今日は70回目の終戦記念日です。
昨年はババの父母の戦争体験を書かせて頂きました。
今年はジジの父母の事書きますね。
義父の年の離れた兄3人は、南方で戦死しています。
それでも、義父は高等小学校を卒業し、少年飛行兵として、福岡の太刀洗基地で教育を受け、実地訓練は朝鮮半島へ。
少年飛行兵になるのは難しく、1学年2名ぐらいだったそうです。
戦時中、庶民は食べる物が無く困窮しているところ、少年飛行兵はちゃんと食べられていたようです。
父は爆撃機の操縦士として、大型の飛行機の訓練をしていたようです。
そして、ほとんど訓練が終わろうとしていた時、終戦となりました。
あと少し終戦が長引いていたら、日本に帰り特攻となっていたでしょう。
そこで命拾いしたものの、間も無く南下してきたソビエト軍によって、シベリアへと連れて行かれました。
極寒の中、1日黒パン1個と具の殆ど入ってないスープだけだったそうです。
寝る時は毛布1枚で、ノミがぴょんぴょんしていたそうです。
日中は重労働、歳の行った人は亡くなる人が多かったようです。
数年前、シベリア抑留者のドラマが有りましたね。
あれを思い出して頂けば良いと思います。
義父はよっぽどリクエストが無い限り、抑留中の話はしません。
そして1年ほどして、義父は日本に帰されたようです。
頭の良い父でしたので、知人が役場や郵便局へ勤めないかと勧めたようですが、その頃の日本は食べる事が大事で、農家をしていた親の手伝いをしたそうです。
今にしてみれば、役所務めを選んでいれば!都会に行って、パイロットになっていれば!と……。
義母と間も無く、見合いとも言えぬ紹介で結婚したのでした。
義母は隣町の農家の出ですが、玉名の女学校を出て、和裁が上手でした。
わが町も隣町のも空襲を受け、義母は爆撃中のB29のパイロットまで見えたとか?!
農家と言えど、米は無く芋ずるを食べて過ごしたそうです。
戦後、農家をして暮らしてきた義父母ですが、現金収入が無かったので、ジジの子供の頃、電気工事会社に父は勤めたり、製パン会社に勤めたりしたそうです。
そんな頃、義母は女1人で田んぼに薬を撒いたりしていたので、夫の居ない人かと思われたそうです。
結構夜勤が多かった義父は、体調を壊し、55歳ぐらいで会社は辞めました。
わが母に比べ(汗)、頑張り屋の義父母です。
色々お世話してあげたいけど、ボケを起こさないように、遠目でサポートしています。
まあ、お隣ですから、もしもの時はすぐ手を差し伸べられますからね。
こんな経験をした方たちが、ドンドン減っていく日本。
終戦記念日だけでなく、もっと多くの記念日に戦争の悲惨さを語って欲しいと思います。
今日もババの無駄話でした。
追記
桜島が噴火警戒レベル4にあげられました。
わが地域は海を隔てているので、まだ地震は感じられません。
これからの状況が心配です。
と、只今お家はアナが1人でお留守番中です。
昨年はババの父母の戦争体験を書かせて頂きました。
今年はジジの父母の事書きますね。
義父の年の離れた兄3人は、南方で戦死しています。
それでも、義父は高等小学校を卒業し、少年飛行兵として、福岡の太刀洗基地で教育を受け、実地訓練は朝鮮半島へ。
少年飛行兵になるのは難しく、1学年2名ぐらいだったそうです。
戦時中、庶民は食べる物が無く困窮しているところ、少年飛行兵はちゃんと食べられていたようです。
父は爆撃機の操縦士として、大型の飛行機の訓練をしていたようです。
そして、ほとんど訓練が終わろうとしていた時、終戦となりました。
あと少し終戦が長引いていたら、日本に帰り特攻となっていたでしょう。
そこで命拾いしたものの、間も無く南下してきたソビエト軍によって、シベリアへと連れて行かれました。
極寒の中、1日黒パン1個と具の殆ど入ってないスープだけだったそうです。
寝る時は毛布1枚で、ノミがぴょんぴょんしていたそうです。
日中は重労働、歳の行った人は亡くなる人が多かったようです。
数年前、シベリア抑留者のドラマが有りましたね。
あれを思い出して頂けば良いと思います。
義父はよっぽどリクエストが無い限り、抑留中の話はしません。
そして1年ほどして、義父は日本に帰されたようです。
頭の良い父でしたので、知人が役場や郵便局へ勤めないかと勧めたようですが、その頃の日本は食べる事が大事で、農家をしていた親の手伝いをしたそうです。
今にしてみれば、役所務めを選んでいれば!都会に行って、パイロットになっていれば!と……。
義母と間も無く、見合いとも言えぬ紹介で結婚したのでした。
義母は隣町の農家の出ですが、玉名の女学校を出て、和裁が上手でした。
わが町も隣町のも空襲を受け、義母は爆撃中のB29のパイロットまで見えたとか?!
