ひとりごと

オバちゃんのひとりごと

半年ぶりの診察

2024-08-27 18:48:40 | 日記
今日は半年に1回の
リンパ浮腫のクリニックへ
お出かけでした。

あんまり暑い日が続いて
どこへも出かけることがなかったので、
本当に久しぶりの遠出?

もう このクリニックに通い始めて11年。
父の遺品整理をしていたら
右腕がひどく腫れてきて
ああ〜ついに来たか (・・;)

23年前の手術時に
脇のリンパ節を全摘したので
右手のリンパ浮腫が出ないようにすごく気をつけていたけれど
ついに来たか って感じでした。

それから 通い始めて 11年。
一日中 脇から手首までのきつい
サポーターをしているので
夏場はとっても暑い😥
特に今年の夏はつらかった💦

11年前に 初めて 先生にお会いして
「重いものは持たないように!」
と注意されました。

そのためには家族の協力が一番大事だからと言って
先生が1枚の紙を下さり
これをみんなが見るところに貼っておいてと。


重いものは持たないように!

家族みんなで助けてあげましょう!


家に帰って先生に言われたことを夫に話し
この紙を壁に貼りました。

翌日、洗濯かごがすごく重かったので
テレビばかり見ている夫に

「すごく重いからこれ運んでくれない?」

「なんで俺が!?」

「昨日 リンパ節の先生が
言ったことを話したよね?

「なんで俺様がそんなことしなくちゃいけないんだ!!!
長い間働いてきてやっと定年に
なってゆっくりしてるのに!
それぐらい自分で運べ🤬

「でもリンパ浮腫の先生が。。。」

「これ見よがしに
 こんな紙 貼りやがって😡🤬」

そう言って リビングから
自分の部屋に逃げて行きました。

はあ〜〜(/_;)

もうだめだ😢



クリニックの帰り道、
急に降り出した 大雨☔
傘をさして歩くこともできないほどだったので
ビルの入り口で 雨宿りしながら
こんな昔のことを思い出してしまいました。






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友達の悩みごと

2024-08-25 22:48:25 | 日記
私のような 転勤族と違って
友達は生まれ育った町に
ずっと住んでいる。
だから道で 幼馴染に会うこともしばしばあるらしい。

友達
「今日ねえ
 幼なじみに後ろから
 急に声かけられて
 お金貸してくれない?と
 言われて何とか断って
 逃げてきたのよ。」

「ええーーーまた?」

友達
「もう7回目。
 しつこくて困ってる💦。」

「なかなか友達にお金貸してと
 言いにくいよね。
  7回も言ってくるなんて。
よっぽど 困ってるのかなあ?」

友達
「そうかもしれないけど
 昔から厚かましい人なのよ。
 絶対返す気はない人だから。」

「そうなんだ。。。」

友達
「さすがに何回も言われると
 避けたくなってきたわ。
 それにその人に会うと
 気分が落ち込むのよねえ😥」

「お互い年金暮らしで
 大変だもんねえ。
 その人には助けてくれる
 子供さんいないの?   」

友達
「娘さんが2人いて結婚してる。
 でも娘さん達にも
 避けられてるみたい。」

「娘さんには 娘さんの生活が
 あるものね。
 返してくれないお金を
 貸す人はいないよね〜。」

友達
「何かいい方法ないかしら?」

「じゃあ今度会ったら
 こっちから
 お金貸してと言ってみたら?」

友達
「なるほど (⁠☉⁠。⁠☉⁠)⁠!!!
今度会ったら 言ってみる!
 お金を貸してと言われて
 逃げてたけど逃げないで
 立ち向かってみる!!! 


物価の値上がりもひどいし
年金も少ないし生活は苦しい。
簡単に他人にお金を貸す人は
いないと思う。

どうか上手くいきますように🙏



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その後2

2024-08-24 21:53:54 | 日記
一緒に暮らしているのが
耐えられなくなり家を出て
生前父が暮らしていた家に住み始めました。

心配して電話をくれた親友が
「やっと出たのね。
 あのまま 旦那さんといたら
 あなたが倒れると思ってた。
 まるでお手伝いさんのような  
 生活だったもの。
 よかったよかった👏 

