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名古屋から若狭の海水浴と言えばまず水晶が浜というだろう。
だが、今回、その水晶が浜を止めて水島へ行く。
気比の松原を過ぎ若狭湾の西側の海岸線を北上。
程なく手の裏海水浴場が現れると目的の水島行きのフェリー乗り場が見えてくる。
対岸から水島を望めば泳いででも渡れそうな近さである。
海流の流れにより砂が堆積し、そこに松ノ木や雑樹木が生息して出来たであろう浮島である。
フェリー発着の桟橋から左右に細長く狭い砂浜が続き、その先端に松林が形成されている。
その狭い砂浜にぎっしりテントの花が咲き、テントと水辺の間を、テント設営の場所を求めて先へ進む。
細く延びた砂浜にやっとテントを設営。
水着に着替えてイザ・・・。
海水が温い。
孫にシュノーケルの使い方を教える。
流石に子供は飲み込みが早い。浮き輪を持たせてしばし訓練だ。
島の南側は砂地で、ほとんどの人が南側で遊ぶ。まるで芋を洗う、まさしくそのものだ。
幼少を荒波で育った私は何かしら物足りなさを感じ、北側の海へ入ってみる。
大小の岩を海岸の砂が流出しないように敷き詰めたのであろう。
その岩に藻が生い茂り足場が悪く滑り易く、危ない。深場までの移動が困難だ。
こちらで遊ぶ人はほとんど無く、水温も低い。私にとっては絶好の遊び場だ。
娘婿もそんな私の様子を見て孫ともどもそろそろと入ってきた。
スノーケルを上手に使えるようになった孫も、浮き輪に必死につかまりながら海草の揺らめく幻想的な海底の景色を気に入った様子で泳ぎ廻ってる。
3人並んでゆっくり、ゆっくり水中観察だ。
時を忘れて魚になった。
年甲斐も無く遊泳を楽しんだ後の背中がひりひり痛い。日焼けだ。
水島を後にして芦原まで急がねば成らない。
予定をはるかに水島で過ごし過ぎたため、ホテルのチェックイン時間が気になる。
まあ、遅くなっても夕飯は逃げていかないだろうが、出来るなら予定の時間に食べたいものだ。
婿殿の運転が良かったのであろう。予定より1時間遅れの到着となったが、まだ7時前である。まずまずだ。
ホテルの大浴場でひりひりする背中をかばいながら入浴。
ああ、これも至福のひと時だなぁ!。
お膳一杯に並んだ海の幸を1品づつ味わい食す。
量が多すぎて完食したのは私だけ。写真のほかに、揚げ物と茶碗蒸し、
それにデザートである。
またまたしあわせ~!。
朝風呂!
日頃の私は朝シャンが常だが、旅先の温泉の朝風呂は格別である。これは欠かせない。
寝起きのまだ眠気の覚めやらぬ身体を露天の岩風呂に沈める。
手足をグンと伸ばし、誰もいない風呂にうつ伏せに沈んでみる。
頭からつま先まで温泉の匂いが染み込むようだ。
風呂から出るともう食膳が用意されてるが、まだ皆風呂から帰ってない。
冷蔵庫から冷えたビールを取り出し窓の外の風景を肴にゴクリ!。
旨い!
朝風呂で渇いた喉から一気に腸まで達するがごとくほろ苦い泡と液体が流れていく。
ああ、これも旅ならではの至福の時間だね。
朝食も終わり、ホテルを後に東尋坊へ。
両側に並ぶ土産屋の駐車場に車を止め断崖絶壁の景勝の地へ。
東尋坊(とうじんぼう)は、福井県坂井市三国町安島に位置する観光地。海食によって海岸の岩肌が削られ、高さ25m程度の絶壁が続いている。地名の由来は、乱暴で恨みを買って此処から突き落とされた平泉寺(勝山市)の僧の名前による。
フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia) より
何かいわくめいた東尋坊であるが、東尋お坊の話のせいもあり、自殺の名所とも知られている。
切り立った崖から海中を望むと水が透き通り綺麗だ。
又、最高の釣り場のような気がするが、こんな処で糸をたらすと非難を浴びるでだろうね。
暑い。両側に並ぶお土産屋に飛び込みカキ氷を食べる。
全身の汗が引くようだ。旨い!。
深く切りこんだ谷間を眼下に林道を進む。
白山スーパー林道は、石川県白山市と岐阜県大野郡白川村を結ぶ、全長33.3kmの有料道路である。
今日は北陸自動車道の全線開通の記念で通行料が割引されていた。
20数年前の雄大な記憶の景色が今ここに広がっている。
道中道端にサルが現れた。我々を歓迎してくれてるかのように少し立ち止まり谷間へと消えていった。
ラッキィ!。 いや、モンキィ!・・・。
急ぐ旅ではないので展望の為に設けられたパーキングの度に車を止め景観を堪能していく。
カーブの一曲がりごとに高度はあがり、気温は下がって行く。涼しい。
窓を全開にして森林の冷気を一杯に取り込み車を白川郷へと走らせる。
世界遺産 白川郷・五箇山の合掌造り集落 1995年12月 (岐阜、富山に残る合掌組み民家) 【文化遺産】
東からの入村と様相が違うので、一瞬場所を間違えたのかと思ったが、白川郷の合掌造り集落が他にあるわけはなく、またまた、それ以前に訪れた頃のことを思い出した。
そう、同じく加賀温泉の帰り、白山スーパー林道からここを訪れたのだ。
あの当時は今のように整備されてなく、駐車場や、出会い橋も無かったような気がする。
ましてや世界遺産の指定なんてものがあったものやら・・・。
その頃は観光客もまばらで、車窓から観覧したような・・・。
世界遺産として指定された今、観光客もインターナショナルで何種類のも肌の違う人たちが訪れていた。
高速も開通し、ますます大勢の人たちが訪れるであろう。
集落で美味しい蕎麦をいただき帰路につく。
御母衣ダムを経由し荘川からの帰路をと思うも、白川インターが近く、そこから名古屋へと、この旅も終焉を迎える。