農家と言えど、米は無く芋ずるを食べて過ごしたそうです。
戦後、農家をして暮らしてきた義父母ですが、現金収入が無かったので、ジジの子供の頃、電気工事会社に父は勤めたり、製パン会社に勤めたりしたそうです。
そんな頃、義母は女1人で田んぼに薬を撒いたりしていたので、夫の居ない人かと思われたそうです。
結構夜勤が多かった義父は、体調を壊し、55歳ぐらいで会社は辞めました。
わが母に比べ(汗)、頑張り屋の義父母です。
色々お世話してあげたいけど、ボケを起こさないように、遠目でサポートしています。
まあ、お隣ですから、もしもの時はすぐ手を差し伸べられますからね。
こんな経験をした方たちが、ドンドン減っていく日本。
終戦記念日だけでなく、もっと多くの記念日に戦争の悲惨さを語って欲しいと思います。
今日もババの無駄話でした。
追記
桜島が噴火警戒レベル4にあげられました。
わが地域は海を隔てているので、まだ地震は感じられません。
これからの状況が心配です。
と、只今お家はアナが1人でお留守番中です。
当時を知ってる人にとっては辛い思い出だろうけど、後世に伝えて行くことも大事だから、どこかで残さないとね。
うちは祖父母は私の生まれる前と生まれてすぐに亡くなったから戦争の話しは両親から聞いてる。
父方は割と良い家だったのでさほど苦労は多く無いけど、母方はお兄さんが出兵して亡くなった。
あまり多く語らないのは辛いからだよね。
平和への願いの日。
どうか平和が続きますように。
不幸になるね
お母さん達お隣なのね、
うちは、車で5~10分だから、少し
遠い、自分の親じゃないから
少し遠い位がちょうどいい(;^_^A
かな~その代わり平日は毎日
ちょっとおかず持って行かせてるよ~
一応それだけで、いい嫁と言われてます
(笑)
予科練の同士ももう数える程だとか。
戦後70ねんなんですね・・
桜島心配です(>_
多分多くの殆どのお年寄りは戦争の被害者だと思います。
東北の津波の時も昔からの言い伝えが、地元の人を助けた地域がありましたよね。
戦争も言い伝えていかないと、また同じ間違いをするんでしょうね。
もしも戦争なんかになったら、1番先に被害を受けるのは動物達ですものね。
と言うより、世界で初めて原爆の洗礼を受けたところ。戦争につながる事を嫌う土地柄では??
あら~、ママさん良いお嫁さんね!
忙しいのに感心だよ!!
私ここ数年嫁業にお疲れモードよ(汗)
特攻隊の方々は、もう90歳以上だから、元気な方が少ないわ。
毎年思うんです、この時期だけ戦争特集するなって!
もっと普段も伝えて行かないと、平和ボケの日本人には分からないって!
桜島、7,8月静かだったから、不気味だったんですよ。きゃーとうとうその時が来るのか!!って感じですけど。
今日からシャッター閉めて寝ます。昼間も閉めてた方が良さそうですけど(⌒-⌒; )
もし、重複していたらごめんなさいね。
ご尊父、シベリアにおられたのですね・・・。
言葉に表せられないような過酷な体験をされたことと拝察します・・・。真実を知っておられる方がご無事でご帰還されたことは、ご家族はもとより、日本にとっても有難く幸せなことだと思います。
今、安全保障関連法案に絡み、日本の進路について色々な議論が交わされていますが、必要なのは「戦争をしない覚悟」だけではないかと・・・思ったりするこの頃です。
桜島警戒レベル5になっていますね。十分お気を付けくださいね。
おしゃべりの義母とジジが邪魔をしたりしますしね(苦笑)
積極的平和主義とは、お友達の手伝いをする事なのかしら??
戦争のある国の貧困を積極的に無くす努力をする事だと思われますが。
大国の脅威をどう平和に解決出来るかが、政治家の能力だと思います。
桜島、火山性微動少し落ち着いています。