職人のつぶやき

HIROガラス工房主宰丹野のプログ。
毎日のガラス制作状況、展示販売放浪の旅などのおもしろおかしなお話が満載!!

休む暇なく・・・・・・

2010-05-21 21:08:48 | Weblog
さてさて、すっかりブログから遠ざかっておりました。パソコンに向かう暇もなくってな感じです。

先週まで北海道に出張しておりました。
無事に展示も終わりほっとしております。札幌のお客様ありがとうございました。

さて、札幌最終日に、小樽と余市によってきました。

小樽には、ガラス生地元にご挨拶のため。余市はニッカウヰスキー本社視察です。

まず、朝一番に小樽に行き、生地元の社長と常務とご商談。
わざわざ行ったかいがありました。おもしろい素材が手にはいりそうです。
数は少ないとは思いますが、なんとかその○○○○ガラスを市場に乗せたいと思っています。
その○○○○は今は公表できませんが、なんとか今年秋ぐらいには世に送り出したいと思っています。
その○○○○に対して、いままで、たくさんのお客様からのご意見やご要望を頂いていたので・・・・・・お客様の喜ぶ顔が目の前に浮かびます。

商談が終わり、倉庫にある生地を見せていただき、いろいろな生地を仕入れ、小樽での仕事は終了。またまた、欲張って生地を買ってしまった。
いかんいかん!!また悪い癖が・・・・・資金があまりないのに無理して買ってしまう自分。綺麗なガラスを見るとつい買ってしまいます。
こんなに仕入れして当工房の倉庫に入るかが心配です。

さて、そこから余市に移動する為に、小樽駅の時間を聞こうとしたら、生地元から、「余市に行く電車は一時間に1本しかないよ~」って言われ、「ええっ!」ってな感じです。最悪な交通機関のようです。
よってお言葉に甘えて、生地元の社長にマイカーで余市まで送っていただきました。
○○社長ありがとうございました。おかげでたすかりました。

余市の目的は「ニッカウヰスキー本社視察」であります。
なぜニッカかといいますと、仙台にも「ニッカウヰスキー仙台工場」が作並にありまして、当工房のお取引メーカーです。当工房が下請けとして、グラスにニッカのマークを彫刻しております。ニッカさんとはもうかれこれ10年ぐらいのお付き合いになるでしょうか・・・・
なので、仙台の仕入れ部長さんから「一度は行ってみてよ」って以前からお話を頂いていたので、「一度は行かんとな~」と思っておりました。

と、いうことで、まずはニッカウヰスキー工場入り口から

なんとも味のある、そして歴史をものがたってくれる門構えです。

早速、工場見学。

この建物は有名だよね~ニッカにコマーシャルでも出てくるし、カタログにも載ってる建物。なんか感動です~!


この方がニッカウイスキー(当時は日本果汁株式会社)の創立者 竹鶴政孝さん。
ちなみに、ニッカの意味は、当時の会社名の「日本」の二と「果汁」のカをとって「ニッカ」になったそうです。調べると会社名の由来って面白いですね。

ちなみにこの社長の名前がウイスキーのブランド名「竹鶴」になっています。25年ものなんで買ったら、一本5万はするという、長極上のウイスキーなのだ!!飲んでみたい!!


↑この家は、当初、竹鶴社長ご夫婦が暮らしていた建物だそうです。ご婦人のお名前がリダさんなんでリダハウスと呼ばれていたそうです。
昔は、工場内に住む家があったなんで驚きです。


↑この写真は、ニッカウイスキーの歴史館。今までの歴史がぎっしり展示してありました。

だいたいの工場見学は終了。後は、飲むだけ!!
やはりここまで来たからには、本場のウイスキーを飲まなくては!!
そく、ニッカショットバーに!!
工場内にショットバーがあるなんて、なんとすばらしいのでしょう!
早速、原酒の25年ものをショットグラスで頂きました。お値段なんと一杯900円。
ショットグラス(1フィンガーです。1フィンガーは指1本分の量)で900円ですから、めちゃくちゃ高価な酒です。こんな高いお酒飲んだの初めてです。アルコール度数52度。
まずは香りを楽しむ自分!すごくいい香りです。
それから一口、口に含む。「おーこれが25年ものか~」と感動する自分。
それから、水を口に含みながら、ウイスキーを頂きました。
バーテンダーの方とウイスキーのお話をしながらウイスキーを飲む!!最高の飲み方です。
そんでもってついでに、仙台工場でお世話になってますから、そのお話をして、バーテンダーと名刺交換もして、話も盛り上がりました。
そしたら、「こちらは10年ものです!」とバーテンダーさんからサービスの一杯!
いやーバーテンダーさんありがとうございました。25年ものと10年ものを一度に味わえるなんて・・・・本当にお世話になりました。

