こんにちは、「頼りにならない免許もち」こと田中裕人です。やっと練習が始まり、身体中が筋肉痛になってしまった日曜にせっせとブログを書いています。いや、書かせて頂いております。何を隠そう、前回ブログを書き忘れてしまっている身分ですから。
さて、僕は旅が好きです。旅と言っても、同じサイクルで回る日常から離れようと、新たな感動を得ようと外に飛び出す無計画な旅が好きです。今は毎日が新たなことの連続でとても旅に出る環境ではないのですが、1か月前はマンネリ化した日々を過ごしていた気がします。なので旅に出たのだと思います。そのときの話をすることとします。(スマホが無かったので旅の写真がなく、画像が一切ありません。許してください!!!)
旅に出ると決めたのは17時くらい。「このままご飯食べてYouTube観ながら寝るのか」と不快感を感じたのがきっかけだった。馬乗りになっていた部屋員を跳ね飛ばし、リュックに上着と財布と寮歌集だけを入れて外に出た。とても良い気分だった。だが、行く当てもない。腹も減っている。取り敢えず、北大前の古本屋で石川達三の『古き泉のほとり』という小説を買った。50円だった。隣のコンビニで休憩しているとき、「夜行バスに乗ってどこかへ行こう、そうすればバスで寝れるから野宿しなくて済む」と考えついて札幌駅に向かうことにした。だが、札幌駅の夜行バスはコロナのせいかもう走っていない様だった。少し迷ってから、普通のバスに乗ることにした。富良野・積丹・石狩などの行き先が候補としてあったが、理由もなく僕は岩見沢行のバスに乗った。21時のバスには乗客が3人ぐらいしかいなかった。何とかしてここで睡眠をとろうと努力して眠った。
だが、その眠りは1時間ほどで打ち破られ、僕は閑散とした岩見沢駅に放り出された。22時、岩見沢に人気はなかった。駅周辺を歩いてみても、Barらしき一つの店を除いてどの店もシャッターが下りていた。地図もスマホも無いせいで少し迷ってから岩見沢駅まで戻り、その改札口のベンチで『古き泉のほとり』を読んだ。もう時間は23時を回っていた。定期的に鳴る改札の音だけが響く駅の中で僕は本を読み続けた。0時。40歳ぐらいの小柄な駅員が改札の電気を消し、窓口のシャッターを下ろした。駅員はベンチで身体を小さくして本を読み続けている僕に声をかけ、駅から出て欲しいとの旨を伝えた。さて、0時を回った岩見沢では本当にやることが無い。公園の東屋で寝転んでみても、5月はまだ風が冷たくとても寝れそうにはない。歩くしかやることのないまま歩いていると、コンビニがあった。コンビニで地図を立ち読みし、現在の位置を把握して次の行き先を19㎞先の栗山町に決めた。もう寝るのは諦め、朝になるまでひたすら南下して歩き続けることにした。
深夜2時ごろ、大きな畑に突き当たった。小道はなく、どうやら前方の畦道を通る以外道はなさそうであったため、畑の畦道を歩いた。その畑は本当に広大で、360度見渡す限り地平線までが畑になっていた。畦道はその畑の中央を横断する形で通っていて、僕は歩きながら寮歌である「朔北に」の”朔北に手稲颪の峰こえて”という歌詞を思い出していた。ゆったりして情緒のある寮歌である。(「朔北に」の演奏が聴けるリンク⇒ https://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~mkuriki/phone/ryoka/cd_ryokainst/09%20%E6%9C%94%E5%8C%97%E3%81%AB.mp3)そのまま歩き続けていると、延々と続くかに思われた畦道が突然消え、道なき畑に突き当たった。さすがにクロックスで畑を踏み荒らして行軍する意志はなかったため、畑から出るために左手にあるドブを通り越してコンクリートの道路に上がった。そこからは、クロックスを脱いで裸足で歩き続けた。途方もなかったが、4時ごろに畑は見えなくなった。更に歩き続けていると日が昇り始め、そして大きな池が左手に見えてきた。池に黄金色の朝日が映り、清らかな雰囲気に包まれた。池端の石に腰かけ、疲労で痛み出していた足を休ませながら僕は朝日の映る池をしばらく眺めた。感慨にふけりなが立ち上がり、朝日を後ろに「郭公の声に」を歌いながら歩き始めた。
郭公の声に迷夢の夜は明けて 紫紺の雲の色も褪めゆき
春芝草に風のそよげば 旭光は見よ東雲の沈黙を破り 自然の精姿紅に揺らぎぬ
讃へなん うら若き日の朝の神秘を
さて、ここからは更に12時までひたすら歩き続けた。何を考えていたかもよく覚えていない。途中、コンビニで2Lの牛乳をがぶ飲みしたのは覚えている。気づいたら石狩当別駅という青看板が見えていた。コンビ二で地図を立ち読みして現在の位置を把握すると、どうやら北上していたらしく、目的地の栗山町とは反対方向に僕はいた。あきれてものも言えなかった。もう僕は歩き続ける気力を持ち合わせていなかった。石狩当別駅で電車に乗り、僕は真っ直ぐ札幌駅に行って帰寮した。帰寮後に食べた寮の飯はさすがに美味かった。
旅をすると一日一日を最後の時だと思えるようになるのかもしれない。
では。
文田中裕人「旅と寮歌は相性が良いよ本当に」