Hironobu824~『夢の旅人』

日常の様々な出会いや出来事を折々の写真や動画ムービーとともに・・徒然なるままに・・・
それぞれの道を『夢の旅人』

心に『夢の王国』を・・・

2010年10月25日 18時32分30秒 | 日記
     心に 『夢の王国』 を拡げよう



百年に一度の”世界的大不況”~”世界的経済危機”と叫ばれる昨今。

そんな不況だ、不景気だの暗い世の中で、かなりの入園増加を続け、

多くのテーマパークが伸び悩む中で

”独り勝ち”なのが、多くの人が愛する 『夢の王国~ディズニーランド』。

1983年に浦安にオープンして以来、後続の『ディズニーシー』とも合わせ、

数多くのリピーターを生んでます。

私も東京の大学生~社会人時代以来、十数回も訪れている大好きなテーマパークです。

九州 福岡のキャナルシティ隣接にディズニー初の屋内型テーマパークの話が持ち上

がっていたのが頓挫し、

つい先日は、そこに『第二キャナル』が出来るとの新聞報道に正直残念に思ってます。


 今日はこの、世界中に多くのファンを持ディズニーの世界の創作者であるウォルト=

ディズニーの逸話を紹介します。



 ディズニーは、皆さんもよくご存知の ミッキーマウスや、ドナルドダックをはじ

め、世界的な人気キャラクターを生み出した立派な芸術家です。

映画の世界でも、多くの賞に輝いています。

 彼は子供の頃から、人を喜ばせるのが大好きでした。

どうせ、人生 生きるなら、皆が楽しく、愉快に暮らせるようにしてあげたい

と思っていたようです。
 
 彼は絵が得意でした。絵を描いて、皆が喜んでくれるのを見ることが、

何より嬉しかったのです。

しかし、彼の家は決して お金持ちではありませんでした。

小さい頃からアルバイトをしていました。

その上、八歳の時には、お父さんが病気になってしまい、家はますます貧しくなっていきました。

でも、ディズニー少年は、へこたれませんでした。

お父さんを助けて新聞配達をしながら、学校に通いました。

ディズニーは、どんな大変な時にも、大好きな絵だけは忘れませんでした。

真剣に勉強し、絵を描き続けました。

そして、いつしか 『自分は絵で人々に勇気を与えて行こう。愛と喜びを与えて行こう。それを一生の使命にしたい!!』

と願うようになりました。

 その願い通り、やがて、ディズニーの作品は、世界の人々の心を温かい光で包み、

希望と優しさを送り続けるようになりました。

 
 私は、その力の源泉は、彼の少年時代の苦労の中にあったと思います。

世に偉人と呼ばれる人々や成功者は皆、苦労しています。

様々な苦しい事を経験してこそ、自分自身も鍛えられ、人の心も分かるようになり、

ひいては、立派な仕事も出来るようになるのだと思います。


 ディズニーは、まず、小さな広告会社で働き始めました。宣伝の絵を描く仕事です。

大きな夢に向かって、現実の一歩を踏み出しました。

やがて、映画作りも始め、次第に名前も知られるようになりました。

 しかし、そんな夢に近づく最中に、ディズニーは、信用していた人間に騙され、裏切られてしまいます。

夜もろくろく寝ないで作った大事な映画の権利を奪われてしまったのです。

その上、多くの社員たちも去って行きました。

ディズニーは、悲しみのどん底に突き落とされてしまいます。

お金も無い、仕事も無い、頼れる味方も無い・・・・何もかも無くして

 『もう駄目だ!』 と思いかけました。

しかし、ディズニーには、あの少年時代からの『夢』がありました。

絶対に挫けるわけにはいきません。

 『何とかしなければ・・・・』

その苦渋の最中、孤独な彼の心に浮かんだのは、ある ”友達” の事でした。

”友達”とは・・・以前、ディズニーが独りぼっちで絵を描いていた時、部屋に現れた ネズミ の事です。

