選挙戦も3日目。各候補の街宣車が、市民のみなさんのお宅周辺をにぎわわせていますね。
私も周りから「あんたの選挙カーはどこでぇ?」と聞かれます。
私は今回、選挙カーを一切使わない「静かな選挙」に徹します。
「静かな選挙」を決めた理由は2つあります。
1つ目にまず、南アルプスの麓にひろがるこの美しいまちには、静かな選挙の方が似合うように感じるからです。
いま学校には、授業中の子どもたちがいて、家には、ようやく寝付いた赤ちゃんが、あるいはコロナ禍で外出を控えて我慢している方々がいらっしゃいます。
ここに、名前を連呼する車が二十数台も通ることで、失われるものの方が大きいように思えるのです。
欧米では、選挙カーで大音量の放送をすることはありません。
韓国や台湾、シンガポールなどではあるようです。つまりこれは、アジア特有の選挙文化というやつなのでしょう。なんだか不思議に思えませんか。
2つ目の理由は、「できるだけ税金を使わない選挙」にしたいからです。
ほとんどの方がご存じないのですが、選挙カーやビラ、ポスターには少なくない額の税金の補助(公費負担)が出ます。
私はポスターを貼るかどうか、そこに税金を使わせていただくかどうかも迷ったくらいで、あのにぎやかな選挙カーに自分の名前をただ連呼させて、税金でそれを支払うのは、できれば控えたいと感じました。
車から政策を訴えることができるならまだしも、走行中の車では、公職選挙法上「連呼行為」しかできないのです。おまけにどうやらこれは、アジアの中でも日本だけのようです。なんともはや…。
そんなわけで、私は今回このように、ネット上で静かに活動し、市民のみなさんがご都合の良いときに見ていただくスタイルをとります。
その代わり、どんな候補よりも熱心に、中身のある政策を訴えたいと思います。
ぜひ、投票日になるまで、どうか繰り返しお読みいただき、周囲の方にもお伝えいただければ幸いです。
さて、本題に入りましょう。
世の中で、最も重要な政策課題を1つだけ選ぶとしたら、私の選択は迷わず「教育」です。
昭和の「大きなものを引っぱってくる」発想はもう終わりにして、
令和の「育てて惹きつける」発想へ、チェンジしましょう!
■3-1:人口減少時代の、地域のチカラとは。
南アルプス市には自然や産業、文化や伝統など、魅力がたくさんあります。
この地に何の縁も無かった私が、移住し、ここで子どもを育て、ここに骨をうずめようと決心したほどです。
にもかかわらず、近年すこしずつ、けれど確実に人口が減っています。
そう、日本全体と同じ傾向です。
市役所はたいへん楽観的な人口推移を展望し、それを前提に政策を実施していますが、国による予測や、実際の統計の数字を追うと、残念ながら、人口減少は今後ますます加速します(下図は、平成27年「南アルプス市まち・ひと・しごと創生人口ビジョン」から。赤線は市による展望、灰色が国による予測)。
市内人口を維持し、ひいては未来の自主財源を確保するために、最も重要で有効な手段は、何でしょうか。
これまでは、大企業誘致である、とされて来ました。
でも、私の意見は違います。
■3-2:商売の素人が大企業誘致を叫んでも…。
たしかに、大企業誘致は短期的には雇用も税収も生み出します。
なるほど、右肩上がりに成長していた昭和のころには、有効なチカラでした。
けれど、大企業誘致は、当の企業の経営状況や、景気の影響をきわめて強く受けます。
コロナ禍で市内のコーセー新工場が着工できなくなっているのは象徴的です。
無理な誘致は、その後の長ー――――――い悲劇を招きます。
大企業が撤退した後には、税金でその後始末をしなければいけません。
山梨市では、NEC撤退後のビルと工場を、税金投じて改修し、自分たちが入居して山梨市役所にするしかありませんでした。
岡谷市では、鳴り物入りで進出した市役所向かいの東急百貨店が5年足らずで撤退し、市がその建物を買い取るなど18年にわたって巨額の税金投入が続いています。
起死回生の一手、大きなバクチ。
賭けに敗れれば、すってんてんどころか、負の遺産が子孫に残る。
それは果たして、「市役所がやるべき仕事」なのでしょうか。
完熟農園の痛恨の結果を思い出しませんか。
そもそも商売の世界は、役所が手を出して簡単に成功するほど甘いものではありません。
そのことは、商売を手がけていらっしゃる市民の方こそ、ずっとよくご存じのはずです。
■3-3:教育を通じて、新しいふるさとを作りましょう。
私のポスターには、「このまちを、未来の日本の、ふるさとに。」と記しました。
ここには色んな思いを、意味を、政策を込めていますが、その核心は、教育にあります。