最後にお土産コーナーで余市でしか購入できない原酒10年ものを買ってきました。こんな高価なお酒買ったの生まれて初めてです。
価格は約500mlの瓶で10年ものが5、000円。25年ものは20、000円でした。25年ものを買ってしまうと、帰りの交通費がなくなるので10年ものにしました。
でも500mlで5,000円です。ウイスキーが好きな方でしたら1日でなくなる量ですな~
毎日「ちょびちょび」と大事に飲まないといけませんね!!


そんな感じで北海道出張ツアーは無事終了。

今週からは、千葉県船橋に出張です。






札幌は寒い。

2010-05-08 23:56:42 | Weblog
さてさて、今週は札幌にきております。
外は結構寒いです。心も寒いです。ふところも寒いです。売り上げは・・・・・・
ご想像にお任せ・・・

さて、今日は北海道在中の作家3人とお食事会(ジンギスカンを食べに)
ある作家さんが食事に誘っていただき、今日はジンギスカンです。
ガラス関係自分を含めて2人、木工関係1人、アクセサリー関係1人の計4人。

初めてあった方が2人いましたが、やはり物作りの共通点は同じなんで話は合います。
盛り上がって「べろべろ」でホテルに帰ってきました。

もう 寝るべ~!!

愛猫 ゴロー他界・・・・・・

2010-05-03 00:23:25 | Weblog
大阪から帰ってきてから10日がたつだろうか・・・・・家に帰ってきてからまったくよいことがない。
大阪から心も身体も疲れきって帰ってきた先月24日夜におこった出来事。

うちでは12歳になる真っ黒な猫をかっています。足のつま先だけが白なんで、遠くから見ると靴下をはいているように見える猫で、名前がゴローです。

そのゴローが先日、この世を去った。

24日の夜、ゴローをこの頃お風呂に入れてなかったので、うちの娘と自分でゴローを風呂にいれ、洗剤で身体を洗ってやった。ゴローはお風呂が大嫌いな猫なので、身体を押さえ込み、暴れないうようにして洗うのは結構大変な作業。

いれおわって、身体がうちの奥さんがタオルで拭いてあげた時です。左前足が折れまがっている。骨折??いや、でも痛みを感じていない。ゴローは普通の顔をしていて、全く痛がっていない。それにお風呂でどこかぶつけた痕跡もない。

これはおかしいと思い、急いで動物病院に連れていった。夜の9時をまわっていたので、とりあえず、若林にある若林救急病院へつれていった。

レントゲンをとってもらい、結果を聞いたら、骨折はしていないとのこと。
なんかいやーな予感がした瞬間でした。

この足の表情が今思うと黄色信号だったのだと・・・・・

そのお医者さんがいうのは、どうやら神経がやられているようだ。左前足以外はぴんぴんしているので、様子を見ましょう!!とのことで、その日は家に帰ってきた。

とりあえず、医者に見てもらったし注射もしてもらったので一安心と思っていた。

25日の朝。ゴローは、食欲もあるし、元気そう。問題は左前足だけ。3本足で歩く感じになってしまった。

自分はその日、仕事関係の方の結婚式にお招き頂いていたので、ゴローとはあまりふれあうことなく一日がすぎた。

26日の朝。問題がおこった。ゴローがすっかり元気がなくなっており、ご飯も水もまったく取らなくなった。息づかいもおかしい。これは大変だと思い、その日石巻で仕事が入っていたが、多少仕事が遅れてでもゴローを係りつけの医者につれていかねばと思い、朝一番で動物病院にむかった。

血液検査をしてもらい、いろいろな検査の結果、病名は「心筋症」であることがわかった。
心臓が通常の2倍の大きさになっており、心臓から血液がうまく身体に回らなくなり、他の臓器に支障をおこす病気らしい。とても深刻な病気で、急に亡くなることもあるらしい。

