ひとりごと

オバちゃんのひとりごと

今夜は中秋の名月♪

2024-09-17 20:53:53 | 日記
今夜は中秋の名月。

毎年8時ごろ南の窓から見える。
今夜も見えるかな?と
窓を開けたら
むわっとする 空気が!

うわあ~暑い(;´Д`)

お月見って 

こんなに暑かったっけ?



お月見団子の代わりに
おまんじゅう(^_^;)


ああ〜美味しかった💞







コメント

帯状疱疹の予防接種

2024-09-12 13:55:00 | 日記
市から帯状疱疹の予防接種の
助成金のお知らせが届いた。

不活性化ワクチンの場合
2回接種する必要があり
接種費用は自費で
合計 4万円〜5万円

びっくり😱
市から助成金2回分22,000円が出るとのこと。

病院やクリニックによって
接種費用が違うらしい。

\(◎o◎)/!

22000円の助成金が出ても
自己負担額がすごい!
おまけに
病院によって 費用が違うなんて!
予防接種できる病院の一覧表が
同封されていたけど
接種費用は何も書かれてない。
出来れば安いところで受けたいなあ。
でも電話でおいくらですか って聞くなんて恥ずかしいし
全部の病院やクリニックに電話するのは大変だし😥




子供の頃 水疱瘡にかかって
ものすごく痒かったのを覚えている。

だから 帯状疱疹になったら
辛いなあと前々から不安だった。
それに
ここ数年の間に友達が何人も
帯状疱疹になって
大変だったと聞いたので
費用が高くても予防接種を
受けようと思っていた。

どうせお金は出してくれないのは分かっていたけれど
夫に予防接種の件を聞いてみた。

「えー!
あんな高いものを受けるんか?」

「友達が帯状疱疹になって
 とっても辛いと言ってたから
 受けたいと思うんだけど。」

「いや〜そんなことない。
 僕はしょっちゅう帯状疱疹に
 なってるけど、すぐ治る。」

「ええー?
 友達はすごく痛かったし
 お薬がすごく高かったと
 言ってたよ。
 確か 8000円ぐらい。」

「今も 帯状疱疹出てるけど
 大して 痛くもない。
 ほら、見てみろ。    」

そう言って
T シャツをまくり上げ
お腹を出し たった1つの
小さな赤い湿疹を見せた。

「ただの虫刺されやん!」

「いや! これは帯状疱疹や!」

「あのねえ
 帯状疱疹って文字通り
 帯状に湿疹ができるのよ。
 その湿疹は絶対に違う。」

「いや 俺が帯状疱疹と
 診断してるんやから
 帯状疱疹や 😡😠 」

はあ〜〜

「あなたはお医者さんなん?

(心の中で)
 いつの間にお医者さんに
 なったんや?
そんなに頭よかったっけ?
 と思ったけど
 また怒鳴られたら怖いので
 口には出さなかった。


「俺が帯状疱疹と言ったら
  帯状疱疹 なんや😡」

また 大声で 怒鳴った。

「じゃあもう 予防接種を
 受ける必要ないわね? 」

「 君は受けるんか? 」

「 私は受けるつもり。」

「 ふ〜ん。 高いのに。。。 」


コメント

今、私が望むこと

2024-09-11 11:57:00 | 日記

誰にも虐げられることなく

誰にも見下されることなく

穏やかな日々を過ごしたい

 ただそれだけ




コメント

その後3

2024-09-07 15:35:00 | 日記
あれから 話し合いは平行線が続き
諦めるしかないのかと思い始めていた。

先日
2人だけで話し合っていたら

夫が急に立ち上がり
足で床をドスドス踏みつけて
大声で怒鳴り始めた。






まるで鬼の形相で

本当に恐ろしかった。


大きな声で怒鳴り続けたので
上の住人の方が
うるさいと言わんばかりに
床をドンドンと叩いてきた。

ああ〜恥ずかしい😣

でもここで諦めたら
今までの努力が無駄になると
思った。

だからじっと我慢をして
夫の怒鳴り声を聞いていた。

本当に恐ろしかった。


やっと少し収まってきたので


「もう話し合いでは無理だから
 裁判所に行くわ。  」


そう言った途端に


夫の顔色😨が変わり

急に 土下座 🙇‍♂️ して

「それだけはやめてくれ。
 頼む🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏」


まさかそういう展開になるとは夢にも思っていなかった。



コメント

半年ぶりの診察

2024-08-27 18:48:40 | 日記
今日は半年に1回の
リンパ浮腫のクリニックへ
お出かけでした。

あんまり暑い日が続いて
どこへも出かけることがなかったので、
本当に久しぶりの遠出?