教育こそが、地域の力そのものです。
教育はいついかなる時代にも、最も割りのいい「投資」です。
そして、これからの地域経営においては、企業誘致などよりもずっと有効な、地域を守る手段です。
教育を通じて、愛する子どもたちを「食べていける大人」に育てることで、地域を守りましょう。
未来のこの地に、日本全国があこがれる、世界がうらやむ、新しいふるさとを作りましょう。
南アルプス市で生まれ育った子どもたちが、「自分にはできる」と自信を持ち、子ども時代を「あのころは幸せだった」と思い出せるなら、地域に誇り(シビック・プライド)と愛着を持てます。大人になった彼らが働きながら市内に住み、さらにその子を育ててくれて初めて、人口が維持され、税収が確保されます。
子どもたち自身が、将来大きく羽ばたいて、たとえば市外県外で成功しても、「いまの南アルプス市なら、戻ってあげてもいいかな」と思えるなら、地域に有為の人材が帰ってきますし、大都市圏や他の地域とのパイプが強くなります。
教育とその成果を、日本全国に、世界に、発信することで、たとえば移住を検討している若い夫婦が、「ここの学校なら、安心して子どもを、子どもの将来を、預けられる」と思えれば、人口維持や市内の活力に大きなプラスです。
それにあわせて、市役所は、地元での低リスクな起業をサポートしていく。
優秀な人材と豊かな環境に惹かれる、小規模なベンチャー企業を、誘致してくる。
別に大都市圏へ出て消耗しなくても、南アルプス市でなら、やりたい仕事ができて、充実した生活を満喫できる。
そんな、未来の「稼げる田舎」を築きましょう。
あっ、大企業がダメだと言いたいわけではありません、念のため。
大企業の「小規模な」サテライトオフィスを誘致するのは全然アリです。
大企業が撤退しても、むしろその従業員は残ってくれるくらいの、そんな、魅力あふれる新しいふるさとを、ここに作りましょう。
それが「このまちを、未来の日本の、ふるさとに。」という私の言葉のココロです。
■3-4:子どもたちには、生きる力を身に付けさせましょう。
今回、取材で最終学歴をやたらと聞かれますが、大学で何を学ぶか/学んだか、であればともかく、「大学の名前」だけなんて、そこまで重要なことでしょうか。
ましてや、今の子どもたちは、100年生きる世代です。
100年の人生の中では、二度三度と別の大学に通うかもしれませんし、それどころか、大学よりもはるかに多くのことを、別の場で学ぶ人の方が多いでしょう。
そう考えると、今の山梨の教育は、「大学への進学」「五教科テストの点数」に偏りすぎではないでしょうか。
もちろん、紙の上での勉強は、今でも変わらず大切です。
けれど、今の子どもたちには、もっと幅の広い学びが必要です。
インターネットを通じて世界の様々な「今」を知る学び。
プログラミングで、センサーやロボットを操り、目の前の現実とコンピュータの中の数字を対応させる学び。
絵筆や彫刻刀、スポーツだけでなく、身体・楽器・デジタル機器など、様々な手段で、自分を表現する学び。
歴史を暗記でなく、いまある現実と地続きの因果関係としてとらえる学び。
対人関係の中で、「いじめ」とは、「差別」とは何かを知り、それを克服するための学び。
これらの「生きる力」を、それも高度に身に付けなければ、地域の外では通用しませんし、地域を守れる人材にもなれません。
それはつまり、「食べていける大人」になれないということです。
とくに初等中等教育が重要です。
たとえば市単教師の待遇を県単水準に引き上げ、市の、学校の特色ある教育を推進する力に束ねていく。あるいはプログラミングなどの新しい教育には、専門家を特別講師として招聘することで、子どもが身を乗り出して学ぶような積極的な機会としていく。市内の小中学校を、これらの力を身に付けさせる場所に、地域の全力を結集して、少しずつ変えていきましょう。
教育こそが、地域の力です。教育で、地域は変わります。
半世紀ほど昔、この地には、「巨摩中教育」と称された、きわめて進歩的な教育スタイルが存在しました。
「知識の詰め込みではなく,何故という問いを持ち,知識と知識をつなぎ,深く理解し,自分の考えを持ち,自分の言葉と体で表現できる生徒を,明るく・仲良く・元気に育てる教育(白根巨摩中ウェブサイトより)」として、日本全国の注目を浴び、多くの有為な人材を送り出していたのです。私は、その方々の胸に今もなお、巨摩中教育の残り火が、誇りが燃えているのを感じます。
いまこそ、かつてのこうした意欲的な教育を再生し、子どもたちの胸に、一生消えない情熱の火を灯す時です。