確かにお手伝いさんみたいな
 生活だったね」

親友
「でもお手伝いさんなら
 お給料を貰えるけど
 あなたの暮らしぶりみてたら
 まるで奴隷みたいだったよ。」

奴隷。。。

友達から見たら
私って そう見えてたんや😢


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ランチ会

2024-08-24 01:18:00 | 日記
初めて癌になった39歳の時に
病院で知り合ったお友達4人で
ランチ会をすることになった。

「明日のお昼ちょっと出かけます。
 でも ランチ食べるだけだから
 夕方には帰れるので
 晩ご飯はちゃんと作ります。」

「誰と? 」

「病院で知り合ったお友達4人で
 ランチ会をするの。

「ふ~ん。まさに
 同病相憐れむ会やな。」

そう言ってアハハと笑った。

「 同病相憐れむ会 」


どうして笑えるの?

癌になった私達にとっては
そんな茶化して笑う話ではない

 ひどすぎる😭😭😭


みんな 手術の後、抗がん剤治療と放射線治療を受けている最中で
その時の私達4人は
そんな笑えるような状態でなかった。

私の状態を間近で見ているのによく茶化して笑えるなあと思った。

もう夫はまともな人間じゃない!

人間の仮面をかぶった悪魔のように見えた。




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なぜそこまで我慢したか

2024-08-19 00:17:00 | 日記
なぜそこまで我慢したか?

それは子供達が成人するまでは
何があっても我慢しようと
心に決めていたからです。

今日はその決心をした日のことを書こうと思います。

結婚して夫の実家の近くに
住むようになり
今までの職場に通うには
電車3本とバスを乗り継いで
片道2時間ちょっとかかるようになったので
週 2日だけに仕事を減らしました。

でも1人目を妊娠した途端に
ひどいつわりが始まり
吐き気がひどくて点滴を受けたりしていました。
仕事に行く途中で吐き気がすると途中下車をしてトイレに駆け込む日々が続き
もう仕事を完全に辞めるしかありませんでした。

つわりがひどくて寝ていたいと思っても
義母が泊まりに来るので
気の休まる日はありませんでした。

1人目が生まれると、
手伝いと称して
何日も泊まりがけで義母が来るようになりました。

そして大正ニ年生まれの義母さんの育児のやり方を強制され
あれやこれや命令され
朝起きると勝手に涙がボロボロこぼれるようになりました。

「なんで泣いてるんや?

「義母さんが子育てについて
  あーしろこうしろと
 命令ばっかりされて辛くて
 勝手に涙が出てくる。」

「おふくろがそんなことを
  するはずがない!   」

義母さんは夫の前では
私にすごく優しく接し、
夫が仕事に出かけた途端に
命令口調で

「早く片付けしたんさい !! 」

義母さんは東京生まれの六本木 育ちが自慢で
関西に来て 何十年も経っても
関東弁でしゃべるので
ずっと関西育ちの私にとっては
とてもきつく感じました。

3時間おきの授乳の時期だったので 睡眠不足で倒れそうなのに
赤ちゃんが寝たら義母さんが

「寝た? 
 じゃあこっちへ来て! 」

呼ばれて
話相手をするしかなく昼寝をすることもできませんでした。
赤ちゃんが起きるまで義母さんは延々と喋り続ける毎日でした。

もう限界でした。
そして
朝起きると勝手に涙がボロボロ 出るようになってしまいました。

義母さんが来ていない日で
夫が休みの日に
長男をおいて家出をしました。

その時は
自分のことしか考えられず
逃げ出したひどい母親です。

育児を全く手伝わない夫が
一人で赤ちゃんの世話をして
苦労すればいい!
そうすれば
どんなに大変かわかるはず!

そう思いました。


どこをどう歩いたか?
もう覚えていないぐらい
何時間もうろうろした後
やっぱり長男のことを考えて
家に戻りました。

「やっぱり帰ってきた」という

夫の顔・・・

めちゃくちゃ腹が立ちました。

でもこんな親子に負けたくはありませんでした。

絶対にあなたたちよりは
真っ当な人間に育ててみせる。
そして
この子が成人するまでは
何があっても我慢しよう。
そう決心しました。

これが一番最初の我慢の始まりでした。


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その後

2024-08-17 17:32:55 | 日記
もう 嘘でごまかす夫に
私だけでは無理だと思いました。

「これからは息子に間に入ってもらおうと思う。」

「 ええーーー。
  君なら適当に
  ごまかせたのに。 
  あいつが入ったら
  出来ないな。    」
 
「・・・・・」


「君なら 適当に ごまかせる。」

そんなことを口に出して言う!?

