ほっぴの未来予想図           この未来予想図は未来を当てることが目的ではありません。あの人たちが、いったい

何を狙っているのか、それを思考推理し事前に発表することによって、そのことが起こるのを未然に防ぐ。これが目的です。

「日本演花Japanese Blues 哀の人形」

2022年03月13日 23時12分55秒 | 日記

 「日本演花Japanese Blues 哀の人形」 
  作詩作曲:ほっぴの未来予想図

新宿に咲いて
新宿に散った 
日本演花の愛の人形
故K石二似
ばかだな ばかだな
閉じ込められちまって

岩手に生まれて
岩見沢に育った
三人兄弟の三番目
故K石二似
ばかだな ばかだな
閉じ込められちまって

父は北の浪花節なにわぶし
母は半盲の三味線弾き
旅回りの芸能家族
生まれた時から神社寺巡り
故K石二似
初舞台 初踊り 
初歌い 初お捻り
おじいちゃん おばあちゃん
喜んで拍手 みんなくれた
故K石二似
ばかだな ばかだな
ダイビング自殺にされちまって

旭川の雪祭り
歌謡ステージで歌ったときに
作曲家センセの目に留まる
中学卒業式を終えたその日に
母と二人で上京した
故K石二似

レコード各社のオーディション
暗いとどこでも断られた
でも正王センセに拾われた
匕首あいくちが胸に突き刺さったと
故K石二似
ばかだな ばかだな
ダイビング自殺にされちまって

白いギターとベルベットの黒
25時間新宿キャンペーン
ぶっ通しライブが昨日のよう
故K石二似

明日はセンセを偲ぶ会
お別れ会には行けなかった
あの頃のとこへ飛んでいきたい
私は今度は離れない
私のことを褒めてほしい
故K石二似
ばかだな ばかだな
希望の光さえも奪われちまって

夢が開いて
夢が閉じる
Japanese Blues 哀の人形

渡米したのがいけなかったのかな…
ラスベガスで勝ちすぎたのがいけなかったのかな…

夢が開いて
夢が閉じる
Japanese Blues 哀の人形

ほっぴの未来予想図
この歌は実在した人物のことを歌ったものではありません。架空の人物であり、完全に創作です。

 えるえるとろんの会話ろん
ろん: この歌はほっぴさんの創作で実在の人物のことを歌って言うわけではないということを最か初に断っておくようにって僕は言われました。

える: 歌はほっぴさんの創作で、実際の人物のことを歌ったものではないということね。私たちは歌手の藤圭子さんのことを話しましょう。

ろん: 彼女が住んでいた13階の部屋の真下から落ちたといわれる車の通る白くとまれと書かれたところまで、死体の置かれたところまで、自力で飛んでいくことはありえないと思う。

える: そうね。他殺と考えるのが自然ね。

ろん: 例えば、彼女の体を二人の男がブランコのようにして13階から投げ飛ばしたらそこに(死体現場)届くと思うけど、どう思う。

える: これは殺しをしても絶対につかまらない人たちの犯行よ。そんな面倒くさいことする必要ないわ。

ろん: 彼女の部屋に忍び込んで、そこで犯行して部屋から外に連れ出して・・・というのはどう?

える: すっきりしないわね。

ろん: そうだな。死体をマンションから運び出すって大変だしな。警備の管理人だっているだろうし。

える: 生きているうちに連れ出されたのだと思うわ。でも、ここまで推理で来てしまうと実際に起きたこととはもう全然言えないわね。

つづく
ろん: 
える: 
ろん: 
える: 



浪曲(ろうきょく)は、日本で明治時代初期から始まった演芸で、「浪花節」(なにわぶし)とも言う。
三味線を伴奏にして独特の節と語りで物語を進める語り芸(話芸)。一つ30分ほどである。
落語、講談とともに「日本三大話芸」の一つとされ、最盛期の昭和初期には日本全国に約3000人の浪曲師がいた。

石坂まさを

石坂 まさを(いしざか まさを)1941年5月18日 - 2013年3月9日
本名:澤ノ井 龍二  日本の作詞家・作曲家。
東京都新宿区出身。母子家庭に育つ。藤圭子をプロデュースしミリオンセラーとなる。
プロデューサー兼作詞家というスタンスで作詞活動を行い、演歌の世界でヒットを連発する。

私生活では、夫人との間に二男を儲けており、兄弟共に音楽の道を選んでいる。

2013年3月9日、長年の闘病生活の末にこの世を去った。71歳没。
同年の8月22日には藤圭子も高層マンションから飛び降り自殺したとされる。
翌日は関係者有志による『石坂まさをを偲ぶ会』が開かれた。
その偲ぶ会に藤圭子は出席予定であった。
藤圭子は3月11日におこなわれた『石坂まさをのお別れ会』にも出席できなかった。
そのときは連絡が取れなかったらしい。
まるで何かの意志の力が働いいるかのように感じる。

藤 圭子(ふじ けいこ)1951年7月5日 - 2013年8月22日  日本の演歌歌手。
本名:宇多田純子(うただ じゅんこ)。旧姓、阿部純子(あべじゅんこ)。
最後の夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘はシンガーソングライターの宇多田ヒカル。
元夫は歌手の前川清。

1960年代末から1970年代初頭にかけ、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲を、
ドスの効いたハスキーボイスと凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。

代表曲は『新宿の女』1969年9/25発売
    『女のブルース』1970年2/15発売
    『圭子の夢は夜ひらく』1970年4/25発売。
来歴
幼い頃から浪曲師の父・阿部壮(つよし)[4]、同じく浪曲師であり曲師でもある母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)[4]のドサ回りに同行。旅の生活を送り、自らも歌った。北海道の岩見沢市立栄中学校(1983年閉校)卒業[注 2]。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念[4]。15歳の時に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿が作曲家・八洲秀章の目に留まり、上京。八洲秀章のレッスンを受けながらいくつかのレコード会社のオーディションを受けるが全て落選。生活のために錦糸町や浅草などで母と流しをする。その後、作詞家の石坂まさをと知り合い、石坂まさをの自宅に住み込みでレッスンを受ける[5]。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
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