また、ゴローの心臓の中に血栓があるそうで、それを溶かす薬をつかえば、治る可能性があるとのことだが、うちのゴローは慢性の貧血で、その薬は使えないとのこと。

医者から残酷な言葉を頂いてしまった。もって2.3日です。と・・・・
もし、治療が奇跡的にうまくいっても成功する可能性は20%

かなり低い確率ではあるけど、いままで一緒に12年暮らした猫です。そして家族です。見捨てる訳にはいかない。

先生から注射をうってもらい、飲み薬をもらって、家にゴローを連れ帰ってきた。
このような話を医者からきくと、自然と涙がでてくる。

先日に行った救急病院の話はなんだったのでしょうか?やはり救急は救急ということなのでしょうか?その時に心臓の病気がわかっていれば、「少しは進行が違ったかも」と思うと悔しくてなりません。

とにかくがんばって看病するしかないわけで・・・・・

その夜はゴローの目が届く範囲で、寝ることにした。自分と妻と娘とで。

自分の横にゴローを寝かせ、異常がないかを気にかけながら床につく。

その日の夜は2時間おきに起きてゴローをチェックしただろうか・・・・・その日は、ほとんど寝ないで看病です。

27日、ゴローが水をとらない。これはこまった。なんとか飲んでもらうよう、ゴローの口元に水を押し付けるが、嫌がって飲まない。

28日、自分は仕事があるので、妻にゴローを病院に連れていってもらい、治療してもらった。食事や水を全然とらないので、離乳食とスポイトを医者からもらい、そのスポイトで無理やり口に押し込み、食事を取ってもらう方法をとることにした。

とにかく、今は体力をつけないといけないし、水分も不足している。

その夜も、3人で看病。

29日の朝、「ゴロー」と声をかけると尻尾を大きく振る。この尻尾の振りの大きさで今日は身体の調子がいいか悪いかがわかるようになってきた。
もう、身体はほとんど動かない。動くのは首がちょっとと尻尾のみ。このような姿をみると涙がとまらない。
どうやらゴローは、目が見えなくなってきているようだ。やはり心臓の病気なので、身体全体に血液がいきわたらないのか、足が冷たくなってきている。

30日の朝。声をかけても尻尾の振りが弱い。反応があまりない。
朝、食事をスポイトで与えようと、口の隙間から、離乳食をいれてやったが、噛もうとしない。これは、最悪の状態になってしまった。

とりあえず、自分は仕事があるので、ゴローは妻にまかせ、今展示している石巻にむかう。

なんかいやの予感・・・・・その予感が外れてくて~と思いながら、車を石巻まで走らせることに。

仕事を終え、夜9時を回っただろうか・・・・お客さんとの約束ごとがあったので工房に行き、そこから内線電話で自宅にかけ、ゴローの容態を聞く。妻が電話にでて、とりあえずは現状維持。今日の朝と状況は同じ。

ちょっと安心して、お客さんの用事をすませ、家に向かい、玄関を入ってすぐ、妻が泣きくずれていた。
たった今ゴローがこの世を去った。21時20分・・・・

妻がいうには、最後は身体全体に痙攣がおこり、そのまま息をひきとったそうだ。


やばい!・・・涙がとまらない・・・・・

ゴローは寝る時、いつも自分の布団の中に入ってきて、一緒に寝ていたので・・・・
こりゃー辛すぎる・・・・

でも、12年間 ゴローには心を癒してもらいました。仕事で疲れきって帰ってくると、自分はいつもゴローを探しました。ゴローを見るとなんか安心するっていうか、疲れが吹っ飛ぶというか。

ゴローの誕生は、12年前の5月。自宅の倉庫屋根裏。子猫の声が聞こえるので、うちの父が屋根裏からみつけたのがきっかけ。
その後、うちの母が愛着がついてしまい、母が飼うことになった。
とにかく人なつっこい猫でした。

昨日、火葬依頼してきました。

今日からゴローがいないのはわかっていますが、その辺から「ひょこって」出てきそうな感じがしてなりません。
やはり猫でも家族なんですよね~ 「ゴローがいないこの家」になれるまでは少々時間がかかりそうです。