていると初めて気づいた。
目的地の前で警察の方に止められ、訳を話して目的地まで行かせてもらった。そこは地獄だ!!家には自分の身長より高い位置に、水没した後がのこっている。約2メートルはあったでしょうか・・・・・ 1階部分の家の中がめちゃくちゃでした。「まさか2階に避難してるか?」と思い大声をかけるが反応なし。どうやら津波がくる前に家はでたようだ。
↑家にくっきりと水が上がったラインがついている・・・
↑蒲生、岡田区域近辺
↑道も約40センチ陥没。車で走行不可能。
蒲生の前に塩釜亘理線(国道)があるのだが、その反対側(海側)が報道で伝わっている「若林区荒浜区域」だ。体中に恐怖を感じてしまい、その蒲生の先に車を走らせることはできなかった・・・・・たくさんの方が亡くなられた場所ですから・・・・・・
そこから避難場所を4件まわり、結局その日にいとこは発見できなかった。とにかく携帯電話の復旧を待つしかない。
自宅に戻り、家族と親戚で食卓を囲む。こうなると団結力がものをゆう。みんなで協力し合うしかないわけで・・・・
電気がきてないから、車のバッテリーから電気を引き、ACDCコンバーターで家庭用電源に変換し、テレビをつけることにした。やはり情報源は大事であるから・・・また宮城県内の情報が知りたい。でも車のエンジンが回さないといけないからガソリンは使うことになる。やはり燃料不足が悩みの種・・・・・・ 食事をとったのが夕方18時。やることがないから19時には車の中で寝ることに。
いつも仕事がら夜中の1.2時に寝る自分が19時に寝ようとするわけですから、ちょっと体のサイクルがおかしくなります。
でも余震が1時間~2時間に1度は必ず来ますから、ラジオだけはつけて寝ることにしました。地震緊急速報が流れる毎日ですから・・・・
あの音(緊急速報の音)・・・・・何回聞いたでしょうか・・・・いや~な音です。とくに夜中になるともう眠れる状態ではありません。
おかげ様で5時には目が覚めてしまい、早寝早起き状態です。
そうしたら自宅前の道路に車の列が・・・・・・「なんじゃ~こりゃ~」
↑ガソリンスタンドに並ぶ車です。150台~200台はざっと見あったでしょうか・・・
どうやら、タンクローリーが今日入ってくるという「うわさ」が町中にながれたようで、朝の4時から並び始めたみたい・・・
こりゃ~今日もひと騒動おこりそうな感じです。
その中で自宅は、大変ありがたいことに、水道だけは使える状態でした。どうやら区域によっては水道が助かっている場所があったようです。 とにかく飲み水は確保。次に食べ物だと思い、自転車でスーパーに向かう。すごい人である!!行列!! コンビニ、大型スーパーは地震の影響で天井が落ちてきてほとんどが店を閉めている状態。よって小規模スーパーが外に商品をだし、野外販売を行っていた。
とにかくどこ行っても食べ物がない状態。これは「だめだ!」と思いながらもうちの奥様はその行列に並ぶ。その結果カップラーメンゲット!! あとは、自宅は農家を若干ではありますが営んでいるので、「米」と「たくわん」はあるので何とかなると思い帰宅。
停電中のため、ヤカンをあげられるストーブとカセットコンロと槇をくべて使う釡をフル活用。それで米を炊き、これで当面は自宅で自炊ができる。後は、ガソリンと灯油がない。 この災害でガソリンスタンドも休業中。とにかく近所のガソリンスタンドに自転車でいってみることに・・・・ そうしたら若いお兄ちゃんが一生懸命に手動でタンクからくみ上げられないかと作業をしていた。もうすでに5,6人の人がいて「なんとかならないかな~」みたいな感じで冗談していた。
「これはもしかして売ってくれるかも!」と思い、うちに戻り、ガソリンタンクをとりにもどり、ガソリンスタンドにむかう。
もうすでにすごい人です。100人以上はいたでしょうか?
自分は、いとこの捜索に行かないといけないので、並ぶのはうちの奥さんにまかせて、捜索に向かう。
向かう場所は、若林区でもっとも被害の多い「荒浜」の隣の「蒲生」である。ここにいとこが住んでいまして連絡がつかない。
とにかく、蒲生に車を走らせることに。蒲生に近づくにつれて悲惨な光景が目に入ってくる。「こりゃーひどいなんてもんじゃーない!」
田んぼの真ん中に車がたくさん流されてきている。ここで自分は今回の災害はとんでもないことになっていると初めて気づいた。
目的地の前で警察の方に止められ、訳を話して目的地まで行かせてもらった。そこは地獄だ!!家には自分の身長より高い位置に、水没した後がのこっている。約2メートルはあったでしょうか・・・・・ 1階部分の家の中がめちゃくちゃでした。「まさか2階に避難してるか?」と思い大声をかけるが反応なし。どうやら津波がくる前に家はでたようだ。
↑家にくっきりと水が上がったラインがついている・・・
↑蒲生、岡田区域近辺
↑道も約40センチ陥没。車で走行不可能。
蒲生の前に塩釜亘理線(国道)があるのだが、その反対側(海側)が報道で伝わっている「若林区荒浜区域」だ。体中に恐怖を感じてしまい、その蒲生の先に車を走らせることはできなかった・・・・・たくさんの方が亡くなられた場所ですから・・・・・・
そこから避難場所を4件まわり、結局その日にいとこは発見できなかった。とにかく携帯電話の復旧を待つしかない。
自宅に戻り、家族と親戚で食卓を囲む。こうなると団結力がものをゆう。みんなで協力し合うしかないわけで・・・・
電気がきてないから、車のバッテリーから電気を引き、ACDCコンバーターで家庭用電源に変換し、テレビをつけることにした。やはり情報源は大事であるから・・・また宮城県内の情報が知りたい。でも車のエンジンが回さないといけないからガソリンは使うことになる。やはり燃料不足が悩みの種・・・・・・ 食事をとったのが夕方18時。やることがないから19時には車の中で寝ることに。
いつも仕事がら夜中の1.2時に寝る自分が19時に寝ようとするわけですから、ちょっと体のサイクルがおかしくなります。
でも余震が1時間~2時間に1度は必ず来ますから、ラジオだけはつけて寝ることにしました。地震緊急速報が流れる毎日ですから・・・・
あの音(緊急速報の音)・・・・・何回聞いたでしょうか・・・・いや~な音です。とくに夜中になるともう眠れる状態ではありません。
おかげ様で5時には目が覚めてしまい、早寝早起き状態です。
そうしたら自宅前の道路に車の列が・・・・・・「なんじゃ~こりゃ~」
↑ガソリンスタンドに並ぶ車です。150台~200台はざっと見あったでしょうか・・・
どうやら、タンクローリーが今日入ってくるという「うわさ」が町中にながれたようで、朝の4時から並び始めたみたい・・・
こりゃ~今日もひと騒動おこりそうな感じです。
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