なぜそこまで我慢したか?
それは子供達が成人するまでは
何があっても我慢しようと
心に決めていたからです。
今日はその決心をした日のことを書こうと思います。
結婚して夫の実家の近くに
住むようになり
今までの職場に通うには
電車3本とバスを乗り継いで
片道2時間ちょっとかかるようになったので
週 2日だけに仕事を減らしました。
でも1人目を妊娠した途端に
ひどいつわりが始まり
吐き気がひどくて点滴を受けたりしていました。
仕事に行く途中で吐き気がすると途中下車をしてトイレに駆け込む日々が続き
もう仕事を完全に辞めるしかありませんでした。
つわりがひどくて寝ていたいと思っても
義母が泊まりに来るので
気の休まる日はありませんでした。
1人目が生まれると、
手伝いと称して
何日も泊まりがけで義母が来るようになりました。
そして大正ニ年生まれの義母さんの育児のやり方を強制され
あれやこれや命令され
朝起きると勝手に涙がボロボロこぼれるようになりました。
夫
「なんで泣いてるんや?」
私
「義母さんが子育てについて
あーしろこうしろと
命令ばっかりされて辛くて
勝手に涙が出てくる。」
夫
「おふくろがそんなことを
するはずがない! 」
義母さんは夫の前では
私にすごく優しく接し、
夫が仕事に出かけた途端に
命令口調で
「早く片付けしたんさい !! 」
義母さんは東京生まれの六本木 育ちが自慢で
関西に来て 何十年も経っても
関東弁でしゃべるので
ずっと関西育ちの私にとっては
とてもきつく感じました。
3時間おきの授乳の時期だったので 睡眠不足で倒れそうなのに
赤ちゃんが寝たら義母さんが
「寝た?
じゃあこっちへ来て! 」
と呼ばれて
話相手をするしかなく昼寝をすることもできませんでした。
赤ちゃんが起きるまで義母さんは延々と喋り続ける毎日でした。
もう限界でした。
そして
朝起きると勝手に涙がボロボロ 出るようになってしまいました。
義母さんが来ていない日で
夫が休みの日に
長男をおいて家出をしました。
その時は
自分のことしか考えられず
逃げ出したひどい母親です。
育児を全く手伝わない夫が
一人で赤ちゃんの世話をして
苦労すればいい!
そうすれば
どんなに大変かわかるはず!
そう思いました。
どこをどう歩いたか?
もう覚えていないぐらい
何時間もうろうろした後
やっぱり長男のことを考えて
家に戻りました。
「やっぱり帰ってきた」という
夫の顔・・・
めちゃくちゃ腹が立ちました。
でもこんな親子に負けたくはありませんでした。
絶対にあなたたちよりは
真っ当な人間に育ててみせる。
そして
この子が成人するまでは
何があっても我慢しよう。
そう決心しました。
これが一番最初の我慢の始まりでした。