実家から戻り、
届いていた荷物を開けると赤いリポンをきゅっと結んだ箱が入っていた。
そういえば数日前、自分用のアンダーウェアを注文していたのだった。
自分用なのに、敢えてラッピングをして頂いていた。
過剰包装はエコじゃない、という意見もあると思うけれど
リポンをそっと解き、(それほど高価なものではないけれども)繊細なレースのついたアンダーウェアを手に取ったときの、心がじんわり満たされていく感じは
時々で良いから、自分に贈りたい感覚だった。
デパートの売り場で、丁寧に採寸をしてもらいながらアンダーウェアを選ぶ時も、この感覚があったように思う。
大切に、丁寧に、まるで壊れやすい宝物を扱うように、身体に触れ、私に合うものを選んでくださるのだ。
日々の忙しさの中で、私は
どれだけ、自分を雑に扱っているか
どれだけ、自分を後回しにしているか
どれだけ、「私なんて」と言っているか
誰かに大切に扱って頂くのは、とても有り難く、嬉しいことだけれど
誰かの何かを待つよりも先に、私が私を大切にした方が、確実だ。
栄養のあるものを食べさせ、
眠い時に眠らせ、
世界に散らばる美しいものに触れさせ、
喜怒哀楽すべての感情を否定せず、
こんなことを、やっていきたいのだ
それらの一つひとつに、赤いリポンをかけて。