3月11日14時46分、地震は起こった。宮城県最大震度7 マグニチュード9、0の大地震だ!! 何分ぐらい続いたでしょうか・・・・3分ぐらいかな・・・・・
こんなに長かった地震は生まれて初めてです。
その日、休暇をもらっていた自分は知人と宮城蔵王におりました。
この地震で休暇は終了。家族とアトリエが心配になり、即携帯電話で自宅に連絡。電話がつながらない。なん回もトライしてやっとつながる。そこで震度7だと知ることになる。
その電話で家族は全員無事を確認。でも「アトリエの中はあきらめて・・・・」との返答。とりあえず家族が全員無事なだけでok!!と思い、即、車に乗り、嫁さんの実家が蔵王なんで、実家に車を走らせる。その途中でカーテレビで情報収集。テレビをつけたらビックリ!仙台空港が津波にのまれる映像が目の前に入ってきた。一瞬、自分の目をうたがった。これはなにかの映画ではないかと・・・・
仙台空港がすっぽりのまれるわけですから自宅とアトリエがある若林区域などあっという間にやられると思い現実をしった自分は、家に電話して、「逃げろ~津波が来るぞ」とさけぶ。おやじが出て、「まだここには津波は来てない。最悪2階に避難するよ」と の返答。
「もしまずくなったら学校に避難して!」と電話で話し電話を切る。あとは現場の判断だと思い、安否確認に嫁さんの実家の蔵王 遠刈田に向かう。
遠刈田に到着し、家族みんなの安否確認をし、そく自分の家、仙台に車を走らせる。
白石市の国道4号線の道にでたら、信号機がすべて消えている。大渋滞だ!!ガソリンも120キロ位走る分しか入っていない。蔵王から仙台市若林区の自宅までの距離は約50キロ。このままではガス欠になってしまう可能性があると思い、蔵王に引き返すことになる。
今晩は、実家に泊まらせてもらって、明日の朝一番で帰ることにした。
もちろん、蔵王も停電。真っ暗な中でろうそくの灯りとラジオを音だけが自分の体に入ってくる。
余震も10分~20分間隔で起こっただろうか・・・・・とても眠れる状況ではない。
震度1~震度5弱の揺れがおそってくる。
ラジオでは「若林区荒浜で200人~300人の死体が浮いている」とのラジオからの声・・・・「若林区今泉で1人死亡を確認」
おいおい今泉は自分の自宅がある住所ではないか。荒浜は隣の町だ・・・」と思い、不安になって再度自宅に電話を入れる。携帯がつながらない。何回も何回もトライ。20回以上は再ダイヤルしたでしょうか・・・やっとかかり、自宅は津波被害がないことを知ることになる。とりあえず一安心である。
その夜は、もちろん眠れないし、余震との戦いでした。この時はまだ津波の恐ろしさを知らない自分でありました。
こんなに長かった地震は生まれて初めてです。
その日、休暇をもらっていた自分は知人と宮城蔵王におりました。
この地震で休暇は終了。家族とアトリエが心配になり、即携帯電話で自宅に連絡。電話がつながらない。なん回もトライしてやっとつながる。そこで震度7だと知ることになる。
その電話で家族は全員無事を確認。でも「アトリエの中はあきらめて・・・・」との返答。とりあえず家族が全員無事なだけでok!!と思い、即、車に乗り、嫁さんの実家が蔵王なんで、実家に車を走らせる。その途中でカーテレビで情報収集。テレビをつけたらビックリ!仙台空港が津波にのまれる映像が目の前に入ってきた。一瞬、自分の目をうたがった。これはなにかの映画ではないかと・・・・
仙台空港がすっぽりのまれるわけですから自宅とアトリエがある若林区域などあっという間にやられると思い現実をしった自分は、家に電話して、「逃げろ~津波が来るぞ」とさけぶ。おやじが出て、「まだここには津波は来てない。最悪2階に避難するよ」と の返答。
「もしまずくなったら学校に避難して!」と電話で話し電話を切る。あとは現場の判断だと思い、安否確認に嫁さんの実家の蔵王 遠刈田に向かう。
遠刈田に到着し、家族みんなの安否確認をし、そく自分の家、仙台に車を走らせる。
白石市の国道4号線の道にでたら、信号機がすべて消えている。大渋滞だ!!ガソリンも120キロ位走る分しか入っていない。蔵王から仙台市若林区の自宅までの距離は約50キロ。このままではガス欠になってしまう可能性があると思い、蔵王に引き返すことになる。
今晩は、実家に泊まらせてもらって、明日の朝一番で帰ることにした。
もちろん、蔵王も停電。真っ暗な中でろうそくの灯りとラジオを音だけが自分の体に入ってくる。
余震も10分~20分間隔で起こっただろうか・・・・・とても眠れる状況ではない。
震度1~震度5弱の揺れがおそってくる。
ラジオでは「若林区荒浜で200人~300人の死体が浮いている」とのラジオからの声・・・・「若林区今泉で1人死亡を確認」
おいおい今泉は自分の自宅がある住所ではないか。荒浜は隣の町だ・・・」と思い、不安になって再度自宅に電話を入れる。携帯がつながらない。何回も何回もトライ。20回以上は再ダイヤルしたでしょうか・・・やっとかかり、自宅は津波被害がないことを知ることになる。とりあえず一安心である。
その夜は、もちろん眠れないし、余震との戦いでした。この時はまだ津波の恐ろしさを知らない自分でありました。
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