井戸端談義・徒然記(MEi日記)

眺める人生は 楽しい 

総理大臣の首

2012年11月18日 | Weblog


政治家の皆さんの考え方がいよいよ判らなくなった。日本と言う国を如何しようとてるのかさっぱり解らない。何かを決める度に総理大臣の首を差し出す 何ていう国が何処にあるだろうか。法案を通すなんて至難の業である。野党も何処まで追及すれば納得すのか あー言えば、こー言う良くもあんな審議で今日まで来たもんだ。辛酸を舐めさせられるのは庶民である。

野党だから反対はいい、然し何処かで納得する処が在れば一致があってもいいが、何か良くしようと言う 気が感じられない。自民党与党の時もそうだった様に、総理大臣がちょんぼを言うか投げ出すかまで追求するもう一歩二歩と先に進めないのか又総理の交代が始まる。10年1日の如く進む皆さんを見てると怒りを通り越して、笑ってしまう。どなたが総理になってもいいが

少しは進めてもらいたい、責任を取りきらない政治家は、これから立候補をやめて欲しい。また選ぶ国民も送り出し甲斐のある人を送り込んで欲しい。国民の投票が一番怖いのは立候補者である。親しく優しい勧誘にお年よりは負けない様に、お互い頑張りましょう。次の世代の為に!!。


シーシェパード

2012年11月17日 | Weblog


今は季節に合ってないが、以前目に余った行為をしていたシーシェパードとか言う団体があるが如何言う団体なんだろう、キャチャーボートに体当たりをしたり投石や投薬までするあの有名な団体である。政治団体ではあるまい、一国に向う位だから小さくとも政治団体なのだろうか単なる動物愛護運動家なのか。単なると言ったのはこの陰の団体がこの彼らを利用してる事はないかと、思われるのはあの乱暴さは普通じゃないと思えたからである。政治に纏わるのであれば

この場に来ても政治家とは違う只の暴れん坊である。ああいう乱暴者はまさか幾ら外国といえど政治家ではあるまい、それに比べると日本の政治家は立派過ぎる。政治結社は誰でもつくれるであろうが、新しく作る時に、充分な調査過去を中学生位まで遡って身元調査をお願いしたい、これは外国に言いたい思いは強いのだがシーシェパードの様なものが政治団体であれば一寸おかし過ぎる。単なる暴れん坊に過ぎない。日本の団体は法律に照らして作らていくのだろうから

外国も同じで心配ないと言えるのだろうが、途中からどんな風に変られても直ぐには取り消しとは行かないであろうその間危険行為を繰返す。作られる時に厳しくしないと何方かに迷惑はかかる筈である。これからは、政治団体のように似せたものが多くなりそうなので少し気になる。暴力による世界へのメッセージにしては、古すぎる。ああ言うのを動物愛護団体とは言わないと思うのだが。日本だけを狙った様にもあり。



投票率が上がらない 何故?

2012年11月16日 | Weblog


野田総理が阿倍元総理と刺し違えた。国民の目の前で阿倍さんに約束をさせ口を開いた。16日に解散すると。自分の口で言った残念であろうが、政治生命が終った訳ではない。阿倍さんの時も色々あって総理を辞めたが日本はやはり途上国なのだ。面白いとも言えようが情けない指導者に翻弄される。いよいよ総理請負人が必要の様だ。私は野田さんを特別に好きと言うわけではないがお疲れ様と言いたい。総理1年説、があってからは野田さんが一番骨が

あった様な気がする。兎に角真面目である、そして口が重たい。言い換えれば歯切れが悪いと言えなくも無いが、それ位の方が総理としてはいいのでは。終った訳ではないのでこれからも政治運動をドシドシやって行って欲しい心行くまでやって貰いたい、どんな世界が出来上がるか楽しみにしてる人も多い。「真実一路の 旅なれど」永(?)い合いだのご苦労を癒し外の姿でお目にかかれる日を俟つ者であります。

投票率が上がらない。何故なのだろう政治不信に陥った若者が増えたという事が大きいのか、これは政治家も責任は大いにあるが、吾々はこれから投票率を上げるには何を考え如何いう行動を執ればいいのかを真剣に思わないと明日の日本はない。体育館を作ったり温泉場を整備したりは本当の将来ではないのでは、一票でいいから国の将来を委ねる事の出来る人を選ぶしかない。パソコン投票は駄目なのか。


思う事

2012年11月15日 | Weblog

 
同じ親から生まれ育ちも変らず成長して来ても、子供の動きは相当に違う、もう他人の始まりが起きているのか。行動はかなり違うのが兄弟というのだろう。自分でするスポーツは限られるが、スポーツ全体は好きであった。然し 弟は文科系である如何見てもスポーツは私であろうと思っていた。それが私よりゴルフは上手になってしまった。・・練習だけか?暇を見ては料理もする弟。私は食べるだけで料理は出来ない。出来ないと言うよりする気持ちにならない料理

は難しい、以前にも書いたが料理は管理能力が必須でそういうところは弟の方がワンランク上かもである、私は現場オンリーの工業系の職場に就いた人間で、そんな処を見ると他人の始まりは後天的なもので言葉で作られたものかも知れない。味噌汁・カレーライス位が精一杯である。「兄弟は他人の始まり」と言うが身近に住んだり行き来が何時も行なわれればそうでもないのかも、ただいけないのは相続問題が溝を作ってしまう。夫々が家庭を持ち違う生活を始め、血

が段々遠くなるだけではない様だ。兄弟は生まれ落ちた時から私は可愛い二人のわが子に変りはない。よく言われる事だが、孫ができると急にじいちゃんばあちゃんに急変し、孫が孫がと言われるのには違和感を感ずるのだが私だけだろうか。私は子供が幾つになってもやはりわが子が可愛いのは、異常なのかと時々思う事もある。

本当は

2012年11月14日 | Weblog


政治家は主義主張を何も無いよりはいいが、連立を組む前に如何して強くそれを出さない。国の決定事項に拒否する事もあろうし、時代も変わったものである。引っ張る人がつまらない人ならば連立は如何しても巧くいく筈がないこういう数合わせ政治ばかりしてると、後々とんでもない事が起こりそうで政治を疑いの目で見る様になる。外国も連立は組むが、何とか折り合いをつけて行っている。政治家その人を信じられなくなりつつある。引っ張る指導者が余り信

用のある人では無い事が前々から少しは分かっていたのであれば連立は有り得ない。だからと言って足を引っ張る様な行為は子供には見せられない。本当の気持ちで話し合いが成されていない証拠と言えまいか。吾々凡人はいい加減な気持ちで話す事もあるが、政治家こそが嘘の無い本当の言動を皆は注意し見守っている。これぞ政治家の鏡みなのである。凡人は凡人也に相手を見て信じる、信じないは見詰て言ってるが、そんな大きな見間違いはない。政治家がそれを

し様にも出来ないのは当然で担ってるものが違うのである。国民側からすればイデオロギーの違う大政党が二つあってくれれば、付託のし易さもあるから各政党が成長すればする程、事は簡単になるし、判り易くなる。