心優しいディズニーは、たった一人の友達に、自分のわずかな食事である パン を分け与えたのです。

 『そうだ!!彼がいる!!』

ディズニーは、その”小さな心の友”を新しい主人公に決めました。

これが、今や世界中で愛される大人気キャラクター 『ミッキーマウス』 の劇的な誕生の瞬間だったのです。

『ミッキーマウス』は、たちまちアメリカ中の人気者になりました。

陽気で、元気いっぱいに走り回るミッキーに、大人も子供も、そしてどこの国でも、

人々は惹きつけられました。


 あの、ほがらかな人気者”ミッキ^-マウス”が、実は、このような、ディズニー苦しい涙の中から誕生した事を知り、

深い感銘を受けました。

 『ピンチの後にはチャンスあり!』

一番つらい時、悲しみの涙に沈む時、その時こそ、一番大切な時なんだと、あらためて痛感します。

苦衷の真っ只中こそ、新しい道が開ける一番のチャンスの時なんですね。

そして、ディズニーのように、努力する限り、負けない限り、心の中の”夢の木”は伸び続けることが出来る。

自分に負けない努力こそ、夢を育てる栄養分なんですね。


 続けて、ディズニーは『ドナルド・ダック』や『ダンボ』 『バンビ』など、楽しい仲間を世界に送り出していきます。

そして次々と新しい仕事に挑戦し、映画の世界に夢を大きく拡げていきました。

 そして彼の夢は、どんどん大きくなり、世界中の何処にも無い 『夢の王国』 を作りたいと思うようになりました。

『たくさんの人々を喜ばせてあげたい・・・・・!!』

その尊い気持ちから、あの『ディズニーランド』が生まれたのです。


 『夢』というものは、人間だけしか持てない特権だと思います。

夢の無い人は寂しい。夢も無く、いつも現実に追われているだけの人は、いつしか苦労や悲しみに負けてしまいます。

夢のある人には希望があります。心が強くなる。そして、苦しみを楽しみへと変えて行く事が出来ます。



 私達もディズニー程にはいかないまでも、

心に 『夢の王国』 を築けるように、日々明るく前向きに生きて行きたいと思います。



パワー・オブ・メッセージ①

2010年10月25日 12時13分16秒 | 日記

     
心に 『夢の王国』 を拡げよう


百年に一度の”世界的大不況”~”世界的経済危機”と叫ばれる昨今。

そんな不況だ、不景気だの暗い世の中で、かなりの入園増加を続け、多くのテーマパークが伸び悩む中で

”独り勝ち”なのが、多くの人が愛する 『夢の王国~ディズニーランド』。

1983年に浦安にオープンして以来、後続の『ディズニーシー』とも合わせ、数多くのリピーターを生んでます。

私も東京の大学生~社会人時代以来、十数回も訪れている大好きなテーマパークです。

九州 福岡のキャナルシティ隣接にディズニー初の屋内型テーマパークの話が持ち上がっていたのが頓挫し、

つい先日は、そこに『第二キャナル』が出来るとの新聞報道に・・・正直残念に思ってます。


 今日はこの、世界中に多くのファンを持ディズニーの世界の創作者であるウォルト=ディズニーの逸話を紹介します。



 ディズニーは、皆さんもよくご存知の ミッキーマウスや、ドナルドダックをはじめ、世界的な人気キャラクターを生み出した

立派な芸術家です。映画の世界でも、多くの賞に輝いています。

 彼は子供の頃から、人を喜ばせるのが大好きでした。

どうせ、人生 生きるなら、皆が楽しく、愉快に暮らせるようにしてあげたいと思っていたようです。
 
 彼は絵が得意でした。絵を描いて、皆が喜んでくれるのを見ることが、何より嬉しかったのです。

しかし、彼の家は決して お金持ちではありませんでした。小さい頃からアルバイトをしていました。

その上、八歳の時には、お父さんが病気になってしまい、家はますます貧しくなっていきました。

でも、ディズニー少年は、へこたれませんでした。

お父さんを助けて新聞配達をしながら、学校に通いました。

