horsepower of holy cow boyホーリィキャウボーイのバリキ

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京都府北部で行われた友達の披露宴は疲労宴~完結編~

2009年04月02日 | Weblog

京都府北部で行われた友達の披露宴は疲労宴

2007年09月19日

 /始めに/

 過去に簡単ホームページ時代に発表していた国内旅行記を再度、この場で発表します。
又、内容を変更する訳ではありませんが、幾つかの編集を行います。

京都府北部で行われた友達の披露宴は疲労宴#1

投稿日:2006/05/23 10:39 

場所(地域) 京都
場所(詳細) 舞鶴市
時期 2004年5月22日
費用 けっこういい金額
ワンポイント 徹夜
 本当は、もう少し早くこの旅行記を発表したかったのですが、遅くなりすいません。 披露宴に参加した話しも私にしてみればある意味、旅行記です。 驚かれる方もおられるかもしれませんが、それは読み続けていただければ納得されると思われます。
 ~今でも、鮮明に思い出す。 徹夜で少なく無い量(大量)のタコスを調理したことを・・・~
 よくある話しかもしれませんが、披露宴を複数回行われる決断をされる夫婦は昨今、多くなってきたようです。
無論、これは致し方が無いと思います。 ゴールデンウィークの時期に、超距離移動は実質的に事実上不可能です。(この辺りは、重言の畳語か?) ゴールデンウィークに奥様の地元である北関東で事実上の送別会を兼ねた披露宴が行われました。(過去に旦那様が、北近畿から北関東に赴かれた時に知り合ったそうです。)
 この御夫婦は、いわゆる長距離恋愛をされておられた方々でした。 そして、本当に結婚することになってお互いの地元で披露宴を行われる事になったのです。
大雑把に発表すると京都府民の旦那様と北関東出身の奥様です。
 無論、皆様容易に察する事だと思われますが旦那様と私は友達同士です。
 そして、その連絡(披露宴が行われる事)を知った後に私は行動に移しました。
(続く)


 ここからは、平成21年になって初めて発表する部分です。言論の自由、万歳!
タコスを200個以上調理した日。それは色々と終わった後に2004年五月21日の午後8時は過ぎていた頃に調理を開始したと思います。その途中で休憩も取りました。 とりあえず、その当時考えられる最善の調理法で大量に(200個以上)タコスを調理しました。
大阪府内から京都府舞鶴市へは長距離移動です。片道で、約5~6時間程の交通時間を要します。 否、さらに一時間加算しないといけないかもしれない。 そういうわけでほとんど眠らずに、2004年5月22日の早朝にほとんど徹夜明けで彼の披露宴に参加する為に、地元の駅まで行きました。 電車を何回か乗り換えて京都駅まで赴き、さらに乗り換えて二時間は乗車して待ち合わせ場所の某A駅に到着しました。 やはり、京都府は広い。 過去に帯広市から札幌市まで移動したのと同じ位の時間と移動距離でしたね。 誤解の無いようにお伝えしますが、万が一スリの被害にあうのを防ぐ為に、一人旅の私は電車内では一睡もしませんでした。 要は、電車内では寝られなかったんです。 京都府北部への移動であるから、京都市内の移動は不可避で、やはりそれなりに乗客が多かったですね。 この辺り(徹夜明けでも寝れなかった点)は嘲笑の対象か? 
当然ながら、近畿北部では、駅を下車した後の移動は軽視出来ません。
仮名ですが、Hという町にお住まいのキザオさんという近畿北部在住の知り合いがいます。私の知り合いで近畿北部在住の方々は数人いまして、その内の一人です。 彼に駅を下車してから車で披露宴会場迄、案内してもらうことになりました。(車で送ってもらいました)

 車内で驚いたのが、「お腹が空いたから、ラーメンでも食べに行くか?」と質問されたんです。その時に私は「タコスをイッパイ調理したから、それを食べてくれ。」と返答しましたね。公表する会話内容はこの一件くらいにしておきます。 やはり、ビジネス(平成10年代の業務)方面はちょっと本題からは逸脱しますからね。 色々と喋りながら、車での移動は、優に一時間以上かかった後に目的地に到着しました。

 今回の披露宴の主役は仮名ですが、プレインさん夫婦です。 プレインさんには、京都市民の友達の(仮名)ジャズさんもいますが、仕事が多忙な為に披露宴の参加は見送られました。 彼の仕事は将来性に疑問符がついている深夜の店員さんです。(小売業従事者です。 午前7時から午後11時迄が営業時間ではありませんからね。) 京都駅で待ち合わせしなかった分、本当は申し訳ないのだが、一人旅になったので気は楽でした。 キザオさんとプレインさんも同様に友達同士です。
 目的地というか会場に到着して色々と驚きました。 まぁ結婚式会場では知らない人と多く会うのは仕方が無いですね。
その知らない人が多くいる中で、恥をかきたくないから、どこに何の食べ物を置くかで結構、神経を使いました。 食べ物を参加者が持ち寄って行う結婚式だったのがその理由です。 ちょっと怖いおばちゃんもいましたしね。 神経を使いましたね。
少なくとも私は結婚式会場で錯乱したくありませんね。 余談だが、後にある機会があり、彼女は私のカカト落としを見てからそれまでの行動を一変させドン引きであった。 こういうのは、大事ですね。もちろん、当てていない点においては強調しておきます。
 初めて見る美人の奥さんや友達のプレインさんと挨拶を済ませました。 私はその時は、徹夜明けであったので大人しかったですね。 披露宴そのものは、「皆で楽しく食事をすませました。」の一言で終えておきます。 理由は、彼らの披露宴だからです。
 無事に披露宴の一次会が終わり、二次会が始まろうかといった時に、私とキザオさんはその場を後にすることになりました。 なぜならば、キザオさんは、その日の夕方から消防団のボランティア活動があったのと私の場合は日帰り旅行のようなものなので、帰宅の決断をせざるを得なかったのです。 私とキザオさんは来た道をそのまま自動車で移動し駅に到着後、別れの挨拶を済ませ、京都駅へ一人向かいました。
 帰りの京都駅では、いっちゃっているよく知らないアメリカン達と英会話しながら、大阪駅まで到着しフラフラになりながら、帰宅しました。 帰宅したときには、夜でしたね。 昨夜は調理。 朝は移動。 昼は、披露宴の参加。 夕方から夜にかけて移動といった具合です。 
 
彼ら夫婦は今でも元気にやっておられます。 奥さんが頻繁に都会に住みたいといった悩みも旦那様は上手になだめているようです。 これからも仲良くやっていかれるでしょう。
参考までに冒頭のタコシェルの静止画を閲覧していただけると幸いです。 使いまわしの静止画ですけどもね。 この画像のタコシェルは一枚だがその中にどのような食材を入れ、空腹を満たす為の幸福を得られるかはその後の調理する人、次第です。 それと同様に、結婚の形式は男女によって執り行われるから一種類のみだが、それから先の幸せは彼ら夫婦が形成していかないといけない。 彼ら、夫婦が仲良くやっているから、何よりです。 方言がうつったり、うつしたりがあるらしいが・・・ 北関東訛りか北近畿訛りか?
おまけ
そういえば、弟のmaxamがこの当時は大阪在住であったからタコスを調理して一部出来上がったものを彼の運転で車に乗って知り合いのアメリカンに配達しにいったなぁ。
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