もう このクリニックに通い始めて11年。
父の遺品整理をしていたら
右腕がひどく腫れてきて
ああ〜ついに来たか (・・;)

23年前の手術時に
脇のリンパ節を全摘したので
右手のリンパ浮腫が出ないようにすごく気をつけていたけれど
ついに来たか って感じでした。

それから 通い始めて 11年。
一日中 脇から手首までのきつい
サポーターをしているので
夏場はとっても暑い😥
特に今年の夏はつらかった💦

11年前に 初めて 先生にお会いして
「重いものは持たないように!」
と注意されました。

そのためには家族の協力が一番大事だからと言って
先生が1枚の紙を下さり
これをみんなが見るところに貼っておいてと。


重いものは持たないように!

家族みんなで助けてあげましょう!


家に帰って先生に言われたことを夫に話し
この紙を壁に貼りました。

翌日、洗濯かごがすごく重かったので
テレビばかり見ている夫に

「すごく重いからこれ運んでくれない?」

「なんで俺が!?」

「昨日 リンパ節の先生が
言ったことを話したよね?

「なんで俺様がそんなことしなくちゃいけないんだ!!!
長い間働いてきてやっと定年に
なってゆっくりしてるのに!
それぐらい自分で運べ🤬

「でもリンパ浮腫の先生が。。。」

「これ見よがしに
 こんな紙 貼りやがって😡🤬」

そう言って リビングから
自分の部屋に逃げて行きました。

はあ〜〜(/_;)

もうだめだ😢



クリニックの帰り道、
急に降り出した 大雨☔
傘をさして歩くこともできないほどだったので
ビルの入り口で 雨宿りしながら
こんな昔のことを思い出してしまいました。






コメント

友達の悩みごと

2024-08-25 22:48:25 | 日記
私のような 転勤族と違って
友達は生まれ育った町に
ずっと住んでいる。
だから道で 幼馴染に会うこともしばしばあるらしい。

友達
「今日ねえ
 幼なじみに後ろから
 急に声かけられて
 お金貸してくれない?と
 言われて何とか断って
 逃げてきたのよ。」

「ええーーーまた?」

友達
「もう7回目。
 しつこくて困ってる💦。」

「なかなか友達にお金貸してと
 言いにくいよね。
  7回も言ってくるなんて。
よっぽど 困ってるのかなあ?」

友達
「そうかもしれないけど
 昔から厚かましい人なのよ。
 絶対返す気はない人だから。」

「そうなんだ。。。」

友達
「さすがに何回も言われると
 避けたくなってきたわ。
 それにその人に会うと
 気分が落ち込むのよねえ😥」

「お互い年金暮らしで
 大変だもんねえ。
 その人には助けてくれる
 子供さんいないの?   」

友達
「娘さんが2人いて結婚してる。
 でも娘さん達にも
 避けられてるみたい。」

「娘さんには 娘さんの生活が
 あるものね。
 返してくれないお金を
 貸す人はいないよね〜。」

友達
「何かいい方法ないかしら?」

「じゃあ今度会ったら
 こっちから
 お金貸してと言ってみたら?」

友達
「なるほど (⁠☉⁠。⁠☉⁠)⁠!!!
今度会ったら 言ってみる!
 お金を貸してと言われて
 逃げてたけど逃げないで
 立ち向かってみる!!! 


物価の値上がりもひどいし
年金も少ないし生活は苦しい。
簡単に他人にお金を貸す人は
いないと思う。

どうか上手くいきますように🙏



コメント

その後2

2024-08-24 21:53:54 | 日記
一緒に暮らしているのが
耐えられなくなり家を出て
生前父が暮らしていた家に住み始めました。

心配して電話をくれた親友が
「やっと出たのね。
 あのまま 旦那さんといたら
 あなたが倒れると思ってた。
 まるでお手伝いさんのような  
 生活だったもの。
 よかったよかった👏 

確かにお手伝いさんみたいな
 生活だったね」

親友
「でもお手伝いさんなら
 お給料を貰えるけど
 あなたの暮らしぶりみてたら
 まるで奴隷みたいだったよ。」

奴隷。。。

友達から見たら
私って そう見えてたんや😢


コメント

ランチ会

2024-08-24 01:18:00 | 日記
初めて癌になった39歳の時に
病院で知り合ったお友達4人で
ランチ会をすることになった。

「明日のお昼ちょっと出かけます。
 でも ランチ食べるだけだから
 夕方には帰れるので
 晩ご飯はちゃんと作ります。」

「誰と? 」

「病院で知り合ったお友達4人で
 ランチ会をするの。

「ふ~ん。まさに
 同病相憐れむ会やな。」

そう言ってアハハと笑った。

「 同病相憐れむ会 」


どうして笑えるの?