ディズニーは、どんな大変な時にも、大好きな絵だけは忘れませんでした。

真剣に勉強し、絵を描き続けました。

そして、いつしか 『自分は絵で人々に勇気を与えて行こう。愛と喜びを与えて行こう。それを一生の使命にしたい!!』

と願うようになりました。

 その願い通り、やがて、ディズニーの作品は、世界の人々の心を温かい光で包み、

希望と優しさを送り続けるようになりました。

 
 私は、その力の源泉は、彼の少年時代の苦労の中にあったと思います。

世に偉人と呼ばれる人々や成功者は皆、苦労しています。

様々な苦しい事を経験してこそ、自分自身も鍛えられ、人の心も分かるようになり、

ひいては、立派な仕事も出来るようになるのだと思います。


 ディズニーは、まず、小さな広告会社で働き始めました。宣伝の絵を描く仕事です。

大きな夢に向かって、現実の一歩を踏み出しました。

やがて、映画作りも始め、次第に名前も知られるようになりました。

 しかし、そんな夢に近づく最中に、ディズニーは、信用していた人間に騙され、裏切られてしまいます。

夜もろくろく寝ないで作った大事な映画の権利を奪われてしまったのです。

その上、多くの社員たちも去って行きました。

ディズニーは、悲しみのどん底に突き落とされてしまいます。

お金も無い、仕事も無い、頼れる味方も無い・・・・何もかも無くして

 『もう駄目だ!』 と思いかけました。

しかし、ディズニーには、あの少年時代からの『夢』がありました。

絶対に挫けるわけにはいきません。

 『何とかしなければ・・・・』

その苦渋の最中、孤独な彼の心に浮かんだのは、ある ”友達” の事でした。

”友達”とは・・・以前、ディズニーが独りぼっちで絵を描いていた時、部屋に現れた ネズミ の事です。

心優しいディズニーは、たった一人の友達に、自分のわずかな食事である パン を分け与えたのです。

 『そうだ!!彼がいる!!』

ディズニーは、その”小さな心の友”を新しい主人公に決めました。

これが、今や世界中で愛される大人気キャラクター 『ミッキーマウス』 の劇的な誕生の瞬間だったのです。

『ミッキーマウス』は、たちまちアメリカ中の人気者になりました。

陽気で、元気いっぱいに走り回るミッキーに、大人も子供も、そしてどこの国でも、

人々は惹きつけられました。


 あの、ほがらかな人気者”ミッキ^-マウス”が、実は、このような、ディズニー苦しい涙の中から誕生した事を知り、

深い感銘を受けました。

 『ピンチの後にはチャンスあり!』

一番つらい時、悲しみの涙に沈む時、その時こそ、一番大切な時なんだと、あらためて痛感します。

苦衷の真っ只中こそ、新しい道が開ける一番のチャンスの時なんですね。

そして、ディズニーのように、努力する限り、負けない限り、心の中の”夢の木”は伸び続けることが出来る。

自分に負けない努力こそ、夢を育てる栄養分なんですね。


 続けて、ディズニーは『ドナルド・ダック』や『ダンボ』 『バンビ』など、楽しい仲間を世界に送り出していきます。

そして次々と新しい仕事に挑戦し、映画の世界に夢を大きく拡げていきました。

 そして彼の夢は、どんどん大きくなり、世界中の何処にも無い 『夢の王国』 を作りたいと思うようになりました。

『たくさんの人々を喜ばせてあげたい・・・・・!!』

その尊い気持ちから、あの『ディズニーランド』が生まれたのです。


 『夢』というものは、人間だけしか持てない特権だと思います。

夢の無い人は寂しい。夢も無く、いつも現実に追われているだけの人は、いつしか苦労や悲しみに負けてしまいます。

夢のある人には希望があります。心が強くなる。そして、苦しみを楽しみへと変えて行く事が出来ます。



 私達もディズニー程にはいかないまでも、

心に 『夢の王国』 を築けるように、日々明るく前向きに生きて行きたいと思います。