オバちゃんのひとりごと

笑って暮らせば きっといい日になるよね? きっと!

おくりびとではなく。。。

2023-02-14 21:36:43 | 日記
いままでなるべく楽しいブログにしたいと思い、良いことばかり綴ってきましたが
今日から、現実の自分を隠さずに書くことにしました。
どうぞよろしくお願いします🙇

「自己紹介」
大阪のど田舎で育ったオバちゃんですが、連れ合いの転勤で3年の約束で東京へ。結局大阪へは戻れず東京生活も早34年。その間に母が亡くなりその半年後に乳がん発症。部分切除後、抗がん剤と放射線治療しました。
その後一人暮らしが大変になった父を東京へ呼び介護生活が始まって一年後に、がん再発。一ヶ月の入院後、片道2時間かけて病院に通院し抗がん剤治療。
ヘルパーさんの助けを借りながら
父の介護を13年。
ついに無理が祟ったのか?
ひどい腹痛になり一晩中我慢していましたが、その間も夫は呑気にテレビ三昧。
「大丈夫か?」の一言もなく
「俺の食事は?」とまで言った。
翌朝、痛みを通り越し身体がガタガタ震え顔面蒼白になり、緊急入院。
原因は虫垂破裂による腹膜炎。あと一時間遅れてたら死んでいたよ。なぜここまで我慢したんだ?と言われ緊急手術。
お臍から真下20センチほどを開口したので、すぐには退院できず、
その入院中に、父がたった一人で自分の部屋のベッドで亡くなっていたのを翌朝ヘルパーさんが発見。それで慌てて無理やり退院してお通夜やお葬式の準備をした。
そんな大変なときでも我関せずと一日中テレビを見てコタツでうとうとしている夫。
私の入院中、一度も父の家(同じマンションの違う階)に行ってもくれなかった。
今思うと夫は父が東京に来て亡くなるまでの13年間、1年に一回お正月に一緒に挨拶に行くだけであった。

父の死後、痛い傷口を押さえながら役所や銀行などをひとりで回る日々を続けていたら
手術で切った傷口が開いてきて再度入院手術。


その後、遺品の整理をしていたら
脇のリンパ節を全切除しているので、右腕がどんどん腫れ上がりリンパ浮腫発症。

腫れている右腕にサポーターをはめながらの生活が続いている。





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ずっと自分のことは後回しにし
家族のことを優先し
必死で家族を支えてきたのに
40年も連れ添った相手に

「何度も何度も死にかけたのに
まだ生きてる
ホンマに 死ぬ死ぬ詐欺や」と


私が死ぬのを待ってるのが痛いほどわかった。

私はおくりびとではなく

「待たれびと」

もう心が 壊れてしまいそう😢



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