呆れ果てて何も言う気がなくなりました。

はあ〜〜

なんてバカな人なんだろう。

もう近所の人から
〇〇さん(夫)の奥さんと
呼ばれるのも恥ずかしくなった。



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コートの思い出

2024-08-14 21:45:00 | 日記
夫 いわく
「 接待でコートを脱ぐと
  裏地で良いコートかどうか
  わかる。
  それ次第で店の扱いが
  変わる。
  男はブランドものの
  良いコートを着ないと。」

それで夫はいつも冬になると
バーバリーのコートを着ている。

そんな高いコートを買うお金は
どこにあるの?と聞いたら
夫 曰く 別会計から出すから大丈夫だと。

別会計・・・┐⁠(⁠´⁠д⁠`⁠)⁠┌

昔、駅のエレベーターに
左側に順に並んで乗った時
夫が振り向いて
「まるで布団みたいなコートやなあ〜あはは😆

夫→バーバリーのコート

私→スーパーで買った安物の
  ベージュのコート

ギリギリの生活費しかくれないから3980円のコートを買うのもやっとで
それを5年以上着ていた。

夫婦でこんなにも 貧富の差があるなんて😢

「もうちょっとマシなのを買えば? 」

「そんなお金 どこにあるの?」

「生活費渡してるやろ!」

「ギリギリだから買えるわけないよ。」

「お袋は同じ額で
 ちゃんとやりくりしてたぞ。」

「それは2人暮らしだったからでしょう?
子供も二人いるからうちは4人家族でしょ。
義母さんの倍もらっても足りないよ。
だって子供達の学費も必要だし 食欲旺盛な男の子2人分の食費もすごくかかる。」

「・・・・・・・・」

都合が悪くなると無言になる😓


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絶対ついてはいけない嘘

2024-08-10 16:17:00 | 日記
離婚をするために
夫と話すたびに体調が悪くなり
胃が痛みお腹を下すようになりました。
ストレスできっと免疫力も下がったのでしょう。
久しぶりに風邪をひいて
喉が痛くて痛くてたまらなくなり声もかすれるようになったので 久しぶりに耳鼻科に行きました。

こんなに 喉が腫れてるんだから 本当に熱がないの?と先生に聞かれました。
念のためにと病院でも測ってもらいましたが 平熱でした。

今コロナが流行っているのか 私の前の方 2人がコロナでした。

こんな時はうつってしまうだろうなと覚悟しましたが
ありがたいことに感染しませんでした。

でも今回の風邪はなかなかきつくて治るまで2週間以上かかりました。

やっと声が出るようになって
話し合いを始めると
何もかも 私が悪いという風に
持っていこうとしました。

ついに夫が
「もう離婚するくらいなら
  死んだほうがマシや。
  死んでもええか?  」
と言い出したので

本当に死んでしまわないかと
心配になりました。

私が離婚したいと言い出したせいで
死にたくなったのかと思うと辛くて
夜も眠れない日が続きました。

10日ほど 夫に会わずに過ごしたのですが
やっぱり 話し合わないといけないと思い
我慢して会うことにしました。

会ってみると死にたいと言った人とは思えないほど
真っ黒に日焼けして元気そうで
びっくりしました。

「ずいぶん 日焼けしたね。」

「週3日スイミングに通ってるからな。


死にたいと言ってたから
 すごく心配したのに。

「そんなことは言ってない。
 君が死ねといったんや‼ 」

「 ええーーーそんな!!
  死ねなんて言ってないよ。」

「 いや。君が死ねといった!」


ああ~また嘘をついた。
人に死ねなんて
私が言うはずはない。

あんなに心配したのに。。。
夜も寝られないほど悩んだのに。
あの悩んだ時間は何だったんだろう???


「そんな嘘は通じないよ!
 録音してあるんだから。
 再生してみようか?  」

そう言った途端に慌てて

「ああ~そうやった。
  僕が言ったんやった。」

「そんな嘘をつくなんて‼
 人間として最低だわ。 」

もう話し合う気力も
なくなりました _| ̄|○


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