矗石楼のすぐ下に
南江の中に突き出ている「義岩(ウィアム)」と言われる岩がある。
もともとは“危険な岩”の意味で「危岩」と
言われていたそうだ。
1593年、晋州城が陥落し日本軍が祝宴を矗石楼で
催されたとき、宴に際し集められた妓生(ぎしょう)の
ひとりである朱 論介(ジュ ノンゲ)は、
決死の策略を測ったという。
日本の侍(韓国では毛谷村六郎と言われている)を
泥酔させ、この岩まで誘い出し、抱きかかえたまま
南江に身を投じたというものである。
論介は、その時、手と手が離れないように
両手の指全部に指輪をしていたという。
その論介の愛国精神をたたえるため「義岩(ウイアム)」
と呼ばれるようになったそうだ。
矗石楼の隣にある「義妓祠(ウィギサ)」は
その論介の魂をたたえるために建てられた祠堂だそうだ。
1740年に初めて創建され、
今のは市民の募金によって再建されたものだそうだ。
中には論介の肖像画が祀られている。
何となく、韓国女優のイ・ヨンエ(チャングムの主役をやった人)
みたいな楚々とした美人に描かれている。
しかし、この絵を描いた人が問題になり
近々、取り外される(他のと取り替える)予定だそうだ。
論介の話は、ドラマや映画、本にも取り上げられていて
「韓国のジャンヌダルク」と言われているらしい。
南江の中に突き出ている「義岩(ウィアム)」と言われる岩がある。
もともとは“危険な岩”の意味で「危岩」と
言われていたそうだ。
1593年、晋州城が陥落し日本軍が祝宴を矗石楼で
催されたとき、宴に際し集められた妓生(ぎしょう)の
ひとりである朱 論介(ジュ ノンゲ)は、
決死の策略を測ったという。
日本の侍(韓国では毛谷村六郎と言われている)を
泥酔させ、この岩まで誘い出し、抱きかかえたまま
南江に身を投じたというものである。
論介は、その時、手と手が離れないように
両手の指全部に指輪をしていたという。
その論介の愛国精神をたたえるため「義岩(ウイアム)」
と呼ばれるようになったそうだ。
矗石楼の隣にある「義妓祠(ウィギサ)」は
その論介の魂をたたえるために建てられた祠堂だそうだ。
1740年に初めて創建され、
今のは市民の募金によって再建されたものだそうだ。
中には論介の肖像画が祀られている。
何となく、韓国女優のイ・ヨンエ(チャングムの主役をやった人)
みたいな楚々とした美人に描かれている。
しかし、この絵を描いた人が問題になり
近々、取り外される(他のと取り替える)予定だそうだ。
論介の話は、ドラマや映画、本にも取り上げられていて
「韓国のジャンヌダルク」と言われているらしい。