繰り返す罪をもちながら、信仰生活を送ると苦痛が伴う。
辞めたくても辞めれない罪があると、よけいに苦しいんだ。
霊的に敏感な人は、相手の状態を顔や服装を見ただけで見抜いちゃうし、教会にいくのが嫌になることってあるんだよね。
けど、最近気がついたことがある。
罪は、その人の「悪」じゃなくて、 「特徴」をあらわしてることに気がついた。
なんでこんなに暴言をはくんだ?
なんで性的な罪におちいるんだ?
なんで伴侶にあんなことをしてしまうんだ?
なんで嘘をつくんだ?
なんでこんなことをしてしまうんだ、というのは、
その人の特徴なんだよね。
だったら、その特徴を罪を通して知ったなら、
あとは、その特徴をいかして成長させれば、影響力のある人格が備わっていくんだよね。
俺は性欲が強いほうだ。だから、バイタリティーに変えて、身体をバランス良く鍛えてあらゆることにチャレンジしていく。
俺は攻撃的な性格だ。だから、この性格を土台にして、ビジョンの勝ちを取るまで一歩も引き下がらない強さに変える。
俺は雇われの身でいると、上司とトラブルをおこす。だから、会社を丸ごと買い取って、時間と経済にゆとりをもてばいい。
俺はよく妬むことがある。 妬みは、自分のほしいものを感情が教えてくれている素晴らしい賜物だ。だから、妬まないようにするんじゃなくて、妬んだ自分を素直にうけいれ、自分のほしいものを知り、あとはバイタリティーと実行力を用いて手にいれればいい。
罪の性質がキリストに贖われるのは、素晴らしいことだ。
罪を避けようとするのは、立派なことだが、
罪を犯さないためにあれをする、これをするという信仰は、キリストの十字架の恵みではなく、ユダヤ教のラビからのメッセージをきいているのと一緒だ。
罪を犯さなくすることに集中するんじゃなくて、
罪から教えられた特徴を、キリストにあって成長させていき、クリスチャンとして影響力をもつことが大切なんだと信じる。
このように考えると、
毎日は恵みで溢れているんだ。
罪を恐れるんじゃなくて、新しい人へと変えられていく祝福を期待できるからね😇
「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。」
ローマ人への手紙 8:2