今月のはじめに亡くなった、友人宅に同期の連中と上京しお別れをして来ました、
東京も晴れたり曇ったりの肌寒い一日でした
友人宅のある東急田園都市線「桜新町駅」周辺は
この街の名前に相応しい八重桜の見事な並木道
*少しピークが過ぎていましたが
彼が幾度となく通勤で通ったであろうこの桜通りを歩いて友人宅に、
奥さんと学生時代のエピソードや家庭内での亭主ぶりなどいろいろと
話は尽きず、そして話の結論は、まだまだ人生やり残したことが一杯あり
残念であったろうと・・・
帰り道同行の友人達と話したのは、われわれ団塊世代も人生の折り返しを
とっくに通過、残された年月を悔いのないように過ごさなれければ・・と。
6月過ぎに彼の納骨を故郷大阪でするとのこと、彼が戻ってから
親しかった友人・知人達で墓参りのあと一席もうけて”しのぶ会”を
開こうと決めました。
東京も晴れたり曇ったりの肌寒い一日でした
友人宅のある東急田園都市線「桜新町駅」周辺は
この街の名前に相応しい八重桜の見事な並木道
*少しピークが過ぎていましたが
彼が幾度となく通勤で通ったであろうこの桜通りを歩いて友人宅に、
奥さんと学生時代のエピソードや家庭内での亭主ぶりなどいろいろと
話は尽きず、そして話の結論は、まだまだ人生やり残したことが一杯あり
残念であったろうと・・・
帰り道同行の友人達と話したのは、われわれ団塊世代も人生の折り返しを
とっくに通過、残された年月を悔いのないように過ごさなれければ・・と。
6月過ぎに彼の納骨を故郷大阪でするとのこと、彼が戻ってから
親しかった友人・知人達で墓参りのあと一席もうけて”しのぶ会”を
開こうと決めました。
体力が以前に比べると減退してるのを
実感するこの頃ですが、
とは言えまだまだ若すぎるお別れでした、
私達も悔いない人生を・・・と思っています。
同期一同ショックを受けています
年末の忘年会での笑顔が思い出されます。
小生も3年前の1月に大学と会社が同じ友人を亡くしました。
彼は自分自身知っての治療中であった病気のことも話してくれないまま、ある日突然の娘さんからの訃報連絡でした。
その時は、生前の彼からのメールを何度も読み返したものでした。
親を送った時と、また違った悲しみがありました。お察しいたします。
心中お察しいたします。
小生も今年、同じ経験をしてますので、なぜ、
この年でお別れをしなければならないのか? と、いつも残念に思います。
残された小生たちは、ただ冥福を祈るしかないのでしょうか?
合掌