この日になると思い出す、 今日の様に厳しい寒さの日でした。
当日や、それからの2~3カ月の事はよく覚えています。
直接的な被害は受けていない(若干の食器破損と一時の停電・断水と2カ月間のガス遮断)
オヤジでもこれだけの記憶が残っていることは
被災者の方の思いはいくばくか想像できます。
昨年の末に写真クラブで訪れた、
「神戸港震災メモリアルパーク」
阪神淡路大震災によって被災したメリケン波止場の一部(岸壁60m)をそのままの状態で保存し、見学できるように整備した公園です。
「神戸市役所南側、東遊園地」
1.17希望の灯(あかり)
表紙の写真
そして公園の地下にある
瞑想空間
被害にあわれて亡くなった方々の名前が刻まれています。
阪神大震災に比べ東北大震災は地震の揺れだけでなく、津波の
被害が甚大でした、阪神の場合死者約6500名行方不明者3名
一方東北では死者約16000名そして驚くのは未だに
行方不明者約2600名、やはり津波の影響が色濃く出ています。
そして原発[福一]の事は未だに解決には程遠い状態です。
阪神は幸いなことに、この様な足かせが無かった分、復興が順調だったと
思います・・・
しかし、どちらの震災時も、人々の秩序ある行動そして
譲り合い・助け合いが繰り広げられた事は、日本人として
誇りに思えたものでした。
素晴らしいぞ~ 日本人!
当時、会社の命を受け、1週間後に神戸/大阪を
しました。
東京からの関西地区窓口として、3週間・・・・
数えると40代だったのです。
関西地区の責任者の家もガスがなかなか復旧せず、
2極の電気棒を湯船につけて、湯を沸かしていました。
choiwaruは、神戸/大阪のホテルが取れず、
京都地区まで範囲を広げて毎泊ホテル探しを・・・
でも、ほぼ1年後には、ほとんど普及していましたね。
関西人の底力ですね♪
会社の命を受ければ“いつでも・どこでも”飛び回っておられたのがよく分かります。
小生も当時の事を思い出せば、我ながら良くやったと
褒めてやりたい気持ちです。
お互い「御隠居さん」として余生を楽しみましょう♪