商業施設でYouTubeを使って賛美を歌っていた。
誰もいないところで賛美してたつもりやけど、警備員に怪しまれたり、女子高生に笑われた🤗
人の目をいちいち気にする余裕がなかった。
というのは、賛美を歌いはじめたら
近くのバス停で変な動きをしているお兄さんがいた。
靴を空に投げたり、ボールを持ってないのにバスケの練習のふりをしてシュートしたり。
なにやってんだ?って見てたら、バス停に止まってるバスの中にいる彼女を楽しませるためにやっていたみたいだ。
バスが動きはじめたら、ドラマのワンシーンのようにダッシュで走りはじめた。
階段を駆け上がって、バスが信号で止まってる彼女にむかって手をふっている。
そして、また靴を脱いで臭ってるふりをしたり、変な動きをして彼女を笑わせようとしていた。
バスが去ったあと、スマホを触って何か送ってるようだった。おそらく彼女にラインを送ってるんだろね。最後の最後までお兄さんは彼女に愛をしめしていたんだね。
俺は賛美を歌ってるのに、このお兄さんの行動がおもしろくて仕方なくて、
笑いながら賛美していた😂
なんで神様はこんなのを見せたのか。
神様を愛するから賛美をするけど、その賛美から人の愛も感じさせた瞬間だった。
「イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」
マタイによる福音書 22:37-39
まず神を愛する楯の関係と、隣人を愛する横の関係が何より大切だと主は教えられた。
これは盾と横に貼り付けられた、イエスキリストの十字架を現している。
商業施設で賛美していると、目の前から見えるカップルからみことばのメッセージを語られた。
だから人の目を気にして賛美してる余裕がなかったんだよね😭
ところで使徒パウロは伝道をしたのがきっかけで鞭でうたれて投獄された。
そんな苦しいときに賛美を歌っていると、突然鎖がとけるという奇跡を体験した。
賛美には常識を覆すような力がある。
「聖徒を栄光によって喜ばせ、その床の上で喜び歌わせよ。 そののどには神をあがめる歌があり、その手にはもろ刃のつるぎがある。」
詩篇 149:5-6
社会で働き家庭をもつと、賛美や聖書の時間がどうしても少なくなるが、
時や場所を選ぶという常識を無視すれば、
賛美なんてどこででも、いつでもできるじゃないかって思った。
クリスチャンなりたてのころに、インフルエンザにかかってしまった。
病院から処方された薬を飲んで5日は安静にしとけと医者に言われたが、
高熱の中で賛美を歌って、仲間に祈ってもらったら、
次の日に完全に癒やされたことがあった😊
賛美をしないのは、もったいないね!
さあ、、褒め称えよっと😇
「それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。 獄吏はこの厳命を受けたので、ふたりを奥の獄屋に入れ、その足に足かせをしっかとかけておいた。 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。 ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。」
使徒行伝 16:23-26
このブログを読み神様を信じるようになったら下の信仰告白を声に出して読んでみてね!
イエス、あなたを信じるよ。
私を赦してくれて、ありがとう。
私の人生に入って来て。
そしてあなたについて行きます。
アーメン
私を赦してくれて、ありがとう。
私の人生に入って来て。
そしてあなたについて行きます。
アーメン