癌になった私達にとっては
そんな茶化して笑う話ではない

 ひどすぎる😭😭😭


みんな 手術の後、抗がん剤治療と放射線治療を受けている最中で
その時の私達4人は
そんな笑えるような状態でなかった。

私の状態を間近で見ているのによく茶化して笑えるなあと思った。

もう夫はまともな人間じゃない!

人間の仮面をかぶった悪魔のように見えた。




コメント

なぜそこまで我慢したか

2024-08-19 00:17:00 | 日記
なぜそこまで我慢したか?

それは子供達が成人するまでは
何があっても我慢しようと
心に決めていたからです。

今日はその決心をした日のことを書こうと思います。

結婚して夫の実家の近くに
住むようになり
今までの職場に通うには
電車3本とバスを乗り継いで
片道2時間ちょっとかかるようになったので
週 2日だけに仕事を減らしました。

でも1人目を妊娠した途端に
ひどいつわりが始まり
吐き気がひどくて点滴を受けたりしていました。
仕事に行く途中で吐き気がすると途中下車をしてトイレに駆け込む日々が続き
もう仕事を完全に辞めるしかありませんでした。

つわりがひどくて寝ていたいと思っても
義母が泊まりに来るので
気の休まる日はありませんでした。

1人目が生まれると、
手伝いと称して
何日も泊まりがけで義母が来るようになりました。

そして大正ニ年生まれの義母さんの育児のやり方を強制され
あれやこれや命令され
朝起きると勝手に涙がボロボロこぼれるようになりました。

「なんで泣いてるんや?

「義母さんが子育てについて
  あーしろこうしろと
 命令ばっかりされて辛くて
 勝手に涙が出てくる。」

「おふくろがそんなことを
  するはずがない!   」

義母さんは夫の前では
私にすごく優しく接し、
夫が仕事に出かけた途端に
命令口調で

「早く片付けしたんさい !! 」

義母さんは東京生まれの六本木 育ちが自慢で
関西に来て 何十年も経っても
関東弁でしゃべるので
ずっと関西育ちの私にとっては
とてもきつく感じました。

3時間おきの授乳の時期だったので 睡眠不足で倒れそうなのに
赤ちゃんが寝たら義母さんが

「寝た? 
 じゃあこっちへ来て! 」

呼ばれて
話相手をするしかなく昼寝をすることもできませんでした。
赤ちゃんが起きるまで義母さんは延々と喋り続ける毎日でした。

もう限界でした。
そして
朝起きると勝手に涙がボロボロ 出るようになってしまいました。

義母さんが来ていない日で
夫が休みの日に
長男をおいて家出をしました。

その時は
自分のことしか考えられず
逃げ出したひどい母親です。

育児を全く手伝わない夫が
一人で赤ちゃんの世話をして
苦労すればいい!
そうすれば
どんなに大変かわかるはず!

そう思いました。


どこをどう歩いたか?
もう覚えていないぐらい
何時間もうろうろした後
やっぱり長男のことを考えて
家に戻りました。

「やっぱり帰ってきた」という

夫の顔・・・

めちゃくちゃ腹が立ちました。

でもこんな親子に負けたくはありませんでした。

絶対にあなたたちよりは
真っ当な人間に育ててみせる。
そして
この子が成人するまでは
何があっても我慢しよう。
そう決心しました。

これが一番最初の我慢の始まりでした。


コメント

その後

2024-08-17 17:32:55 | 日記
もう 嘘でごまかす夫に
私だけでは無理だと思いました。

「これからは息子に間に入ってもらおうと思う。」

「 ええーーー。
  君なら適当に
  ごまかせたのに。 
  あいつが入ったら
  出来ないな。    」
 
「・・・・・」


「君なら 適当に ごまかせる。」

そんなことを口に出して言う!?

呆れ果てて何も言う気がなくなりました。

はあ〜〜

なんてバカな人なんだろう。

もう近所の人から
〇〇さん(夫)の奥さんと
呼ばれるのも恥ずかしくなった。



コメント