井戸端談義・徒然記(MEi日記)

眺める人生は 楽しい 

今の選挙も裏は同じ

2012年11月24日 | Weblog


明ければ選挙の年となろうが、子供の頃の選挙の印象は、偉そうな大人達が入れ替わり挨拶に来ていたのを思い出す。今思えば町内会長さん達の選挙運動であったのだろう。その頃は自宅訪問、贈り物等は普通の事でありお金さえも配られたと聞く。選挙は一つのお祭りの様に子供心には見えた。そして母親達は近所の者と連れ立っていそいそと出て行く投票場へといそぐのだった。以前

余録にも見たが、この頃に日本で選挙の基盤が作られたのも多い。やっと近代国家の入口に立とうとしたあの頃を思えば、マニフェスト(選挙公約ではいけない?)とは雲泥の差がある。外壁や外側の形は流石日本らしい出来上がりである。…後はマニフェストの様に実行したか、しなかったかこの検証が大事になる。若しもの時マニフェストに沿っていないとなれば作成党はペナルティ

でもつけないと、日本は前に進まない。今思えばマニフェストと言う言葉自体がおかしい選挙公約で充分。どうせ護られない事ばかりだし如何して日本語で言わない、宣言するなんて書けば(檄文に聞え)又は言えばはっきりし過ぎて、政治家には都合の悪い事でもあるのか。

墓参り雑感

2012年11月23日 | Weblog

予定のない時はお墓参りをよくする事がある。遠い近いは別にして拝まないと気が咎めるという者も居るという。墓に入れば全ては終ったという事だろう。だとしたら人の心の中に残る様な死後であれば、最高の人生と言いたい。お墓事情も色々有ってお墓は此の辺で止めないと生きた人間が棲めなくなってしまう。特定の墓所を定めず、散骨という方法もあると言う。これは理にかなって

る様に思う。事あるごとに墓所を求めていたら、今の日本の人口は一億人とすれば一億個の墓所が要る墓石だらけになってしまうそれが毎年続く事となり馬鹿にならない。逝けば全てが無になり土にかえるのが理想なのでは。いい加減な人生を歩み、死してまで石に自分の名前を刻まれ残されては、黄泉の世界でおこがましくて呑み歩きも出来ない。人の心の中に残してくれるのが一番嬉し

い。人は消えて行くものであり、不愉快な日常の生活の中の思い出を持たれるのも迷惑な話で人は忘れられるのが、一番の往生かも知れない。私の家も朝のご仏前と水とお茶は欠かした事は無いが、私に対しては一切する必要はないと女房に言っている。が女房曰く「生きてる人間の思いのままにさせてもらいます」と言う。「死ねば全てが負け、負けた人間が采配を振るのは可笑しいと言う」

と言うのである。言われる事は判らんでもない。人間って生を中心に生きてる身であり当然そうなのであろう。死ねば塵と為るそこらの魚の骨と一緒だ。


秋の夜長に思う

2012年11月22日 | Weblog

                                          名門カーフェリーの入港
男の子ばかりで誕生日の祝いを貰う等はあまり無かったが、それも自分の誕生日を思い出す様な器用さもなかった。それでも一つだけ思い出すものがある。 中学生になった頃他人様からのプレゼントだったが、下村湖人の「次郎物語」を貰った。その時の嬉しさは覚えている。全3巻で暇があれば読んだ覚えがある。 何時もはマンガばかりだったのが、急に大人になった気がした。その時期から漱

石に入り込み、芥川や森鴎外や小林秀雄に進んで行った事を思い出す。今読み返せばどんな思いが起きてくるのか興味をそそりながら、夜長を過す芥川を知ったのは国語の教科書だったと思う。その頃は鼻であったと思うが定かでない。異様な光景しか思い出せない余りいい印象ではなかった。その次が森鴎外だったと思う。これも教科書の中の山椒大夫だったと思うがはっきりしない。その

時の先生は心象風景の質問が多かった様に思う。特にこの4人は私には難しく感じられたのを憶えている。卒業して1~2回位は読んだ気もするが、はっきりしない。仲々中味が捉えられず難しかった覚えが残っている。今は秋の夜長である。もう一度アタックしてみようかとも思うが、脳が拒否反応を起こしてる。

天使の寝顔

2012年11月21日 | Weblog


幾ら南国九州と言っても当地は北九州である。北九州はほんとに酒飲が多かった。小学生の頃は周りの道端にごろごろと酔っぱらいが寝ていたのを思い出す。その酔っぱらいの姿を久し振りに見た。私は道で寝たことは今までに無いがあの寝姿は非常に可愛くて憧れてしまう。新しい日々の生活は進むのはいいが、共に人間が夜行性になっている様でならない。夜は寝るものとなっていたが、寝られない様にも世間は為ってきている。TVも24時間あるし、コンビニも24

時間ある。悪の温床も24時間。先日酔っぱらいが、「天使の寝顔」をして道端で寝ていた。幾ら九州と言ってもここは北九州である。11月とは言え家でもストーブが入るこの季節最悪の状態である、幾ら九州でも「天使の寝顔」になるには一寸寒すぎる、家人には見せられない。友達らも近くに居るのだろうが、騒ぎ声が聞える。私も酒は呑んだが道路で寝込んだ記憶はないこけた事は何回かある。あの寝顔を見てるとさぞかし気持ちいいのではなかろうか。酒は自分

に全て責任がある。目覚めた時の言い尽くせぬ嫌悪感は誰でも経験がある筈、大きな大きな自己嫌悪に落ちるのである。鬱憤も分かるがやはり酒は口を湿す程度の心構えでが丁度いい酒になるのだが…そこの分かれ道が酒飲みのルールかも知れない。酔いどれ天使とはよく言ったものである。「天使の寝顔」を見る度にその寝顔のまま生き続けてほしいと思う事もある。

振り込め詐欺

2012年11月19日 | Weblog

振り込め詐欺に奪われたお金が二百億円(?)を越えているという。如何して皆そんなに簡単に引っかかるのだろうか?と家族に話したところ、そういう人が一番騙され易いといわれた。恐らく老人が多いのであろうが家族間で話し合っていれば、老人であっても対処し易いと思うのだが。私にもおかしな電話が一度あった。「インターネット」の解約時、料金が払われ

ていないと言うのである。その時私は「ハイ!分かりました。「言っておきます!」と言いながら興味が湧いた色々質問すると、一所懸命なのか何んと面白味のない人間で電話を切ってしまった。二度とかかってこなかった。相手もびくびくしながらしてる筈だから、弱気にならない事だと思う。間違ったら間違ったらでこう云うご時勢ですからと謝ればいい。自信を持

って対応するのが、一つの方法かも知れない。普通に考えればインターネットの料金を詐欺をしようとするあたり可哀相なゆすりやだな~と思いながら話してると何んとも面白味のない人間で、この人はこの商売では成功しないと、感じたのである。